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スタート地点を振り返る /2003年9月10日 [第7章 東京・死闘篇]

  この2年ほど、「ストロベリー」のために走りまわっている。そもそも、何で自力で製作費まで集めて映画を作ろうと考えたか? そんな背景を思い出すことがあった・・・。

 無我夢中で走っていたので自覚してなかったが、思い出したこともある。何度もこの話を聞いてもらった友人もいると思うが、もう一度聞いてほしい。

 僕は1988年に監督デビュー。だが、それから5年間。超低予算Vシネマ等、悲惨な仕事ばかりやっていた。

 ギャラを遥かに上回る時間と労力をかけて撮影、編集。制作会社から現場費が途中でなくなり、自腹で制作費立て替えて撮影を続けることがもあった。全力で作品を作っていれば、いつかは認められる。

 いいものを作れば必ず展開できると信じてやってた。努力と作品クオリティは必ず伝わるはずだと思っていた。

 しかし、「次は長編ドラマを撮ってみないか?」という声はかからない。それどころか、会社は僕が立て替えた現場費を値切ったり、踏み倒したり。ギャラの支払いが約束より何か月も遅れたりした。

 作品が評価されることもなかった・・・。(つづく)



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