映画監督という仕事(12)黒澤明になろうとした友人 2005/9/17 [撮影初日(二)学校]
そんな時代。1980年代前半。僕は仲間と共に自主映画続けた。8ミリカメラをまわした。
九州出身の仲間がいた。
「俺の夢は、黒澤明のような映画監督になることだ! 自主映画でも一切妥協しない!」
彼は酒を飲みながら、熱く語った。
「太田。聞いてくれよ。誰にも言ってないんだけど、実はこんな物語を作りたいだ!」
そんな話を何度も聞いた。僕も彼も、「アメリカ映画」と「ローリングストーンズ」が好き。とても気が合った・・・。
僕の自主映画第1作では、助監督をしてくれた。
次は彼の番。僕が助監督をする約束。
でも、撮影をスタートさせなかった・・。
他の仲間も、自分から動こうとしなかった・・。
皆、いつか有名監督が自分の存在に気づき、チャンスを与えてくれると信じようとした。必ず大きなチャンスが巡ってくる。そう考えていた・・・・・。
(つづく)
九州出身の仲間がいた。
「俺の夢は、黒澤明のような映画監督になることだ! 自主映画でも一切妥協しない!」
彼は酒を飲みながら、熱く語った。
「太田。聞いてくれよ。誰にも言ってないんだけど、実はこんな物語を作りたいだ!」
そんな話を何度も聞いた。僕も彼も、「アメリカ映画」と「ローリングストーンズ」が好き。とても気が合った・・・。
僕の自主映画第1作では、助監督をしてくれた。
次は彼の番。僕が助監督をする約束。
でも、撮影をスタートさせなかった・・。
他の仲間も、自分から動こうとしなかった・・。
皆、いつか有名監督が自分の存在に気づき、チャンスを与えてくれると信じようとした。必ず大きなチャンスが巡ってくる。そう考えていた・・・・・。
(つづく)
2008-06-19 03:00
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