映画監督という仕事(9)80年代の学生たち 2005/9/17 [撮影初日(二)学校]
当時、僕はこう言い続けていた。
「サラリーマンにはならない。どんな厳しくても、プロの映画監督を目指す! 8ミリ映画で映画界に殴り込みをかける!でも、自分たちが楽しい映画作りでは、観客を感動させる作品はできない!
趣味の延長で作った作品では、心に届かない。スタッフ、キャストが苦労して作り上げてこそが、素晴らしい作品になる! 僕は、見る人が感動で涙する映画を作りたいんだ!」
大学生の友人に、僕の考え方が理解できないのは分かる。「大学時代の4年は、就職するまでの執行猶予」それが彼らの発想なのだ。
だが、同じように夢を追う友人たちも、大学生に近い部分があった。
松田優作のような、俳優になりたい!
矢沢永吉のような、ロックンローラーになりたい!
村上龍のような、小説家になりたい!
浅井慎平のような、カメラマンになりたい!
スピルバーグのような、映画監督になりたい!
そういいながらも彼らは、楽しくやろうとしていた。そうなってしまう背景には、80年代という時代もあった・・・・。
(つづく)
「サラリーマンにはならない。どんな厳しくても、プロの映画監督を目指す! 8ミリ映画で映画界に殴り込みをかける!でも、自分たちが楽しい映画作りでは、観客を感動させる作品はできない!
趣味の延長で作った作品では、心に届かない。スタッフ、キャストが苦労して作り上げてこそが、素晴らしい作品になる! 僕は、見る人が感動で涙する映画を作りたいんだ!」
大学生の友人に、僕の考え方が理解できないのは分かる。「大学時代の4年は、就職するまでの執行猶予」それが彼らの発想なのだ。
だが、同じように夢を追う友人たちも、大学生に近い部分があった。
松田優作のような、俳優になりたい!
矢沢永吉のような、ロックンローラーになりたい!
村上龍のような、小説家になりたい!
浅井慎平のような、カメラマンになりたい!
スピルバーグのような、映画監督になりたい!
そういいながらも彼らは、楽しくやろうとしていた。そうなってしまう背景には、80年代という時代もあった・・・・。
(つづく)