撮影について(8)頭の固い人々 2005/9/17 [撮影初日(五)聖林式?]
映画界では、今もこう思う人が多い。
「映画はカメラが1台で十分。完成形を想像、計算して撮る。無駄なものは撮らない。それこそが正当な映画撮影である」
その発想。歪んでいると感じていた。

貧しくて2台のカメラが2台使えないのではない。1台で十分だと言う意味。
経済性だけでなく、心まで貧しくなっているような気がする。
金がなくて腹一杯メシを食えないのに、強がって「俺は腹へってないから、食べたくない」と言っているような状態。
いや、それならまだ本音は、メシを食いたいのだ。
が、先のような撮影法をする映画人たちは、予算が少ないので仕方がなくしているのではなく、「これこそが正当派で、伝統的な日本映画の撮影法なんだ」と信じ込んでいる。
致命的な気がする・・。
(つづく)
「映画はカメラが1台で十分。完成形を想像、計算して撮る。無駄なものは撮らない。それこそが正当な映画撮影である」
その発想。歪んでいると感じていた。

貧しくて2台のカメラが2台使えないのではない。1台で十分だと言う意味。
経済性だけでなく、心まで貧しくなっているような気がする。
金がなくて腹一杯メシを食えないのに、強がって「俺は腹へってないから、食べたくない」と言っているような状態。
いや、それならまだ本音は、メシを食いたいのだ。
が、先のような撮影法をする映画人たちは、予算が少ないので仕方がなくしているのではなく、「これこそが正当派で、伝統的な日本映画の撮影法なんだ」と信じ込んでいる。
致命的な気がする・・。
(つづく)