50年ぶりに再発した喘息を考える。つまらぬ人間関係は斬る? 02-07 [2023年2月 喘息、戦い]
50年ぶりに再発した喘息から考える。つまらぬ人間関係は斬る? 2023-02-07
原因は「強いストレスと体力的に限界を越える日々」のようだ。体力的限界に関しては毎度のことであり、1本の映画を完成させると数ヶ月寝込む。となると喘息が再発したのは、ストレスに大きな比重があると言うことだ。
この数年、劇映画ではなく、ドキュメンタリー映画を撮っている。そのストレスは劇映画を越える。劇映画は素晴らしいスタッフがいてくれ、大きなる力でサポートしてくれる。超人のような俳優たちが僕の思いを形にしてくれる。もちろん大変なこともあるが、みんなの力で乗り切ることができる。
ドキュメンタリーもまともな作品は劇映画と同じだが、この数年かかっているのは、ほぼ1人の戦い。カメラマン、アシストタント、ドライバー等はいるが、僅か数人のクルー。劇映画に対して予算は遥かに低い。
そのために僕自身が多くのパートを兼ねねばならない。自身で証言者に交渉。取材場所から日時時間まで全て決めねばならない。
予算があればPを雇えばいいのだが、多額の人件費が出て行く。そのために何かを削らねばならない。結局は取材回数を減らすことになる。8回の取材が7回に。
いや、そんなものでは済まない。Pを1人取材ツアーに連れて行くだけで、さらに旅費、宿泊費、食費が必要。取材は5回以下に減らさねばならない。それは取材チャンスを失うと言うこと。作品クオリティが下がると言うことなのだ。だから僕がpも兼ねる。これで1人分の人件費と交通宿泊費を削れる。
劇映画でも僕は7人分の仕事をするが、ドキュメンタリーはそれ以上。ストレスも同様に人数分だけ増えて行く。また、この種の作品は困ったちゃんが出て来て、悪意のない妨害を始める。取材対象者から罵倒されることもある。
直前の取材拒否。ドキュメンタリー制作を理解していないのに、あれこれ口を出してくる関係者。一番、邪魔し足を引っ張ったのがスポンサー!ということもあった。制作会社が無理難題を押し付けて来ることある。
また、嫌がらせ、誹謗中傷。ツイッターで僕の実名を上げて批判する人、地元でコソコソ言いふらす人。完成した作品をオクラにしようとした団体さえ存在。3本の作品を撮る間には、本当にいろいろなことがあり「お前、殴ったろか!」と思ったことは数知れず。
それでも毎回、制作費が3倍なければ出来ないクオリティの作品にして来た。そんなことが続き、ストレスと疲労で体がボロボロだったのかも知れない。60代になり、体力も衰えて来て、いつものように過労でダウン....だけで済まなかったということだろう。
だが、それを後悔するものではない。ギャラが安かろうが、体を壊そうが、素晴らしい作品を作るのが仕事。毎回、遺作と思っている。今回だけは、まだ遺作には出来ないが(劇映画の沖縄戦を撮らねば!スポンサーはまだいないが)それぞれの作品は多くが知らない現実を伝えた。
テレビやメジャー映画会社は絶対に作れない内容。意味あるものだ。だからこそストレスや邪魔者は排除して、3作目の完成を目指さねばならない。
ストレスを持ち込んでくる者は、例え悪意はなくてもブロック。あれこれ頼まれごとは気が引けてもお断りして行く。FB友達の、これまでは余程でないと「友達削除」はしなかった。
以前、応援してくれた人が憎しみを込めて批判を始めたりしても「何かあったのだろう?」と受け止めたが、その種の誹謗中傷もストレスになる。
最近、一番問題なのは悪意のない人たち。笑顔で近づいてきて、掻き回す、手伝うと言って邪魔をする。その認識がゼロ。本人は応援、お手伝いしているつもり。
いい奴だから、悪い奴じゃない、長年の「友達」だからと我慢して耐えていると、強度のストレスになる。喘息が長引くだけなのだ。今も、取材中のトラブルを思い出しながらこの記事を書いているだけで、咳が止まらなくなった。喘息は精神的なものが大きい。
あれこれ書いてて、僕はどうもストレスを抱え込みやすい性格のように思える。だから現実生活の中でも、小さな「しがらみ」は断ち切り、距離を置いてストレスを抱えないようにせねば。そして時間と体力は全て作品に注ぎたい。
昨夜も発作との戦いだった。8日目 02-05 [2023年2月 喘息、戦い]
昨夜も発作との戦いだった。8日目 2023-02-05
昼間も咳は出るが胸を冷やすと止まる。なのになぜ、夜になると冷やしても止まらないのか?そのことで毎晩、悪戦苦闘している。「俯瞰して考えろ!」と自分に言い続け、その原因に気づいた。
夜になると気温が下がる。部屋を暖かくすると、咳の発作が起きる。低目の室温。咳を抑える。だが、寒い。既に内臓機能も低下しているし、睡眠も十分取れていない。食欲はなく栄養も足りない。体は弱っている。当然、免疫力も低い。
夜になると寒さでさらに機能が下がるので、ウイルスや病原体が活発化。攻撃を受ける。その種のものは既に体内にいる。或いは外部からやって来て体内に侵入。免疫力が低いと抑え込めず、暴れ始める。免疫力が低く、外部侵入物体を撲滅できないとき。体は最後の手段を選ぶ。熱を出して撲滅するのだ。
よく勘違いするのは、熱が出ると「熱を下げよう」と解熱剤を飲むが、それは体が戦っているのを邪魔し、ウイルスに加担する行動。よほどの熱でない限り、下げようとせず、大人しく戦いを見つめることが大事なのだ。
で、気づいたこと。僕は現在、体調不良。睡眠不足、栄養不良。体はボロボロ。夜になると寒いので、余計に体は弱っている。それを狙ってウイルス等が攻めて来る。
体は熱を出して戦う。そのために夜になると、体が温まり、咳の発作が出てしまうのだ。冷えピタシート等で胸を冷やすが、追いつかない。昨夜計ると38度もあった。これでは氷枕でも簡単に行かない。これが真相だと分かる。
なんとも厄介な構図だ。体はウイルスから健康を守るために熱攻撃。そのために喘息の発作が出る。室温を上げ体を温めれば免疫力が上がり、ウイルスを撃退できるが、そのためにやはり発作が出る。
もう、スタンド攻撃か?!というレベル。どちらにしても、発作に襲われるということ。ただ、それでも、昨夜もあれこれ足掻きながら夜中過ぎには寝た。水ばかり飲んでいるので、1時間ごとにトイレに行きたくなる。
そのために目が覚めてしまうのもマイナス。あと、取材から戻ってからは本当に食欲がなく、ダイエットしていても、もっと食ううだろう?と言う感じ。それが昨日あたりから「食べねば!」と言う気持ちが起きて来た。
帰宅8日目。この1週間は苦しいという言葉では表現できない日々。夜中に病院に行こうかと何度も思った(が、特別な治療は期待できない。既に薬はもらっている)が、細かく見ていくと、少しずつは回復していることを感じる。
病は希望を奪い、性格を変えてしまう?根性だけではダメ? 2月4日 帰宅1週間 [2023年2月 喘息、戦い]
病は希望を奪い、性格を変えてしまう?根性だけではダメ? 2月4日 帰宅1週間
昨夜も、寝ようとしたら、また咳がとまらなくなる。冷えピタを胸に貼るが止まらない。室温を下げるがダメ。暖房していない寒い部屋に行く、20分ほどで咳が止まる。「部屋をあたたくしても、気管支を冷やせばいい!」と分かったのだが、ベッドに入るとどうしても体全体が温まり、咳が出るのだ。
咳と格闘と数時間。何か、気づかない問題がベッドルームにあるのか?この数日も咳が酷く、寝るまでに数時間、睡眠時間が短くなる。体力が回復せず、体調悪化が続く。そこで戦法を変えて、仕事部屋で寝ることにした。椅子に座って寝る。弱めにエアコンを入れ、胸を保冷剤で冷やし。真冬用のコートを着て、足元は毛布。
0時過ぎに寝れた。目が覚めたのは午前8時。7時間ほど寝られた! これは記録!このところ睡眠時間は3時間が続いていた。数日分の睡眠時間だ。そのせいか?朝から食パン2枚を食べた。このところ全く食欲がなく、食パン(8枚切り)1枚にポテトサラダを挟んで食べるだけで満腹。その上、必ず胃がもたれた。
これは内臓機能も低下しているからだろう。目眩も続いているし、気力も減退。呼吸もしづらい。それらを打破するにはしっかり食べて、しっかり寝なければならない。だが、そのどちらも出来ないことで、さらに体調が悪化している。気持ちはどんどん暗くなり、希望が見えなくなる。以前は「根性があれば病気なんて!」と思っていたが、病気になり健康が損なわれると、その根性が出ない!
以前にお世話になっていた聡明な芸術家の先生。癌になり本当に下らない人になってしまった。それを思いだす。やはり病は希望を奪い、人を歪めてしまう。それを痛感した。僕の場合。数年に1度、過労でダウンし寝込むが、それ以外で病気はほとんどしていない。
入院もない。コロナにも罹らない、インフルエンザも経験なし、風邪も数日寝れば治った。(だからワクチンも打たない)だから、根性があれば病気にならない?!と思っていたが、今回は参っていた。
だが、昨夜、長めに寝ただけで気分がいい。食パンも2枚食べた。「寝る」=>「食べる」が回復への道。ここから反撃を始められるかも?
昨夜も1時間ごとに目が覚めた 2月3日 帰宅6日目 [2023年2月 喘息、戦い]
昨夜も1時間ごとに目が覚めた 2月3日 帰宅6日目
昨夜も1時間ごとに目が覚めたが、朝まで寝られた。それと昼間に数時間眠れたことが大きい。いずれもベッドに座ったままだが、睡眠による疲労回復は大切だ。
先の取材で疲労困憊。それをまず回復せねばならないのに、喘息により熟睡できない。体を暖かくできない。と厳しい状況。通常、病気なら暖かくして寝ることが最良の対処。その二つができないところに喘息の面倒臭さがある。
現在も体が温まると発作が起こりそうになり、急いで上着を脱ぎ、冷えピタシートを胸に貼る。1日中、その繰り返し。何もできない。それでなくても呼吸がしづらい。気管支が狭くなるのが喘息の原因なのだ。呼吸がしづらいので歩くと苦しい、階段はもう地獄。重い荷物は持てない。ストレス大敵。なのに、その全てを先の取材でやってしまった。
悪化しない訳が無い!が、どうしても必要な取材だった。僕の健康は二の次。とはいえ、回復しないと編集できない。ここまで悪化するとは想像しなかった。帰宅してから明日で1週間。前回は帰宅してから7〜10日で夜も横になって寝れるようになった。同じ展開を期待するなら、今日くらいから少しずつ回復していくはずだ。
健康状態。続報。2月2日 帰宅5日目 [2023年2月 喘息、戦い]
健康状態。続報。2月2日 帰宅5日目
昨夜もタオルで包んだ保冷剤を胸に抱いて寝た(もち、座ったまま)だが、午前3時に咳が出て目が覚める。それから朝まで発作直前のバイブレーションに何度も襲われた。保冷剤を冷いものに変え、胸に当てるが収まらない。息がしづらい。外に出て夜風に当たるがダメ。次第に体を冷やしても咳が止まらなくなる。
昼間も同様だった。以前は咳が出始めれば、上着を脱ぎ、Tシャツになれば収まった。なのに今はダメ。時間を掛ければ収まるかもしれないが、シャツ1枚で冬の部屋で過ごすのは厳しい。体を温めると咳が出る。やがて発作に。体を冷やすと咳は止まるが、寒くて震えがくる。体調も悪化。食欲もない。
気管支を冷やすのは難しいことに気づく。位置は分かるが、その中のどこ?全体を冷やしているのに、咳が止まらないことも出てきた。昨日はずっとそんな感じで、何も集中できない。以前なら夜、寝る時にだけ咳が出たが、今は四六時中。完全に悪化している。
前回は寒い取材先から戻り即、病院に行き薬をもらい。7〜10日ほどで横になって寝られないようになった。今回も寒い取材先から戻り、薬はすでにあるので休養体制に。前回も今回も取材ではかなり歩き、重いものを運び。ストレスも半端なかった。1人で数人分の仕事。ま、今回はカメラも自分で回したし。それらがきっけで、取材後半戦で喘息が出た。今でも取材時のことを思い出すだけで、咳が止まらなくなる。イライラの連続だった日々がやはり、物凄いストレスとなり喘息を呼び起こしたのだろう。
そのせいか?今回の方が症状がひどい。ま、完治していないのに激しい取材に行ったので当然か? 今回は帰京して5日。前回と同じならあと5日くらい静養すれば、横になって寝れるはず。だが、症状は前回より悪い。とりあえず、担当医の出勤日が来週にある。一度、相談に行ってみよう。
喘息に負けるな! 冷えピタシート作戦? 02-02 [2023年2月 喘息、戦い]
喘息に負けるな! 冷えピタシート作戦? 2023-02-02
昨夜は保冷剤作戦で何とか切り受けたが、問題はまだ山積みだ。最終取材ツアー以前は夜、眠る時以外には咳が出なかった。しゃべると体が温まり咳が出るが、室内でTシャツ1枚になれば咳は収まった。
ところが、今は昼間でも咳が出る。シャツ1枚になっても止まらない。外に出ても十数分しないとダメ。寒くてその間に風邪を引いてしまう。以前は昼間の作業ならできたが、今はそれさえも出来ない。部屋に戻りベッドで横になることは出来ない。暖かい部屋でリラックスすることも出来ない。体調不良がいつまでも治らない。
風呂に入っても体が温まると咳が出る。逃げ場がない。おまけに食欲がまるでない。最終ツアー以前はそこそこ食べたのだが、もうダメ。回復し切らないのに無理して出かけたので、より症状が悪くなったということだ。
体を温めないと回復できないし。免疫も上がらない。でも、昼間から冷却材を胸に当てるのも難しい。室内を歩くだけでも面倒。そこで考えた。「熱覚ましシート」というものがあるジャないか!アレなら胸に直接貼れる!早々に購入。気管支周辺の熱を取ってくれる。
「10時間持続!」というシートだが、2時間ほどで冷たさが失われる。熱を吸い過ぎて、単なる暖かシートになってしまう。今夜は何度もこれを張り替え、寝るときは保冷剤作戦を実施。とにかく、現時点では疲れるばかりで静養が出来てない。復活せねば。
太田隆文監督・最新作 「明日にかける橋 1989年の想い出」特報④ 2018年6月30日(土)東京先行公開 有楽町スバル座にて [告知]
昨夜の夜もかなりキツかった。1月31日 帰宅3日目 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜の夜もかなりキツかった。1月31日 帰宅3日目
これまではベットで横になると咳が出た。座って寝るようにしている。が、座っても布団をかけると咳が出る。
つまり、発作に繋がるのは「横になることで気管支が圧迫される」「体が暖かくなることで気管支が狭くなる」の2つである。
ところが、昨夜は横にならなくても座ったままで咳が出た。布団をかぶることで体が温まるから。今までも同じことをしているが、咳が出る体温がより下がったということだろう。
布団を外すと寒くて寝られない。朝までに風邪を引く。布団をかぶれば咳が出る。どーすりゃいいの?
一昨夜も座ったままで、咳が出ることがあった。そのために1時間ごとに目が覚めて熟睡できず。昨夜は1時間ごとどころか、寝られない。布団をかけないと寒すぎる。布団をかけると咳が止まらない。夜中にもう、病院へ行こうかと思ったが、行ったからとどうにもならない。
外に出れば寒くて咳は止まるが、眠れないまま朝が来る。昨夜もろくに寝ていない。究極のスタンド攻撃?だ。
が、あまりに疲れて気づいたら寝ていた。目が覚めるとまた咳が出始めたので、すぐに起きる。それでも3時間くらいは寝れたか?
昼間はまだいいが、夜が戦い。体力がどんどん消耗して行く。回復も遅くなる。喘息攻撃は恐ろしい。
昨夜は特に酷かった。まるでスタンド攻撃? 01-30 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜は特に酷かった。まるでスタンド攻撃? 2023-01-30
ベッドで横になって寝られない。だから座ったまま寝るのだが、1時間ごとに目が覚める。熟睡できない。横になっていないのに、咳が出るようになる。発作の兆候を感じる。
体が温まり過ぎている。が、これ以上室温を下げると今度は風邪をひいてしまう。結局、午前5時過ぎに起き出す。全く寝た気がしない。座ったままなので腰や足が痛い。喘息というだけではなく、体の機能が低下していること感じる。
風呂に入り体を温め免疫力を上げよう。しかし、温まると浴槽でも咳が出る。程度なところで出る。踏んだり蹴ったり。体が温まると疲労回復、免疫アップになるのに、それができない。そして発作が出る。止めるには寒い部屋にいる必要がある。が、それでは回復できず、風邪をひく。
喘息は気管支が狭くなり、呼吸がしづらくなる。歩く、重いものを運ぶは避けないとならない。10歩歩くと息が切れる。アパートの1階に降りるだけでゼイゼイなる。喘息は悪魔のスタンドのように患者を苦しめる。逃げ場がない。
おまけに食欲もなく、目眩も続いている。2−3日はおとなしくしているしかないか?(というより本当に何もできない。しっかりと眠ることすらできない)「眠らせないスタンドか?」これは効くな。
一番遅い便で帰京。 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
一番遅い便で帰京。
少しでも現地にいる時間を長くし取材するため最終便を選んだ。これが本当に最後の機会。ただ、羽田に着くと深夜で交通手段がない。脱都会生活で僻地に住んでるので、電車もバスも終わったあと。空港周辺で一泊。東京の気温は1度!那覇は16度だったのに。
喘息で気管支が弱り、呼吸がし辛い。少し歩くと息が切れる。さらに重い荷物が3個。空港内を移動するだけでも、何度も休憩。歩いていても、お年寄りに抜かれる。
翌朝。再び空港ヘ。シャトルバスで最寄り駅まで行けるので、バス停まで行けば、あとは何とかなる。が、喘息とは別に最近頻発する目眩が襲って来た。さあどーする?体調不良での追加取材。現地で収まっていた喘息が悪化。まさかや!でも、この取材は行かねばならなかった。成果も上がった。あとは帰るだけ。帰宅できたら、報告。
沖縄ツアーを終えた後。ドキュメンタリーの追加撮影へ! 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
HeavenHeaven@辺野古
沖縄ツアーを終えた後。ドキュメンタリーの追加撮影へ! 2023-01-29
沖縄の本屋。正面がこれ。さすがだ!
ランチ。食欲なし。
この体力で発作と戦いながら、
無事に帰宅できるだろうか?
ま、泳いで帰るのではないが!
チムどんどんの海へ行き
取材終了
突然ですが、沖縄にいます! 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
体力と病との戦いになって来た? 01-19- [2023年1月 喘息、50年ぶり]
体力と病との戦いになって来た? 2023-01-19-
まだ、詳しくは書けないが、近々に短期間だが編集以外の仕事が始まる。思い出すのは、昨年の今頃。「乙女たちの沖縄戦」編集なのに、映画依頼より以前に受けた仕事がいくつもあり、神経が切れかけた。
「編集作」とその他の仕事は脳の使う部分が違い、簡単に切り替えが効かない。ま、僕が不器用なだけかもしれないが、集中力というのはそういったものだ。
なので今年はできる限り、受けないようにしようと考えた。が、どうしても沖縄戦関係の仕事は断れない。意味も意義もある。ということで2つだけ引き受けた。その1つが近々始まる。編集の仕事は一時休止か?夜だけ作業するか?そういう対応になる。
脳の問題もあるが、それより問題なのは体力。その体力の限界を超えて仕事を続けたことが、50年ぶりの喘息再発に繋がった。咳の発作で夜寝られない日々が2週間も続いた。寝られないので体力はさらに低下。当然、集中力も下がる。本格的に編集ができない。病院に行き危ない薬をもらい10日。ようやく発作は止まったが、完治した訳ではない。
今回の別の仕事は体力も必要。歩き回る。遠くへ行く。それで体力が持つだろうか?再び体調不良に陥らないか? そんな不安がある。さらに、その準備に時間を取られ、数日前から編集作業も出来ていない。問題はいろいろある。
沖縄戦ー元・白梅学徒、中山きくさんが死去。01-14 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
沖縄戦ー元・白梅学徒、中山きくさんが死去。1年前にインタビューしたばかり。
2023-01-14
元・白梅学徒で僕の監督作「乙女たちの沖縄戦」でロングインタビューをさせて頂いた中山きくさんが昨日、亡くなった。「次、沖縄に来られたら必ず連絡してくださいね!」と言われていた。なのに、再度お会いできないままの別れとなった。
写真はインタビュー前の打ち合わせ風景。会議室を借りて、そこでお話を伺った。それが一昨年の12月。春には完成。昨年の夏に全国公開。東京、大阪に続き、沖縄でも上映され、きくさんも見てくれた。とても喜んでくれた。
映画を見た日に電話をくれた。「こんなに立派な映画にしてもらえて....」と「ありがとうございます」と何度も言われた。「映画のポスター、私の部屋に貼ってあります」とも。インタビュー前に、沖縄戦を伝えること。死んでいった同級生の思いを伝えること。それが残された自分の使命だともおっしゃっていたこと。思いだす。
インタビューからほぼ1年。そのきくさんが亡くなった。最後のロングインタビューになってしまった。早くDVDを発売して、お届けしたい。そう思っていた矢先。きくさん。沖縄戦のお話、たくさん聞かせてくださり、ありがとうございました。
「乙女たちの沖縄戦」をこれからも1人でも多くの人に見てもらい、きくさんや、同級生の皆さんの思い、悲しみ、そして戦争とは何なのか?伝えて行きます。
訃報記事1=>https://www.asahi.com/articles/ASR1F6QK8R1FUTIL03S.html
記事2=>https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1646507.html
記事3=>https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1087557
回復へは♪「3歩進んで2歩下がる〜」の繰り返し 01-08 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
2023-01-08
過労でダウンしても、自宅入院生活を続けると少しずつ良くなって行く。
ところが、ある日、特別なことがないのにまた体調不良が酷くなる。
僕はそれを「3歩進んで2歩下がる〜」状態と呼んでいる。
体調回復というのは、階段を登るように良くなるものではない。
今回も一昨日がそれだった。原因が考えられないのに体が重い。
もしかしたら寒さで風邪をひいた? メチャやばい!
毎日、咳をしているが、風邪やコロナではない。喘息だ。
体が温まると咳が止まらなくなる(だからベッドに入ると発作が起きる!)
そこで風邪をひかない程度に部屋を寒くしている。
そのバランスが微妙。
それに失敗して風邪をひいたか?と思ったが、熱はない。
が、これも「3歩進んで2歩下がる」状態と考えて、その日は無理しないようにした。
食欲はないが、しっかり食べた。疲れが酷く、午後から仮眠。
考えるに喘息が再発してはいるが、仕事は続けている。
年始年末はかなり抑えた量だが編集作業。
気づくと年始年末は1日も休んでいない!
毎回、そうだが、休むということを忘れる。休むのは疲労困憊で倒れる時だけ。
そんなことをしているから過労でダウンし、
医者に「休まないと死ぬよ」と毎回言われるのだ。
ただ、今回も締め切りがある。それに間に合う進行が必要。
なのに過労と、体調不良と、喘息で、まだまだ、力が出ない。
気持ちは焦るばかり。
ということで、休まず作業を続けていた。
と言ってもいつものように起きてから寝るまでではない。
それでも疲れるものなのだ。
ここはセーブしようと昨日は仕事少な目に。
ここしばらく酒を飲む気がしない。
もう10年以上、毎晩飲んでいたのに(1人で自宅で飲むのだけど)全然、飲む気がしない。
夏の終わりに倒れてからしばらくは体調を気にして(胃も弱っていたし)飲んでなかったが、
秋になり、「そろそろ大丈夫か?」と飲んでみた。
缶ビール1杯で頭がグルグル。体調はまだ回復していない証だ。
その後、冬が来て、師走。正月というのに「飲みたい!」という気が起きない。
まだ体調が悪いということか?
こんなことは20歳を過ぎてから初めて。原因が分からない。
ま、飲んでしまうと緻密な仕事ができないので、
飲まない方が夜遅くまで作業ができていいのだが....。
ま、60代になるといろいろある。
また、今回の仕事は単に映像を繋げばいいというものではない。
あれこれ考えながら、編集というより「作り上げていく」ことが大事。
また、その辺は別の記事で書かせてもらう。
昨夜も横になって寝ることができた。01-05 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜も横になって寝ることができた。2023-01-05
最初はおっかなびっくり、横になり布団に入る。気管支がゼーゼー言い出したら危険。すぐに布団から出て窓を開け、体を冷やさねばならない。喘息は横になる。温まる。と発作が出る。3時間は止まらない。呼吸困難になる。息ができない。
布団の中で咳をする。やば!起き上がる。が、発作にはならなかった。もう一度寝る。緊張してなかなか寝れない。1時間ほどして気づいたら寝ていた。昨夜も無事に寝ることができた。3週間。ベッドの上に座ったまま寝ていたので、横になって寝れる幸せを感じる。
ある友人からも「自分も何十年ぶりかに喘息が再発。過度のストレスが原因でした。仕事を辞めると治りました」とコメントを頂いた。確かにそれも大きいと思える。昨年1年はストレスの連続だった。まあ、映画作りはストレスとの戦いなのだけど、特にドキュメンタリーは過度のストレスと対峙せねばならない。
昨年の夏は困っちゃんが複数登場。プロジェクトをかき回してくれた。彼ら彼女らに悪意はなく、むしろ善意だったりするが、そのために多くが迷惑。すでに過労でダウンしそうな私には大きなダメージとなった。やることをやらず、やってはいけないことを次々にやってしまう。若者ならまだ分かるが、皆、50を超えた人たち。精神的にボロボロになる。
映画製作でのストレスは毎度のことだが、それら困ったちゃんズ(複数)の登場はここ10年なかったこと。(それ以前は困ったちゃんどころか、明らかに悪意を持って邪魔をするP等がいて、精神的にも経済的にも体力的にもボロボロになった。が、まだ若かったので切り抜けたのかも)久々の登場が、60代で疲労困憊の体を打ちのめしたのではないか?とも考える。
やっと、横になり眠れるようになったので回復も進むだろう。まだ、体力回復はしておらず、近所のスーパーに行くのが精一杯だ。そして今も時々、眩暈を感じる。これは夏の終わりからだが、何が原因なのだろう? 気になる。
昨夜、ようやく横になって寝ることができた。 01-04 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜、ようやく横になって寝ることができた。 2023-01-04
おっかなビックリ、ベッドで横になる。
気管支がゼーゼー言い始めると急いで起きねばならない。
咳の発作が起きると、起き上がっても、薬使ってももう止まらない。
3時間ほど咳が続き、呼吸困難にもなる。
だから、慎重に横になる。ゼーゼーが来ない。
30分経過。大丈夫。
で、そのまま寝てしまった。
3週間ずっと座ったまま壁にもたれて寝ていたが、
ついに横になり寝ることができた。
やはり熟睡できる。
何より喘息が再発したの原因は体力の低下。
回復のためには寝るのが一番。それができないのは本当に辛かった。
薬も大事だが、体力を回復することで、体調も良くなり、治癒力が上がり、
免疫も上がり、病を克服する。
簡単にいうとアレを打ったような状態。体のさまざまな機能が低下。
そのために持病が50年ぶりに再発したのだ。
もし、打っていて、この状態になったとしても、喘息で窒息死すれば、
本当の原因は分からないだろう。打ってないけど。
ただ、喋ると咳が出る。体が温まる体。YouTubeの収録はかなりきつい。
動画を見てもらうと咳を連発。
でも、実はあれでもかなり咳の部分をカットしている。
経験者に聞くと薬を飲み始めてからでも、治癒までに1ヶ月はかかると言われた。
薬をもらってから2週間。
まだ、もう少し、かかりそうだ。
さて、年越しそば。どれにしよう? 12-31 [2022年12月 喘息、発症]
さて、年越しそば。どれにしよう? 2022-12-31
(2年後の私から)
3ヶ月後。4月1日から人生最悪の悪夢が始まること。
全く知らない。呑気な私。
人生。何が起こるか?分からない。
夜、寝るときには咳の発作は出なくなったが? 12-31 [2022年12月 喘息、発症]
夜、寝るときには咳の発作は出なくなったが? 2022-12-31
というか座って寝るのが上手くなったからかもしれないが、睡眠は取れるようになる。
朝、起きると沼から這いずりでるような感覚。
これは疲労回復が進んでいる証。だが、しゃべると咳は出る。
昨日、YouTube動画用に「年末スペシャル」を収録したが、5秒に1回咳が出る。
トークにならない。
で、薄着になり窓を開けて収録。どうにか15分ほど話した。
夜、友人に電話をかけたが、同様。5秒に1回咳。会話にならない。
まだまだ、喘息は進行中のようだ。
ただ、体力は少しずつ回復中。
もう少し休めば日常生活は問題がなくなるはず。
もう一つの問題。目眩。2日か続けて午後から真っ直ぐに歩けなかった。
そんな時は肉類をしっかり食べると止まる。
原因は低血圧。
ところが昨日は目眩なし。血圧は低いまま。何が原因なのか?
喘息よりこちらの方が怖いものがある。
まあ、60代になるといろいろあるものだ。
が、これらは警告のようなもの。
そららに注意することで、60代もどうにか生き延びることができるかもしれない。
長生きしたい訳ではない。今、かかっている作品は完成させないと死ねない。
何より、劇映画の「沖縄戦」を作るまでは死ねない。
それこそが遺作になってもいい作品。
そのためには健康に気をつけたい。
今年もあと数時間。来年はいろんな意味でいろんな展開があるはず。
楽しみだ。
病院に行って11日目。次回は来年の第二週に通院。 2022-12-30 [2022年12月 喘息、発症]
病院に行って11日目。次回は来年の第二週に通院。 2022-12-30
今も座ったまま寝る。横になって寝ると咳の発作が数時間続く。
呼吸困難になり、かなりやばい。
が、朝起きると横になっている。薬が効いて来たのか?体力が回復して来たのか?
ここ数日、発作は出ていない。出ないように努力もしている。
朝起きた時、泥沼から這い上がる疲労感がある。
こんな時は回復中。よく寝られたということ。
パチ!と目が冷めた時は深い睡眠を得られなかった時。
呼吸はまだし辛く、体力は落ちたままだが、少しずつ回復しているのも分かる。
ただ、ここ数日、また眩暈が頻発している。真っ直ぐに歩けない。
ファーーとした空間にいるようで、やばい。これは夏に2度目のダウンをしたあとと同じ症状。
あの時は飲まず食わずに数日間寝続けたことで、
栄養が補給されず、血が足りなくなったと思えた。
しっかり食べて、血を作る。
かなり食べたが、体重は増えなかった。栄養は全て血になってしまったのだろう。
その後、体重も増え始め、眩暈も亡くなった。
ちなみに、眩暈が起こるのは血が足りなくて血圧が低くなるからだと判断。
同じ症状がここ数日、また起こり始めた。
血圧を測るとかなり低い。一時は正常値だったのに。
そこで眩暈を感じると、しっかりと食べることにした。
肉類中心。1時間ほどで眩暈が止まる。
体重もこの数日は減るばかり、食べても増えない。
これも前回と同じ。だが、前回の原因は数日間、食べずに寝込んだこと。
今回はそれはなかった。むしろ、取材ツアーではかなり食っていた。
理由が分からない。血が漏れているのか?
しかし、トイレで赤いものも出ない。
もしかしたら、血が足りないのではなく、糖分が足りなくて目眩を起こすことはないか?
咳の発作はこの数日、起きてないが、眩暈に悩まされている。
何はともあれ、栄養補給と休養(睡眠)で体調の回復をすることが大事。
免疫と治癒力を上げることだ。
あれを打つのと逆のことをすれば良くなるはずだ。
少しずつだが、体調が回復していることを感じる。 12-29 [2022年12月 喘息、発症]
2022-12-29
昨夜、久々に横になって寝てみた。以前なら数分で喉がゼーゼーして発作がやってきた。
が、昨夜はなかなか来ない。
「行けるか?」と思ったが、30分くらいすると、予感を感じ、起き上がる。
結局、座ったまま寝たが、朝気づくと横になっていた。
寝てしまうと横になっても咳は出ないのか? 体調の回復によるものだろうか?
薬が効いてきたのか? 取材を終え、帰り着いた時はもう、体力ゼロ。
ウルトラマンのエネルギーが切れた状態はこんなか?
と思えるほど。
それが帰京して1週間。
座ったまま寝ても、かなり寝られるようになった。
もともと呼吸器が弱い上に、昨年暮れから休みなしの仕事で、疲労困憊。
体の機能が著しく低下。そこに取材でかなり運動?
重いものを持って歩いたり、階段を延々と上がったり、
そんなで体が痛めつけられて、呼吸器がさらに機能低下。何度も息ができなくなった。
もう、ダースベーダーになるか?と思えたほど。
帰京してからも5分の距離のマーケットに行くだけで精一杯。
おまけに寒いので、気管支が冷えて行くのを実感。呼吸がし辛買った。
それが最近は苦でなくなった。
体調が少し回復したことで、気管支の機能も少し戻り、寒さにも耐え、
呼吸もしやすくなったのだろう。
薬の効果もあるはずだ(実感ないけど)ま、
60代とはいえ、60代だからまだ回復もする。
これが70代ならこうは行かないかもしれない。
ま、そもそもは1人で7人分の仕事をするから、30代から過労で何度も倒れている。
その延長線にいるだけなのだが、加齢を重ねると昔のようには行かないことも痛感。
デビュー以来、コンサートを休んだことのない矢沢永吉でも、
70代に入りついに中止をした。
先日は記念すべき150回目の武道館も健康上の理由でキャンセル。
若い頃のようには行かないということ。
でも、一方でミック・ジャガーは来年80歳。完全にジジイだが、ワールドツアーを計画中とのこと。
クリント・イーストウッドや山田洋次監督は90代だが、現役で映画を撮っている。
60代で根を上げていてはいけない。
その矢沢永吉も60代後半から、あれこれ不調が出てきたという。
最後の折り返し地点なのかもしれない。
友人のベテラン俳優さんも60になってから、
あれこれ体調が悪くなり大変な時期があったという。
いずれにしても60代。
そのスタート時にあれこれあることで教訓となり、注意すれば、後半戦もうまく乗り切れるだろう。
そのための訓示があったのだ、と思いたい。
体力と気力の限界を超えても、休めば回復する。
人間の治癒力には我ながら驚く。
それをあえて落とすようなものを打たなければ、
まだまだやれるはずだ。
この数日、発作は起きていない。12-28 [2022年12月 喘息、発症]
2022-12-28
座ったまま寝る術をかなり体得したのだろう。
しっかりと食べて休養したのもプラスで、
少しずつだが体調も回復しているようだ。
昨日、試しにYouTube動画を収録してみたが、途中で咳が出て何度も中止。
シャツ1枚になり、窓を開けて、部屋の温度をかなり下げることで、咳を少なくして撮影。
どうにか仕上げた。
すでに配信中なので、喘息とはどんなものなのか?
興味ある人は見てほしい
https://youtu.be/26MZoQkXghw
流石に発作状態は撮影していないが、咳が止まらないのは本当に苦しい。
しかし、昨夜は意外によく寝られたようだ。
起きる時に泥沼から這い出すような感覚があった。
これは疲れが抜けて行く状態であり、改善しているということだ。
もう少し、休養したら、編集作業を再開する。
集中できるように申告準備は終了。
資料を税理士さんに届けた。
あとは年賀状書きだ。
一昨日の夜は酷かった。12-26- [2022年12月 喘息、発症]
2022-12-26-
午前1時頃に寝ようとして咳が出始め、発作となる。3時間くらい咳き込んでいた。
寝たの4時過ぎ。もちろん、横にはならない。なのに咳が出た。
出始めると止まらない。止めるには体を冷やすしかない。
窓を開ける。寒い部屋に行く。しばらくすると咳は止まる。
が、その寒さでは寝られない。ベッドルームに戻り寝ようとすると、また咳が出る。
その繰り返し。咳が続くと呼吸困難になる。息ができない。本当にヤバい症状だ。
そこで昨日は考えて、薄着で部屋を温め過ぎず、毛布だけにしてベッドの壁にもたれて寝てみた。
咳が出そうになると暖房を切る。だが、やはり、寒くて寝られない。
そのギリギリの点を模索した。無事、発作が起こらずに朝まで寝られた。
咳き込んで寝られないと疲労回復できず、どんどん泥沼にハマる。
現時点で薬が効いている実感はないし、緊急用の薬は全く効かない。
発作時の飲んでも咳は止まらない。
こうなると体力回復をすること目指すしかない。
先週までの取材ではかなり体力を使い、歩き回り、重いものを運んだ。
その疲労困憊が残っている。まず、そこからの回復。
そもそも、発作が起こったのは気力と体力の限界を超える取材ツアーの最中。
体調が戻れば発作も止まるはずだ。
喘息はウイルスや病原菌ではなく、体質が原因なのだから。
まだ、老人並みの体力だが、昼間は咳が出ない。
領収書の整理や編集の準備は進めている。取材結果を書類化する作業もせねばならない。
そのためにも疲労回復が最優先。
でも、体が温まると昼でも咳が出る。
寒いところにいると風邪をひく。
そこが問題なのだ。
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50年ぶりの喘息再発。報告医シリーズ 2022-12-24 [2022年12月 喘息、発症]
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昼間は平気。だが、夜になりベッドに横になると咳が出て眠れない。
2〜3時間咳が続き、眠くても寝られない。
だから、座ったまま寝る。
ベットの上で壁にもたれて寝る。寝ずらい。
よく眠れない。なかなか眠れない。
寝むるのは朝方。
昨夜が10日目。
座ったまま寝るのも、だいぶん慣れた。
夜行列車で寝たと思えばいい。発作が起こる理由も分かってきた。
①横になる。②体が温まる。③リラックスする。
がいけない。だから、部屋を寒目にする。
でも、そのことで風邪をひく可能性もある。
しかし、暖かくすると咳が止まらない。困った!
昼間は咳の発作が怒らないが? 2022-12-24-1 [2022年12月 喘息、発症]
昼間は咳の発作が怒らないが、 2022-12-24-1
今日は目眩が酷い。
でも、領収書、12月分の貼り付け。
間も無く申告準備が完了。
恐怖の夜が近づいてきた=寝ようとすると襲う恐怖?2022-12-23 [2022年12月 喘息、発症]
恐怖の夜が近づいてきた=寝ようとすると襲う恐怖?!
本日も体力がなく疲労を引きずりながらも、日中は咳で苦しむことはなかった。ただ、なぜか?目眩がまた頻発。水の中を歩いているような感じ。当然、呼吸器が弱っているので呼吸がしにくい。酸素吸入器が必要になるのか?
いずれにしても、疲労困憊と体力低下が背景にあるはず。まず、休養してそこを改善せねば。喘息の薬は毎日、使用している。アメリカ映画でよく見かけるアレ。でも、効いているのか?分からない。緊急用の薬もあり発作時に使うのだが、こちらは全く効果なし?使い方が悪いのか?
とにかく、この20年で一番体力がない。オートバイがあるので買い物にも行けるが、徒歩だと30分は無理。おまけに今日は風が強く寒かった。いや、寒さが身に染みるのは体調が悪いせいもあるだろう。真冬でもバイクに乗るのに、本日の寒さは本当にパスしたかった。
来年、早々のスケジュールが決まった。あと1件あるが、これは近々連絡。これで現在のプロジェクトでの取材は終了だ。編集は体力がなくてもできる。もう数日、休養したら再開しよう。さて、本日は久々に横になって寝たい。
発症から1週間。2022-12-23 [2022年12月 喘息、発症]
発症から1週間。
取材疲れが少し回復したのか?昨日の昼は割に元気。
買い物に出かけた。一度も咳が出ず、これは完治?と思えるほど。
映画でよく見るあの薬も毎晩、服用しているし、
久しぶりに横になって寝られるかも?
なるべく遅くまで起きておこうと
「ジョジョ」と「フランダースの犬」を2本づつ見てから、0時過ぎにベッドへ、
ところがいきなり咳。それが発作へ。
起き上がっても咳が止まらずまた、呼吸困難。
のど飴舐めたり、水を飲んだり。でもダメ。
発作時のみに使う薬も吸引したが、全く効かず。
午前3時頃まで格闘。
結局、またベッドの上に座ったまま寝る。熟睡できないので午前5時頃に目が覚める。
体力回復ができないまま、本日がスタート。分かったこと。
喘息はウイルスではない。体力の回復が大切。
今回、50年ぶりの再発も体調が極度に低下していたのが理由。
そんな時にまた超過密スケジュールで取材ツアー。
まあ、3ヶ月近くも休養したので体調は回復していると思ったのだが、
まだ足りなかったようだ。
とりあえず、もう少し休息して体力回復を試みる。
と言いながら、作業もせねばならない。
体調最悪。もう1週間。横になって寝ていない。2022-12-22 [2022年12月 喘息、発症]
体調最悪。もう、1週間。横になって寝ていない。 2022-12-22
いつもベッドに座って眠る。
横になると咳が止まらなくなり、呼吸困難になる。
とても眠れない。
最終取材ツアーで体力と気力の限界超え、疲労困憊。
その疲れを取るにも眠らなければならないが、それができない。
食欲もないが、とりあえず食べる。
これで食べなきゃ再び寝たきりだ。いや、寝たきりにさえなれない。
横になると咳が出て、呼吸困難になる。
医者の診断だと「喘息」実は子供の頃に患った。
それが50年ぶりに再発。
色々、考えると、この1年は体調悪化するようなことばかりしていた。
仕事で体力と気力の限界に挑戦。1年がかりで減量までしていた。
おまけに60代になった。
いつまでも若いつもりでいてはいけないってことだろう。
とりあえず、数日は休養。簡単な作業のみにする。
しかし、寝られないのが厳しい。
まるで「エルム街の悪夢」寝るとフレディがやってくる!
沖縄取材が終了!そして悪夢の始まり?(後編 12-21 [プロローグ 闘病の始まり]
沖縄取材が終了!そして悪夢の始まり?(中編 12-21 [プロローグ 闘病の始まり]
その後も3日間、横にならずに寝る。
しっかり寝られず疲労回復もできないまま、過酷な取材が続き。
完全に体力の限界超え!
しかし、取材内容は予想以上の大漁!
さらにドン!まであった。
どうにか取材を終えて帰京。かつてない疲労困憊。
翌日は病院へ。
ちなみに、8年ぶり!日頃はめったに医者の世話にはならない。
原因は喘息。
実は小学生低学年の頃に喘息を患ったことがあり、
その後、何もしないのに完治。
なのに60代で再発?なぜだろう?
つづく
(2年後の私から)
この時はまだ、どれだけ酷い病気であるか?
僕はまだ知らない。
2年に渡る闘病になることを想像もしなかった。
沖縄取材が終了!そして悪夢の始まり?(前編 12-21 [プロローグ 闘病の始まり]
体力と気力の限界。最終取材ツアーが終了!2022-12-21
先日、沖縄取材から戻った。
今回は最後の取材。
僕が監督したデオキュメンたりー映画「ドキュメンタリー沖縄戦」
「乙女たちの沖縄戦」に続く第三弾作品である。
その取材の終盤。夜になると咳が出て、呼吸困難!
コロナか?とも考えたが、昼はほとんど咳が出ない。
夜、寝る時だけ。だけど、咳で寝られない。
夜中を過ぎても眠れず、翌日は朝から取材。
寝られないので疲労回復ができず。
横になると、咳が出るので、座ったまま寝ることに!
熱もなく、昼はあまり咳は出ない。症状はコロナではない。
風邪でもない。何かの呪いか?!
つづく
(2年後の私から)
この時は想像もしなかったが、ここから60年の人生で
最悪の月日が始まる。
このブログを公開する理由ー脳梗塞の恐怖。苦しさ。他人は理解しない?何かの参考になれば [2022年12月 喘息、発症]
太田隆文監督作品、公開の年。 [近況報告]
太田隆文監督作品、公開の年。
こちらは公開時期だけを記したもの。最初の2作は完成までに4?5年かかっているが、3作目以降は2?3年で準備、撮影、完成。しかし、あっという間の18年じゃあ。
2006年 「ストロベリーフィールズ」全国公開
2010年 「青い青い空」撮影、地元公開!
2013年 「朝日のあたる家」全国公開!
2015年 「向日葵の丘」全国公開
2018年 「明日にかける橋」全国公開
2019年 「ドキュメンタリー沖縄戦」地元プレミア
2020年 「ドキュメンタリー沖縄戦」全国公開(6作目)
2022年 「乙女たちの沖縄戦」全国公開(7作目)
2023年 (太田監督、ダウン。長期休養)
2024年 「沖縄狂想曲」東京公開。
体が壊れて当然だよね?。18年間、戦いやわ。この間
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