1人暮らしを始めて42年。人に頼ることの大切さを知った。 06-17 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-17
嫁さんがいればな・・・と思った時代もあったが、映画監督業は生活が不安定。全てを映画に賭けた人生。理解してくれる女性、まずいない。また、映画制作は超多忙、寂しいと感じる時間もなかった。
だが、今回は心臓を病み、目がよく見えない、息も出来ない。「家族がいたらなあ〜」と痛感した。買い物、食事、支払い、まともに出来ない状態。病気というのにコンビニで買った、菓子パンばかり食べていた。
僕も意地っ張りで、友人が電話くれても「何とかなる!」と言ってしまう。そして、5分で行けるコンビニに、息絶え絶えで20分もかけて行った。何を考えていたのか? 人に頼ること。考える機会だと思えた。
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今週もしっかり自宅入院生活 06-17 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-17
おはようございます。
今週もしっかり自宅入院状態を続けている。
本来はこんな風に仕事を休み、療養することが大事。
なのに先月は新作映画の仕上げで、あれこれ仕事!
相変わらず無茶をしていた。が、今はスタッフが別の仕事で多忙。
残りの作業は彼らの帰還待ち。
そうしたら疲れきっていることに気づいた!
今週は大人しく病人生活。少しずつだが、よくなって行く実感がある。
そして多くの方からの応援、メッセージに心を支えられている。
感謝。
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死んだ後輩監督の言葉=今も忘れらない。06-16 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-16
40代の後輩がいた。
僕の映画監督デビュー作「ストロベリーフィールズ」を見て号泣した奴。
当時、僕は「デビュー作は遺作!」と言いながら全力投球。
彼に「そんなこと言わずに、何本も映画撮ってくださいよ〜」と言われていた。
アパートが近所で、最寄りの餃子屋で飲んだことがある。
それ以来、よくメール!
「また、餃子行きませんか?」「そろそろ餃子はどうですか?」
と連絡が来た。
そんな彼が監督デビュー。映画が公開された。
だが、その直後に亡くなる。
映画を撮るためにいくつもの仕事を掛け持ち、心臓が弱っていたのだ。
「デビュー作は遺作」になった。
それは俺が言ったことだろ..... 。
彼と同じように、僕も働きすぎで、心臓を悪くして倒れた今。
思い出すのは彼の言葉。
「そんなこと言わずに、何本も映画撮ってくださいよ」
その言葉を噛み締めて、これからも映画を撮り続けたい。
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しっかり鉄分を取る毎日。 06-16 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
多くの人が応援してくれている=痛感する日々。06-16 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-16
僕は決して有名人ではない。多くの人が知る映画監督でもない。
なのに応援してくれる人たち。意外に多いことに今回、気づく。
毎日のように知らない人たちから、励ましツイートを頂く。
「ゆっくり休養してください」「無理をしないでくださいね」
とコメント。100人を超えた。
「太田監督」と書かれているので、僕のことを以前から知る人たちだ。
皆、こんな言葉。
「ゆっくり休んでまた、素敵な映画を撮ってください」
毎回、涙がこぼれる。待ってくれている人がいる。期待してくれている人もいる。
ありがたい。必ず復活します。
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後悔の日々。命の大切さ。 06-16 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-16
おはようございます。
大病をすると、人生を見つめ直すと言う。
まさにその通り。
脳梗塞を経験してから、いろんなことを考える。
死んでしまった人たちに、もっと優しくすればよかった....と毎日考えている。
僕は生き残り、大きな障害が残ることもなかった。
心臓機能は低下、右目が半分ほど見えなくなったが、どうにか生きている。
なのになぜ、あの時。死んで行った人たちに、もっと優しくできなかったか?
何度も連絡しなかったか? 後悔してしまう。
高校時代の親友、若い後輩監督、そして母....。
毎日のように考えてしまう。
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命を削る仕事。ー銀行員と映画監督? 06-15 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-15
友人の父親ー大手銀行の支配人。長時間労働、酒の付き合い。肝臓や胃が壊れて行く。
「何度も入院してこそ、出世する!」
と言われる銀行業界。その父。定年前に亡くなった。
他人事ではないが、父の気持ちも分かる。
映画業界も似たところがある。特に監督業は。
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私はドリー?!「すぐ忘れちゃうの〜」 06-15 [2023年6月 脳梗塞、闘病]
2023-06-15
現在60代だが、脳梗塞前は記憶力には自信あった。
が、今はボケ老人状態。
ま、1年くらいで、記憶力はかなり復活すると聞く。
でも、今は「ファインディング・ドリー」状態だ。
「すぐ忘れちゃうの〜」悔しい!
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