マキの想い出シーン撮影/2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
再び、マキ親父(飯島大介)VS鉄男(波岡一喜)シーン。
前回以上に迫力ある演技、見せてくれる。
さらに、クライマックスの一部として使われる、親父の場面。
マキ(谷村美月)が書いた手紙を読む部分だ。
設定としては朝。夜明けまで飲んだ親父、家に帰る。
外はもう明るい。(照明部さん。外の光を朝に変えてくれる)
部屋に入るとテーブルの上に手紙。「ん? 何だろう」と手に取る。
そこにはマキが秘めていた自分の思いが綴られている。
それを読みながら、親父が涙ぐむ。
先に東陽中学で撮影した「先生たちが手紙を読む」シーンと同様のものだ。
飯島大介さん。テイク1から涙をこぼしながら手紙を読む。
父親の悲哀がにじむ、いい場面となる。
が、まだ、終わりではない。マキ(谷村美月)の回想シーンを撮らねばならない。
(つづく)
前回以上に迫力ある演技、見せてくれる。
さらに、クライマックスの一部として使われる、親父の場面。
マキ(谷村美月)が書いた手紙を読む部分だ。
設定としては朝。夜明けまで飲んだ親父、家に帰る。
外はもう明るい。(照明部さん。外の光を朝に変えてくれる)
部屋に入るとテーブルの上に手紙。「ん? 何だろう」と手に取る。
そこにはマキが秘めていた自分の思いが綴られている。
それを読みながら、親父が涙ぐむ。
先に東陽中学で撮影した「先生たちが手紙を読む」シーンと同様のものだ。
飯島大介さん。テイク1から涙をこぼしながら手紙を読む。
父親の悲哀がにじむ、いい場面となる。
が、まだ、終わりではない。マキ(谷村美月)の回想シーンを撮らねばならない。
(つづく)
再び、マキの父VS鉄男シーン 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
照明部の準備が終わったら、
再び、ゴジラ対ガイガン・・ではなく、マキのオヤジVS鉄男のシーンに戻る。
飯島さんと少々、打ち合わせ。本番に入る。
カメラはバッチリ彼らの側。だが、これも2回撮る。
マキのオヤジ(飯島大介)側と、鉄男(波岡一喜)サイドからとの2回。
こうすれば、両者のアップが撮れる。
日本映画。往々にして、2人が向かい合っているのを、真横から撮りがち。
撮影は1回で済み楽だが、俳優の表情が分かりにくい。
だから、手間がかかっても、2方向から撮る!
(つづく)
照明部の出番! 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
昼間のシーンなのに、とうとう陽が沈んでしまった・・。
どうすればいいのか?
でも、心配ご無用。
庭のシーンは何とか撮り上げた! 残るは室内側だけ。
それなら強い味方がいる。照明部。
ライトを当てて、室内に昼間の光を入れてもらう。
そうやって、マキのオヤジ(飯島大介)と鉄男(波岡一喜)のシーン。
撮影再開だ!
(つづく)
日が沈む! 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
いずれにしても、熱い役者たちのバトルで盛り上がった。
が、撮影したのは、谷村たちいちご娘サイドだけ。
このあとに、マキのオヤジ側の撮影。
もう一度、「熱いバトル」を演じてもらわなければならないのだ。
しかし、本日の撮影は3カ所目。
東陽中学で美香(東亜優)の活躍。その後、移動して美香の家。そしてここ、マキの家と、何カ所もロケした。
それぞれに長い芝居があった。
夏の日は長いといわれるが、さすがに太陽は沈んでしまう。
あたりも、暗くなって来る。
まずい! 同じシーンなのに、片側の場面が明るく、反対側が日暮れでは繋がらなくなってしまう・・。
(つづく)
谷村、参戦!(17-終)天才少女 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
15歳の谷村の中で、マキという感情の起伏の激しい少女が、辛い現実を見て、
48時間というタイムリミットの中にいれば、号泣せずにはいられない。
そう解釈したのだろう。
いや、そうではない。谷村の鋭い感性が無意識にそう感じさせ、演じさせたのだ。
さすが天才少女。その「感受性」と「表現力」を期待してマキ役を依頼した。
シナリオと違っていても、谷村の感じ方は正解。それでOKだ!
この場面。マキのオヤジ役、飯島大介さんと、鉄男役・波岡一喜君の演技による熱いバトル。
そこに谷村が参戦した形。男性陣2人に、負けない熱演だ。
怪獣映画(?)でいえば、ゴジラとガイガンが戦っているところに、アンギラスが乱入。
大暴れというところか?
プロレスでいえば、猪木とホーガンの試合中に、スタン・ハンセンが乱入。場内大混乱というところだろう。
(つづく)
48時間というタイムリミットの中にいれば、号泣せずにはいられない。
そう解釈したのだろう。
いや、そうではない。谷村の鋭い感性が無意識にそう感じさせ、演じさせたのだ。
さすが天才少女。その「感受性」と「表現力」を期待してマキ役を依頼した。
シナリオと違っていても、谷村の感じ方は正解。それでOKだ!
この場面。マキのオヤジ役、飯島大介さんと、鉄男役・波岡一喜君の演技による熱いバトル。
そこに谷村が参戦した形。男性陣2人に、負けない熱演だ。
怪獣映画(?)でいえば、ゴジラとガイガンが戦っているところに、アンギラスが乱入。
大暴れというところか?
プロレスでいえば、猪木とホーガンの試合中に、スタン・ハンセンが乱入。場内大混乱というところだろう。
(つづく)
谷村、参戦!(16)号泣 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
話を戻す。
「会いたくないよ・・」
谷村美月は「お母さんに会いに行こう」と提案する夏美(佐津川愛美)に涙ながら、そう答える。
そのまま、玄関まで歩いて行き、壁にもたれて叫ぶ。
マキ「(皆から離れて叫ぶ)ちくしょーーーーーー試合に出たかったよーーー!何でオレだけ、こんな目に遭うんだよーーー!」
ここは本来、唇を噛み、悔しいさを表現する場面。
でも、それを谷村。悲しみを爆発させる芝居にした。
シナリオには「泣きながら」とは書かれていない。なのに、号泣しながら叫ぶ。
(つづく)
「会いたくないよ・・」
谷村美月は「お母さんに会いに行こう」と提案する夏美(佐津川愛美)に涙ながら、そう答える。
そのまま、玄関まで歩いて行き、壁にもたれて叫ぶ。
マキ「(皆から離れて叫ぶ)ちくしょーーーーーー試合に出たかったよーーー!何でオレだけ、こんな目に遭うんだよーーー!」
ここは本来、唇を噛み、悔しいさを表現する場面。
でも、それを谷村。悲しみを爆発させる芝居にした。
シナリオには「泣きながら」とは書かれていない。なのに、号泣しながら叫ぶ。
(つづく)
谷村、参戦!(15)十代を信じる 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
マキの家の場面。同じだ。
大人から見れば、マキが抱えるのは「小さな悲しみ」かもしれない。
監督的に見れば、こう見える。
「まだ、泣いてもらっちゃ困る。涙で悲しみの大きさを表現するんだ。あとのシーンに取っておかないと!」
でも、それは間違い。大人の解釈で子供たちの気持ちを描いてろくなことはない。
人は年を取ると「若い人の気持ち」が分からなくなるのだ。僕も同じかもしれない。
10代の谷村美月を信じること、大切だ!
(つづく)
谷村、参戦!(14)十代のチカラ 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
そして本日、前半の東陽中学のシーン。
美香役の東亜優が素晴らしい演技を見せた。
あれも、演技力を超えたものがあった・・。
別れ別れになった友達が、もう二度と会えないかもしれない状況。
そんな2人が再会する。
東がそれを想像したときに、自然、「悲しみ」と「嬉しさ」が交差。
何ともいえない素敵な表情が出たのだ。
やはり、10代の感性を信じることが大切。
大人の古びた感性を押し付けて、無理に演じさせてはいけない。
(つづく)
谷村、参戦!(13)決めた 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
いつの時代も、年を取り、おじさんになると、感性が老化して、ズレて行く。
10代の気持ちが分からなくなる。
でも、それに気づかずに「今の若いものはこうだ!」と言ってしまう。
若い人と接する機会がないのに、テレビのニュースだけ見て分かった気になる。
援助交際をし、ドラッグをやり、茶髪で、将来のことを何も考えていない、汚れた連中が若者だと信じ込んでいる。
その感覚で青春映画を作っても、若い人が感動するはずがない。
今回も、おじさんたちの言葉に耳をかさなかったの。正解だった。
本読みのとき。決めた。
谷村や佐津川たち、理解力も鋭い感性もある10代。
この子たちの「気持ち」や「思い」を大切に演出しよう。
それが、10代に伝わる作品作りになる!
(つづく)
谷村、参戦!(12)十代の気持ち 2005/9/18 [撮影2日目(八)マキの家]
おじさんたち。散々批判した。
が、出演者である本物10代。
夏美役の佐津川愛美も、マキ役の谷村美月も、理沙役の芳賀優里亜も、シナリオを読み、感動、ボロボロに泣いていた。
演じる俳優が感動できないものは、観客にも伝わらない。
やはり、出演者に「もうちょっと、勉強してくれよなあ〜」と言われるようではダメ。
おじさんたちに批判されても、10代が感動すればOKだ。
「ストロベリーフィールズ」のシナリオは、このままで正解だ!と確信した。
あのとき、おじさんたちの意見に従い、彼らのいう「今時の若者イメージ」でシナリオを直していたら、大変なことになっただろう。
そこで改めて実感したこと。僕が10代の頃に見て、呆れ返った青春もの。
あのときもおじさんたちが「これが今時の若者だ」と思いながら時代錯誤していたこと。
若い脚本家が「本物の10代」を描いても、「今の子はこうじゃないんだよ」とか言って、改悪してしまったのだろう・・・。
(つづく)
が、出演者である本物10代。
夏美役の佐津川愛美も、マキ役の谷村美月も、理沙役の芳賀優里亜も、シナリオを読み、感動、ボロボロに泣いていた。
演じる俳優が感動できないものは、観客にも伝わらない。
やはり、出演者に「もうちょっと、勉強してくれよなあ〜」と言われるようではダメ。
おじさんたちに批判されても、10代が感動すればOKだ。
「ストロベリーフィールズ」のシナリオは、このままで正解だ!と確信した。
あのとき、おじさんたちの意見に従い、彼らのいう「今時の若者イメージ」でシナリオを直していたら、大変なことになっただろう。
そこで改めて実感したこと。僕が10代の頃に見て、呆れ返った青春もの。
あのときもおじさんたちが「これが今時の若者だ」と思いながら時代錯誤していたこと。
若い脚本家が「本物の10代」を描いても、「今の子はこうじゃないんだよ」とか言って、改悪してしまったのだろう・・・。
(つづく)