照明について/外と室内(終)2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
照明について/外と室内(9) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
「ゴッドファーザーPARTⅡ」で、特に素晴らしい場面。
ロバート・デ・ニーロ扮する、若き日のビトー・コルレオーネが町の顔を役を殺しに行くところ。
屋根づたいに尾行。先回りして、顔役が自宅に戻るのを待ち伏せ。
入り口前の電球を緩めて、あたりを暗くする。
帰って来た顔役は「・・・?」と思い電球を触る。ふぁと光る電球。
と、その光が隠れていたデ・ニーロを闇から浮かび上がらせる。
照明をシナリオ時から、考えて書いたのではないか?
という、光と影を見事に見せた場面だった。
(つづく)
照明について/外と室内(8) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
実は暗くするより、明るい方が簡単。
そしてテレビで見るとき、明るい部屋で見ると、暗い画面は見辛い。
「暗くて見えない!」というクレーム電話が必ず局にかかってくる。
という理由もある。
でも、映画は影と光の芸術。テカテカに明るいと情緒を失ってしまう。
それを今回の『ストロベリーフィールズ』、映画的にしたい。
目標は高い(?)その種の名作『ゴッドファーザーPARTⅡ』
光と影、本当に見事。特に素晴らしいのは、あのシーン・・。
(つづく)
照明について/外と室内(7) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
この撮影法。ハリウッド映画では多様される。
人物にテカテカに光を当てない。明るく撮らない。影がある、暗めの撮影をする。
それに対して日本のドラマ。特にテレビドラマは、テカテカにライトを当てる。
本当に明るく撮ってしまう。人物に全く影がないくらいに明るい。
どこかの国(?)の国営放送のドラマの感じ。
その影響か、映画でも明るすぎる画面。よく見かける。
(つづく)
照明について/外と室内(6) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
照明について/外と室内(5) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
撮影現場を説明する。
まず、昼間の撮影なのにライトを室内に持ち込む。
もちろん、外からの光があるので、本来は照明なしでも撮影できる。
でも、持ち込む。そして、夏美たちにうっすらと光を当てる。
カメラの方は露出を調整、外の庭にある緑も写り、それでいて室内の夏美たちも暗く潰れないようにする。
室内を明るくすることで、外の明るさに近づけて、両方が写るようにしたのだ。
(つづく)
照明について/外と室内(4) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
室内で人物を撮影、窓外が明るいとどうなるか?
スチール写真の撮影で、同じような経験をした人はいるはず。
人物は影のようになり、窓外が明るく写ってしまう。
露出を変えて、室内に合わせて撮影すると、人物は明るく映るが窓外は白く飛んでしまい真っ白になる。
なのに、夏美の家のシーン。夏美たちはしっかりと映りながら、外の緑も美しく写っている。
これはどういうことか? 通常の撮影では、どちらかが犠牲になる。
ここでカメラマンと照明部の力。発揮されたのだ。
(つづく)
照明について/外と室内(3) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
照明について/外と室内(2) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
今回のシーン。
完成した映画を見ても、ほとんどの人は気づかないだろう。
「ただ、普通に写っていただけじゃん?」
とか思うはずだが、少しカメラに詳しい人が見ると・・
「昼間なのに手間かけて、やってるなあ〜」
と分かるはず。そこにはカメラマンと照明部の努力が隠されている。
夏美の家。先に説明したように、人物が座る背景によって役柄を表現している。
将来ある夏美(佐津川愛美)は、背景が抜け緑溢れる庭が見える。
それに対して、暗く沈んだ母親(吉行由実)は壁や襖を背にしているので詰まった感じになる。
(つづく)
照明について/外と室内(1) 2005/9/21 [撮影5日目(三)夏美の家]
「夏美の家」の撮影。
かなり専門的な話を書いた。読んでいて「意味分からない!」という人もいたかもしれない。
でも、もう少しだけ続ける。この日記の意味は、いかにキャスト&スタッフががんばったか?という記録。
しっかりと、書いておきたい。
これまでに説明したのは、「演出」と「演技」そして「撮影」について。
今度は「撮影」と「照明」について書く。
(つづく)
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