美香のケーキの話/今どきの十代(16)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
40代のおじさんたち。同じ質問。「48時間で死んでしまうとしたら、どうするか?」をすると、こうだった。
「今、やりかけている仕事を終わらせたい」
「家族と一緒に、過ごしたい」
あまり時間がかからず、答えが返ってきた。
なのに、十代の子たち。なかなか、答えが見つからない。
淋しい話だ。死ぬ前にすることが、何かが問題ではない。
今、真剣にやっていることがないから、答えられない。そのことが問題なのだ。
貴重な十代という時間を、少女たちは夢中になることがなく過ごしているということ。
だが、時間をかけて、ほとんどの十代が同じ答えをする。
「死ぬまでの時間。友達と一緒に過ごしたい・・」
(つづく)
美香のケーキの話/今どきの十代(15)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
「天国へ行く前に、ケーキを食べるのが十代だ」
それを伝えるのが、この場面の意味ではない。
そんなことしか思いつかない、淋しい人生を送っているのが十代ということ。
「もし、あと48時間で死んじゃうとしたら、どうする?」
シナリオを書く前。そんな質問、何人もの十代にしてみた。
皆、すぐには答えられなかった。
「これをやらないと死ねない!」「死ぬなら、これをしておきたい!」
それがすぐに見つからない・・・。
あまりにも、淋しい話だ・・。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(14)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
10代を理解しようとしない大人に、子供たちの声は届かない・・。
それを表現したのが、「幽霊」という設定。
幽霊になったマキ(谷村美月)。父親(飯島大介)に会いに行くが、姿は見えない。叫んでも言葉は届かない。
映画の中では、幽霊だからそうなる。
だが、幽霊でなくても、生きているときから、マキの声は父には届いてなかったのだ。
つまりマキの姿は、父親に見えていないのと同じ。
それを象徴的に描くために、「幽霊」という設定を使った。
そして、十代の「思い」を表現したのが、あのケーキである。
(つづく)
タグ:幽霊
美香のケーキ/今どきの十代(13)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
それにしても、35歳以上の男性。
人生経験もあり、思慮もあるはず・・・。
なぜ、安易に一部のマスコミ情報を信じ込みのか?
そして、全ての女子高生が「汚れた存在」のように思い込むのか?
そこで気づいたのは、世代の断絶。
同じ日本に住み、同じ町に住んでいても・・
いや、家族で、毎日顔を合わせていても、父は子供たちのことが理解できないことが多い。
子供が何を考え、何を求め、何をしたいのか? 親たちは知らない。
それどころか、先のおじさん発言からすると、十代を歪めて捉えている。
理解し合える訳がない。
そこに今回の映画「ストロベリーフィールズ」のテーマ。見えて来る・・。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(12)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
で、分かって来たのこと。
今時の十代。もちろん、僕らの十代とは違うところはたくさんある。
でも、悩み、傷つきながら、前へ進もうとする姿は同じだった。
親の言動に不満を持ち、友達に共感を求め、答えを探し続けている。
そんな子たちをモデルに、今回の登場人物を作った。
十代、二十代の女の子たち。シナリオを読んでもらう。
「泣きました!」「感動しました!」
と言ってくれた。
四十代のおじさんたちに、読んでもらう。
「今時の女子高生はこんなじゃない! もっと、汚れて不純な存在だ・・・」
ズレているのは、おじさんの方なのは明らか、
理解し合えない溝ができるのも、当然なのだ・・・。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(11)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
おじさん。さらに反論する。
「猫被ってたんだよ! あいつらは演技がうまいからな?」
どうしても、女子高生は汚れて歪んでなくてはいけないらしい。
そういう彼も当然、十代との接点はない。
南カルフォルニア大学映画科、留学時代。アメリカ人でこう言う奴がいた。
「日本には、今もサムライがいる! 皆、刀を持っている」
現代の日本を説明しても、こうだ。
「映画で見た。東京にはいなくても、地方を探せばまだいるはずだ!」
彼もまた、日本人との接点はない。過去に何本かの日本映画で見ただけ。
知人のおじさん。そのレベルかもしれない。
映画やテレビ等の映像による影響力、とても強いということなのか? 或いは人は思い込むものなのか?
(つづく)
タグ:南カルフォルニア大学
美香のケーキ/今どきの十代(10)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
ほとんどの十代。
いろんなことに悩み、傷つきながら、生きようとしていた。
僕らが十代だった頃より、むしろ健気にさえ思えた。
そこで気づく。
マスコミ報道の過激な女子高生は、極々一部の存在ではないか?
そう言うと、あるおじさん(といっても僕と歳は変らないが)。
こう反論した。
「お前の教えていた演劇学校の子たちが、特別なんだよ!」
でも、いくつもの学校で教えた。
今回の映画のために、演劇を志さない女子高生も取材。
マスコミがよく取り上げるタイプの過激な子は、ほとんどいなかった。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(9)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
実は、ここ5年ほど、演劇学校で教えていた。
小学生から、中学、高校、そして20代〜30代まで。
過半数が女の子。いくつもの学校で教えた。
学校帰り、セーラー服やブレザーの制服姿で来る子もいた。
その頃までは僕も、先に紹介したおじさんと同類。
「今時の子は自分が子供だった頃より、スレている」
「現実的で、夢を追ったりせず、すぐに諦め、無難に生きようとしている」
と考えてた。
大人になると、十代の女の子との接点がない。
マスコミ報道で、情報を聞くことが中心となる。
それらはやはり、過激な脚色がされている。
「見た目、おとなしい子ほど、とんでもないことをしている」
とか疑心暗鬼になる記事も多い。
だが、実際に女子高生たちと接してみると、ワイドショーで取り上げられているような子たちは、ほとんどいないことに気づいた・・。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(8)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
答えは簡単。中年男性の情報源は限られている。
サラリーマンは忙しくて、なかなかテレビは見られない。
情報収集はもっぱら、週刊誌やスポーツ新聞。
男性なら分かると思うが、その手の記事は非常に誇張が多い。
「それは酷いなあ。世の中、ここまで来たか・・」
というセンセーショナルな書き方をする。その方が興味を惹き、売れるからだ。
特に女子高生関係の記事になると、かなり過激に書かれる。
もちろん、本当に過激な事件もある。が、一部の話だったりする。
それを雑誌やスポーツ紙では、全ての女子高生が堕落しているかのような書き方をしがち。
多くの中年男性は、それを鵜呑みにしているようなのだ・・・。
(つづく)
美香のケーキ/今どきの十代(7)2005/9/21 [撮影5日目(四)夏美の家]
では、おじさんたちが思う「今どきの女子高生」イメージはどうなのか?
アトランダムにあげてもらった・・。
「援助交際をしている」「ルーズソックスを履いている」「化け物のような化粧をしている」
「金のことしか考えない」「楽して生きようとしている」「いい加減」「無責任」「無気力」「ルーズ」「何も考えていない」
それが現代(注・2001年頃の話)の女子高生イメージらしい。
日常で10代と接する事がないのに、なぜか、具体的なイメージを明確に持っている。
では、そのイメージ・・・・どこで作られたのか?
(つづく)