昨夜の夜もかなりキツかった。1月31日 帰宅3日目 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜の夜もかなりキツかった。1月31日 帰宅3日目
これまではベットで横になると咳が出た。座って寝るようにしている。が、座っても布団をかけると咳が出る。
つまり、発作に繋がるのは「横になることで気管支が圧迫される」「体が暖かくなることで気管支が狭くなる」の2つである。
ところが、昨夜は横にならなくても座ったままで咳が出た。布団をかぶることで体が温まるから。今までも同じことをしているが、咳が出る体温がより下がったということだろう。
布団を外すと寒くて寝られない。朝までに風邪を引く。布団をかぶれば咳が出る。どーすりゃいいの?
一昨夜も座ったままで、咳が出ることがあった。そのために1時間ごとに目が覚めて熟睡できず。昨夜は1時間ごとどころか、寝られない。布団をかけないと寒すぎる。布団をかけると咳が止まらない。夜中にもう、病院へ行こうかと思ったが、行ったからとどうにもならない。
外に出れば寒くて咳は止まるが、眠れないまま朝が来る。昨夜もろくに寝ていない。究極のスタンド攻撃?だ。
が、あまりに疲れて気づいたら寝ていた。目が覚めるとまた咳が出始めたので、すぐに起きる。それでも3時間くらいは寝れたか?
昼間はまだいいが、夜が戦い。体力がどんどん消耗して行く。回復も遅くなる。喘息攻撃は恐ろしい。
昨夜は特に酷かった。まるでスタンド攻撃? 01-30 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜は特に酷かった。まるでスタンド攻撃? 2023-01-30
ベッドで横になって寝られない。だから座ったまま寝るのだが、1時間ごとに目が覚める。熟睡できない。横になっていないのに、咳が出るようになる。発作の兆候を感じる。
体が温まり過ぎている。が、これ以上室温を下げると今度は風邪をひいてしまう。結局、午前5時過ぎに起き出す。全く寝た気がしない。座ったままなので腰や足が痛い。喘息というだけではなく、体の機能が低下していること感じる。
風呂に入り体を温め免疫力を上げよう。しかし、温まると浴槽でも咳が出る。程度なところで出る。踏んだり蹴ったり。体が温まると疲労回復、免疫アップになるのに、それができない。そして発作が出る。止めるには寒い部屋にいる必要がある。が、それでは回復できず、風邪をひく。
喘息は気管支が狭くなり、呼吸がしづらくなる。歩く、重いものを運ぶは避けないとならない。10歩歩くと息が切れる。アパートの1階に降りるだけでゼイゼイなる。喘息は悪魔のスタンドのように患者を苦しめる。逃げ場がない。
おまけに食欲もなく、目眩も続いている。2−3日はおとなしくしているしかないか?(というより本当に何もできない。しっかりと眠ることすらできない)「眠らせないスタンドか?」これは効くな。
一番遅い便で帰京。 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
一番遅い便で帰京。
少しでも現地にいる時間を長くし取材するため最終便を選んだ。これが本当に最後の機会。ただ、羽田に着くと深夜で交通手段がない。脱都会生活で僻地に住んでるので、電車もバスも終わったあと。空港周辺で一泊。東京の気温は1度!那覇は16度だったのに。
喘息で気管支が弱り、呼吸がし辛い。少し歩くと息が切れる。さらに重い荷物が3個。空港内を移動するだけでも、何度も休憩。歩いていても、お年寄りに抜かれる。
翌朝。再び空港ヘ。シャトルバスで最寄り駅まで行けるので、バス停まで行けば、あとは何とかなる。が、喘息とは別に最近頻発する目眩が襲って来た。さあどーする?体調不良での追加取材。現地で収まっていた喘息が悪化。まさかや!でも、この取材は行かねばならなかった。成果も上がった。あとは帰るだけ。帰宅できたら、報告。
沖縄ツアーを終えた後。ドキュメンタリーの追加撮影へ! 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
HeavenHeaven@辺野古
沖縄ツアーを終えた後。ドキュメンタリーの追加撮影へ! 2023-01-29
沖縄の本屋。正面がこれ。さすがだ!
ランチ。食欲なし。
この体力で発作と戦いながら、
無事に帰宅できるだろうか?
ま、泳いで帰るのではないが!
チムどんどんの海へ行き
取材終了
突然ですが、沖縄にいます! 01-29 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
体力と病との戦いになって来た? 01-19- [2023年1月 喘息、50年ぶり]
体力と病との戦いになって来た? 2023-01-19-
まだ、詳しくは書けないが、近々に短期間だが編集以外の仕事が始まる。思い出すのは、昨年の今頃。「乙女たちの沖縄戦」編集なのに、映画依頼より以前に受けた仕事がいくつもあり、神経が切れかけた。
「編集作」とその他の仕事は脳の使う部分が違い、簡単に切り替えが効かない。ま、僕が不器用なだけかもしれないが、集中力というのはそういったものだ。
なので今年はできる限り、受けないようにしようと考えた。が、どうしても沖縄戦関係の仕事は断れない。意味も意義もある。ということで2つだけ引き受けた。その1つが近々始まる。編集の仕事は一時休止か?夜だけ作業するか?そういう対応になる。
脳の問題もあるが、それより問題なのは体力。その体力の限界を超えて仕事を続けたことが、50年ぶりの喘息再発に繋がった。咳の発作で夜寝られない日々が2週間も続いた。寝られないので体力はさらに低下。当然、集中力も下がる。本格的に編集ができない。病院に行き危ない薬をもらい10日。ようやく発作は止まったが、完治した訳ではない。
今回の別の仕事は体力も必要。歩き回る。遠くへ行く。それで体力が持つだろうか?再び体調不良に陥らないか? そんな不安がある。さらに、その準備に時間を取られ、数日前から編集作業も出来ていない。問題はいろいろある。
沖縄戦ー元・白梅学徒、中山きくさんが死去。01-14 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
沖縄戦ー元・白梅学徒、中山きくさんが死去。1年前にインタビューしたばかり。
2023-01-14
元・白梅学徒で僕の監督作「乙女たちの沖縄戦」でロングインタビューをさせて頂いた中山きくさんが昨日、亡くなった。「次、沖縄に来られたら必ず連絡してくださいね!」と言われていた。なのに、再度お会いできないままの別れとなった。
写真はインタビュー前の打ち合わせ風景。会議室を借りて、そこでお話を伺った。それが一昨年の12月。春には完成。昨年の夏に全国公開。東京、大阪に続き、沖縄でも上映され、きくさんも見てくれた。とても喜んでくれた。
映画を見た日に電話をくれた。「こんなに立派な映画にしてもらえて....」と「ありがとうございます」と何度も言われた。「映画のポスター、私の部屋に貼ってあります」とも。インタビュー前に、沖縄戦を伝えること。死んでいった同級生の思いを伝えること。それが残された自分の使命だともおっしゃっていたこと。思いだす。
インタビューからほぼ1年。そのきくさんが亡くなった。最後のロングインタビューになってしまった。早くDVDを発売して、お届けしたい。そう思っていた矢先。きくさん。沖縄戦のお話、たくさん聞かせてくださり、ありがとうございました。
「乙女たちの沖縄戦」をこれからも1人でも多くの人に見てもらい、きくさんや、同級生の皆さんの思い、悲しみ、そして戦争とは何なのか?伝えて行きます。
訃報記事1=>https://www.asahi.com/articles/ASR1F6QK8R1FUTIL03S.html
記事2=>https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1646507.html
記事3=>https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1087557
回復へは♪「3歩進んで2歩下がる〜」の繰り返し 01-08 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
2023-01-08
過労でダウンしても、自宅入院生活を続けると少しずつ良くなって行く。
ところが、ある日、特別なことがないのにまた体調不良が酷くなる。
僕はそれを「3歩進んで2歩下がる〜」状態と呼んでいる。
体調回復というのは、階段を登るように良くなるものではない。
今回も一昨日がそれだった。原因が考えられないのに体が重い。
もしかしたら寒さで風邪をひいた? メチャやばい!
毎日、咳をしているが、風邪やコロナではない。喘息だ。
体が温まると咳が止まらなくなる(だからベッドに入ると発作が起きる!)
そこで風邪をひかない程度に部屋を寒くしている。
そのバランスが微妙。
それに失敗して風邪をひいたか?と思ったが、熱はない。
が、これも「3歩進んで2歩下がる」状態と考えて、その日は無理しないようにした。
食欲はないが、しっかり食べた。疲れが酷く、午後から仮眠。
考えるに喘息が再発してはいるが、仕事は続けている。
年始年末はかなり抑えた量だが編集作業。
気づくと年始年末は1日も休んでいない!
毎回、そうだが、休むということを忘れる。休むのは疲労困憊で倒れる時だけ。
そんなことをしているから過労でダウンし、
医者に「休まないと死ぬよ」と毎回言われるのだ。
ただ、今回も締め切りがある。それに間に合う進行が必要。
なのに過労と、体調不良と、喘息で、まだまだ、力が出ない。
気持ちは焦るばかり。
ということで、休まず作業を続けていた。
と言ってもいつものように起きてから寝るまでではない。
それでも疲れるものなのだ。
ここはセーブしようと昨日は仕事少な目に。
ここしばらく酒を飲む気がしない。
もう10年以上、毎晩飲んでいたのに(1人で自宅で飲むのだけど)全然、飲む気がしない。
夏の終わりに倒れてからしばらくは体調を気にして(胃も弱っていたし)飲んでなかったが、
秋になり、「そろそろ大丈夫か?」と飲んでみた。
缶ビール1杯で頭がグルグル。体調はまだ回復していない証だ。
その後、冬が来て、師走。正月というのに「飲みたい!」という気が起きない。
まだ体調が悪いということか?
こんなことは20歳を過ぎてから初めて。原因が分からない。
ま、飲んでしまうと緻密な仕事ができないので、
飲まない方が夜遅くまで作業ができていいのだが....。
ま、60代になるといろいろある。
また、今回の仕事は単に映像を繋げばいいというものではない。
あれこれ考えながら、編集というより「作り上げていく」ことが大事。
また、その辺は別の記事で書かせてもらう。
昨夜も横になって寝ることができた。01-05 [2023年1月 喘息、50年ぶり]
昨夜も横になって寝ることができた。2023-01-05
最初はおっかなびっくり、横になり布団に入る。気管支がゼーゼー言い出したら危険。すぐに布団から出て窓を開け、体を冷やさねばならない。喘息は横になる。温まる。と発作が出る。3時間は止まらない。呼吸困難になる。息ができない。
布団の中で咳をする。やば!起き上がる。が、発作にはならなかった。もう一度寝る。緊張してなかなか寝れない。1時間ほどして気づいたら寝ていた。昨夜も無事に寝ることができた。3週間。ベッドの上に座ったまま寝ていたので、横になって寝れる幸せを感じる。
ある友人からも「自分も何十年ぶりかに喘息が再発。過度のストレスが原因でした。仕事を辞めると治りました」とコメントを頂いた。確かにそれも大きいと思える。昨年1年はストレスの連続だった。まあ、映画作りはストレスとの戦いなのだけど、特にドキュメンタリーは過度のストレスと対峙せねばならない。
昨年の夏は困っちゃんが複数登場。プロジェクトをかき回してくれた。彼ら彼女らに悪意はなく、むしろ善意だったりするが、そのために多くが迷惑。すでに過労でダウンしそうな私には大きなダメージとなった。やることをやらず、やってはいけないことを次々にやってしまう。若者ならまだ分かるが、皆、50を超えた人たち。精神的にボロボロになる。
映画製作でのストレスは毎度のことだが、それら困ったちゃんズ(複数)の登場はここ10年なかったこと。(それ以前は困ったちゃんどころか、明らかに悪意を持って邪魔をするP等がいて、精神的にも経済的にも体力的にもボロボロになった。が、まだ若かったので切り抜けたのかも)久々の登場が、60代で疲労困憊の体を打ちのめしたのではないか?とも考える。
やっと、横になり眠れるようになったので回復も進むだろう。まだ、体力回復はしておらず、近所のスーパーに行くのが精一杯だ。そして今も時々、眩暈を感じる。これは夏の終わりからだが、何が原因なのだろう? 気になる。