日本の美しさⅣ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
僕も子供の頃は、当たり前の風景だった。大学時代にアメリカで生活して初めて、その素晴らしさに気付いた。
人は長年住んでいると、どんな景色も当たり前になる。その価値も、魅力も分からなくなる。そして何もない詰まらない町だと思ってしまう。どうすればいいのか?
もしかしたら、僕がこの町で「ストロベリーフィールズ」を撮影し、その映画を見てもらえれば、日常とは違う視点で町を感じてもらえるのではないか?
僕が気付いたように、世界の観光地に負けない素敵な町だと分かってくれるのではないだろうか?
この町を舞台に映画を撮る意味は、そこにあるのではないか? そう思えて来た・・・。(つづく)
日本の美しさⅢ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
ご老人は嬉しいそうに頷く。
「監督さん。嬉しいです。ワシもよくこの町には何もないと言います。みんなそう言うので、ついそう言うてしまう。
ホンマは素敵な町なんです。ワシはこの町が大好きなんですよ。
でも、若い子らは、何もない。詰まらん。そういうて都会へ出ていきます。中には、この子は見所ある。いずれ町のために、がんばってくれるはずや。と思てたら大学で都会へ行ったまま、もう帰ってけえへん。
何でか? 故郷に誇りが持てないんですよ。何もない町。つまらない町。都会へ出ても出身地がどこか。恥ずかしくていえない。
でも、監督さんは、この町を素晴らしいと言ってくれて、嬉しかった。子供らもそれを分かってくれたら、ええのになあと思います・・」
もの凄く感じるものがあった・・・。(つづく)
日本の美しさⅡ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
我、古里にもそれがあった。中でも、あの夕陽。泣きたくなるほど感動的。あれはどの国のものより、素晴らしかった・・・。
サンタモニカ、フロリダ、ハワイ。どの町へ行っても、サンセットには観光客が海辺に集まり、夕陽が沈むのを見つめる。沈み切ったときには拍手が起こる。
それぞれの町の夕陽は、それぞれに美しい・・・・。
でも、泣けるほど心に染みる夕陽は、この町の夕陽だけ。それを映画で撮りたい。見た人は必ず感動するはずだ。
そう話すと、ご老人は嬉しいそうに頷いた・・・。(つづく)
日本の美しさⅠ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
理解者と出会えたことで、希望が出て来た。その後も何人かとお話した。そんな中のお一人。あるご老人はこんな話をしてくれた。
「この町はホンマに何もない町なんです。監督さん。こんな町で何を撮ろうというんですか?」
そういう人は多かった。何もない町だとほとんどの人が言う。でも、それは違う。
ここには今も変わらぬ、昭和40年代の風景がある。日本人の誰もが懐かしいと思う景色がある。
山と海。青い空。大きな川、たんぼ。伝統ある有名なお寺とか、絶景の観光地はないけど、どれも優しく心に染みる風景。忘れていた何かを思い出させてくれる。
その貴重さをアメリカで生活して知った。ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、フロリダ、ハワイ。いくつもの町を旅した。
でも、そこで気付いたのは、アメリカのどこにも日本の田舎のような風景がないこと。それらは決して外国の観光地に負けない、素晴らしいものであることを自覚した。
日本の地方。そこには欧米にはない「美しさ」があることを知る。それはわが故郷にもたくさあることを思い出したのだ・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅦ [第6章 和歌山営業篇]
紹介で訪ねた県内の会社。その社長も開口一番「映画はなあ・・」と言うが、地方映画の現状を聞いてもらった。
最近は映画を使った地方のアピールが盛んなこと。さまざまな町が、映画で町おこしをしていること。尾道が大成功していること。
広告料に換算すると数十億円もの効果があることから、多くの自治体がそれを見習い、フィルムコミッションを次々に設立。映画ロケ地の誘致を熱心に行っていること。
その話を聞いて社長の表情が変わる。
「それはええことかもしれんなあ。不況でこの町も苦しい。農業、工業、商業、漁業、皆、やられてる。できるのは観光に力をいれることだけや。
観光客に来てもろて、町に活気を取り戻すしかない。ちょっと考えてみるわ!」
社長はそう言うと、明るい笑顔で微笑んだ・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅥ [第6章 和歌山営業篇]
ある大手企業の会長を紹介してもらい、電話する。こう言われた。
「映画だけはアカン。協力できへん。でも、完成してからなら支援してもええ」
けど、映画を完成させる前に、製作費が必要なのである。説明を聞いてほしいと頼むが、会ってはもらえなかった・・。
方向を変えて、町のフィルムコミッションを訪ねようと考える。が、町にはないという。県はどうかと問い合わせた(当時)が、やはりないと言われる。
今、ほとんどの町にはフィルコミが作られているが、まだ全ての町と言う訳ではないのか・・。
顔役の会長にお願いして、応援してくれそうな人を考えてもらった。そして、県内にある大きな会社の社長を紹介してもらった・・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅤ [第6章 和歌山営業篇]
ある会社でははっきりと言われた。
「映画だけはアカン。この町では映画は禁止や。誰も信用せえへん・・」
でも、当然だと思う。映画人はまじめに作品作りをする人がほとんどだが、中にはいい加減な連中もいる。詐欺師に近いような輩もいる。
「1億円づつの共同出資で、2億の映画を作りましょう!」と言って、相手の1億だけで映画を作ってしまう製作プロダクション。
そんなところの奴ほど口がうまい。スーツにネクタイ姿で投資家を口説き、金を引き出すという。
僕も酷い会社で何度か仕事をした。作品が完成してもギャラも払おうしない会社。あとになってギャラを値切ってくる会社。
誤摩化しとウソと、隠し事ばかりのプロデュサー。ろくでもない人種がいる世界ではある。
しかし、純粋に応援してくれた市民に対して、そんな態度で応えるなんて許せない。映画関係者を信頼できなくなるのも当然だろう。
わが故郷で・・映画人が・・そんなことをしていたなんて、本当に悲しい・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅣ [第6章 和歌山営業篇]
町の人々が「映画」というと、何か強い拒否反応があった・・・。
ある人が教えてくれた。実は10年ほど前、町で映画撮影があった。市民はその作品を諸手を上げて応援。出資までして、毎晩、炊き出しもした。
ところが、その作品は途中でストップ。撮影を中断。完成させることなく、町には何の説明もせず、撮影隊は撤収した。
その後、撮影再開のための寄附を!との話があり、町では寄附を集める。
だが、その後も撮影は再開されなかった。そんなことがあり、映画人への信頼は失われた。
「映画人は信用できない。いい加減。二度と映画は御免だ」それ以来町で映画は禁句になっているというのだ・・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅢ [第6章 和歌山営業篇]
その社長。帰り際にこう言った・・。
「金集めてほしいんやったら、まず、ネクタイして出直して来いや?」
しかし、監督業の人間がネクタイをしている方が怪しい。いかにも、業界を名乗る詐欺師に見えるだろう。だからこそジャケットは着ても、ネクタイまではしなかったのだ。
監督業をする人々は或る意味でアーティスト。縛られるのを嫌う。サラリーマンの象徴であるネクタイをする人はほとんどいない。
自分の思いを表現する仕事のものが、見せかけだけのフッションをするのは、心を偽るようなもの。僕もそう思っている。
でも、そのこだわりも一般の人からは理解されないのだろう。その社長、あとで電話をくれた。
「今、テレビに監督が出ている。せめて、そのくらいの服装で営業したほうがええ!」
テレビをつけると、デザイナーズ・ブランドのスーツを着た男性がインタビューに答えていた。でも、その人は監督ではなく、俳優だった。
その後もいろんな人を訪ねた。そして分かって来たことがある・・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅡ [第6章 和歌山営業篇]
映画製作の応援を求めて、会長共に公的機関を訪ねた。
映画で町をアピールしたい。大林映画で尾道は有名になり、多くの観光客が押し寄せた。この町でもそれをやりたい。会長は力説してくれた。が、いずれの担当者も難しい顔をしてこう言う。
「そんな予算はない」「この不況で余裕がない」
興味を持ってくれるが、自分の立場では何もできないという人。最初から「ややこしいことには一切関わりたくない・・」という態度の人。
いろんな対応があったが、「何もできない」というのが共通した答えだった。
次に民間の会社を訪ねる。そこの社長も難し顔をしたままだった。帰り際に言われる・・・。(つづく)
2003年7月中旬 応援を求めてⅠ [第6章 和歌山営業篇]
「この町でしか撮れない!」そう思った翌日から、行動を始めた。
D社が来年まで動けないというので、その間に、僕ができることをやっておかねば・・。彼らがより動き出せるように下準備しておかなくては・・。
そう考えて、親類の紹介で「町興し」に力を入れるある会社の会長を訪ねた。話をすると、彼は大乗り気。「観光客が来ないと、街は潤わない」と大賛成。
街の企業を巻き込んで、タイアツプで、投資という話にもしたいとのこと。
会長は街でも顔役なので、その足で市役所、S会議所等に連れて行ってくれて、話をさせてもらった。しかし・・。(つづく)
紀伊田辺へⅤ/理沙の夕陽 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
探し続けた夕陽を田辺で見つける。僕が行ったことのない場所だった。なのに、シナリオに描いたイメージ通り。夕方になると、太陽が海にまっすぐ沈む。
泣けるほど、美しい夕陽を見られるところだった。
地元の人は見慣れているせいか、立ち止まって見る人はない。が、僕は一人で、堤防に座って、1時間ほど、夕陽が沈み切るまで、見つめていた。
そんなとき、耳元で囁く声が聞こえる・・。
「これが私の夕陽だよ。悲しいとき、悔しいとき、見つめていた夕陽だよ・・」
理沙がそう言った気がした。涙が溢れる。そうか、これが理沙の夕陽だったんだ・・ずっと、ずっと、探していた。でも、ここだったんだね。
そう言いたくて振り返ったが、そこには誰もいなかった・・。
実際そんな声が聞こえた訳ではない。でも、そんな気がした。僕がロケ地を決めるのではなく、理沙が「ここだよ」と教えてくれたような思いだった。
この街で撮れる。いや、「ストロベリーフィールズ」は、この町でないと撮れない・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅣ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
物語でも最も重要な場。それを探した。主人公の1人、理沙は夕陽が好きだった。タイムリミットが来て、あの世に連れて行かれる前に彼女はこう言う・・.
「もう一度、あの夕陽をみんなで見たい・・・」
理沙の夕陽。表面的には突っ張った彼女が寂しいとき、悔しいときに一人で見ていた海に沈む夕陽。
尾道でも探した。夕方になると、いろんなポジションで夕陽を見つめたが残念ながら、目の前に島々があるので、海に沈む夕陽は見られなかった。
さらに、港にはクレーンやビルがあって、邪魔になり、理沙が心を癒すような美しい風景を見つけることができない。
その夕陽を田辺市内で探してみる。いろんな人に聞くと、とてもいい場所があるという。さっそく出来かけた・・。(つづく)
紀伊田辺へⅢ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
もともと、この街を舞台に「ストロベリーフィールズ」のシナリオを書いたせいかもしれない。でも、この感覚は尾道では、一度もなかったもの。
もしかしたら大林監督が言ったのは、このことかもしれない。
「もう一度、故郷に行ってみて、何かを感じたら、そこで撮るべきです」
ただ、大林監督のように、地元で青春時代を過ごした訳ではない。高校時代の思い出がある訳でもない。
なのに、田辺には「ストロベリー」の登場人物たちが住んでいるような気がした。
やはり、この街で撮るべきなのかもしれない。いや、「撮れる」というより、ここに夏美たちが住んでいると感じる。
そして一番大きかったのは・・・これも説明するのが難しい・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅡ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
気付いたのは、尾道に負けないくらいに、昔ながらの風景が残されていること。
もちろん、近代化が進んだ場所も多く、懐かしい路地を潰して、ハリウッド大通りのようになった場所もある。
が、それでも、まだ、美しく古びた路地や家が多く残されていた。
田辺市を歩いていて、何かを感じる。尾道のときとは違うもの・・。もしかしたらよく知っている場所だからかもしれない。
なじみのある道だからかもしれない。けれど、歩いていると、1人ぼっちの夏美。元気いっぱいのマキ、とすれ違うような気がした。
鉄男がお寺で掃除しているような感じがして、学級委員の美香。不良の理沙が路地を横切っていくようなに感じた・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅠ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
第6章「和歌山営業篇」開始!
和歌山県田辺市。武蔵坊弁慶の故郷として有名な、海と山に囲まれた小さな街。
僕はそこの生まれだが4歳までしか住んでおらず、俗にいう故郷という感じではないかもしれない。小学校も、中学校も通っておらず、「青春の想い出」というものが残念ながらない・・。
ただ、祖母や叔父夫婦がいるので、夏休みになると子供頃は何度も遊びに行った。海で泳ぎ、山で虫取りをした。大好きな町だった。
そして、今も変わらぬ昔ながらの景色。自然に囲まれた美しい風景が魅力の町。
その街を数年ぶりに訪れる。まず、大林監督との約束を果たすべく、自分の「思い」とは何かをもう一度考えてみたい。映画を撮れば、美しい絵が撮れるのは分かる。
でも、監督の言う「思い」というのがよく分からない。それを探して尾道のときと同じように、ひたすら街を歩きまわった・・。(つづく)