2003年7月中旬 応援を求めてⅠ [第6章 和歌山営業篇]
「この町でしか撮れない!」そう思った翌日から、行動を始めた。
D社が来年まで動けないというので、その間に、僕ができることをやっておかねば・・。彼らがより動き出せるように下準備しておかなくては・・。
そう考えて、親類の紹介で「町興し」に力を入れるある会社の会長を訪ねた。話をすると、彼は大乗り気。「観光客が来ないと、街は潤わない」と大賛成。
街の企業を巻き込んで、タイアツプで、投資という話にもしたいとのこと。
会長は街でも顔役なので、その足で市役所、S会議所等に連れて行ってくれて、話をさせてもらった。しかし・・。(つづく)
紀伊田辺へⅤ/理沙の夕陽 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
探し続けた夕陽を田辺で見つける。僕が行ったことのない場所だった。なのに、シナリオに描いたイメージ通り。夕方になると、太陽が海にまっすぐ沈む。
泣けるほど、美しい夕陽を見られるところだった。
地元の人は見慣れているせいか、立ち止まって見る人はない。が、僕は一人で、堤防に座って、1時間ほど、夕陽が沈み切るまで、見つめていた。
そんなとき、耳元で囁く声が聞こえる・・。
「これが私の夕陽だよ。悲しいとき、悔しいとき、見つめていた夕陽だよ・・」
理沙がそう言った気がした。涙が溢れる。そうか、これが理沙の夕陽だったんだ・・ずっと、ずっと、探していた。でも、ここだったんだね。
そう言いたくて振り返ったが、そこには誰もいなかった・・。
実際そんな声が聞こえた訳ではない。でも、そんな気がした。僕がロケ地を決めるのではなく、理沙が「ここだよ」と教えてくれたような思いだった。
この街で撮れる。いや、「ストロベリーフィールズ」は、この町でないと撮れない・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅣ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
物語でも最も重要な場。それを探した。主人公の1人、理沙は夕陽が好きだった。タイムリミットが来て、あの世に連れて行かれる前に彼女はこう言う・・.
「もう一度、あの夕陽をみんなで見たい・・・」
理沙の夕陽。表面的には突っ張った彼女が寂しいとき、悔しいときに一人で見ていた海に沈む夕陽。
尾道でも探した。夕方になると、いろんなポジションで夕陽を見つめたが残念ながら、目の前に島々があるので、海に沈む夕陽は見られなかった。
さらに、港にはクレーンやビルがあって、邪魔になり、理沙が心を癒すような美しい風景を見つけることができない。
その夕陽を田辺市内で探してみる。いろんな人に聞くと、とてもいい場所があるという。さっそく出来かけた・・。(つづく)
紀伊田辺へⅢ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
もともと、この街を舞台に「ストロベリーフィールズ」のシナリオを書いたせいかもしれない。でも、この感覚は尾道では、一度もなかったもの。
もしかしたら大林監督が言ったのは、このことかもしれない。
「もう一度、故郷に行ってみて、何かを感じたら、そこで撮るべきです」
ただ、大林監督のように、地元で青春時代を過ごした訳ではない。高校時代の思い出がある訳でもない。
なのに、田辺には「ストロベリー」の登場人物たちが住んでいるような気がした。
やはり、この街で撮るべきなのかもしれない。いや、「撮れる」というより、ここに夏美たちが住んでいると感じる。
そして一番大きかったのは・・・これも説明するのが難しい・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅡ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
気付いたのは、尾道に負けないくらいに、昔ながらの風景が残されていること。
もちろん、近代化が進んだ場所も多く、懐かしい路地を潰して、ハリウッド大通りのようになった場所もある。
が、それでも、まだ、美しく古びた路地や家が多く残されていた。
田辺市を歩いていて、何かを感じる。尾道のときとは違うもの・・。もしかしたらよく知っている場所だからかもしれない。
なじみのある道だからかもしれない。けれど、歩いていると、1人ぼっちの夏美。元気いっぱいのマキ、とすれ違うような気がした。
鉄男がお寺で掃除しているような感じがして、学級委員の美香。不良の理沙が路地を横切っていくようなに感じた・・・・。(つづく)
紀伊田辺へⅠ 2003年7月中旬 [第6章 和歌山営業篇]
第6章「和歌山営業篇」開始!
和歌山県田辺市。武蔵坊弁慶の故郷として有名な、海と山に囲まれた小さな街。
僕はそこの生まれだが4歳までしか住んでおらず、俗にいう故郷という感じではないかもしれない。小学校も、中学校も通っておらず、「青春の想い出」というものが残念ながらない・・。
ただ、祖母や叔父夫婦がいるので、夏休みになると子供頃は何度も遊びに行った。海で泳ぎ、山で虫取りをした。大好きな町だった。
そして、今も変わらぬ昔ながらの景色。自然に囲まれた美しい風景が魅力の町。
その街を数年ぶりに訪れる。まず、大林監督との約束を果たすべく、自分の「思い」とは何かをもう一度考えてみたい。映画を撮れば、美しい絵が撮れるのは分かる。
でも、監督の言う「思い」というのがよく分からない。それを探して尾道のときと同じように、ひたすら街を歩きまわった・・。(つづく)