ある日の1日・Ⅰ /2004年5月 [第14章 和歌山復活篇]
ここしばらく、収入のある仕事ができない。
ある1日はこんな感じ。午前中に起き、応援してくれている人々にメール報告。「いちご白書」とは別に個々に連絡する人が大勢いる。それを昼頃まで。
午後は田辺ビデオの編集。
夕方からは相談で先輩に会う。今後の推進の仕方をアドバイスしてもらう。この日はラッキーなことに、先輩から飯を奢ってもらう。
夜。帰宅。先輩へのお礼メールと、近々に相談をさせてもらう友人に連絡。そして編集再開。夜明けまで作業・・・。
(つづく)
いちご白書Ⅱ /2004年5月 [第14章 和歌山復活篇]
友人たちに、厳しい展開を報告すると・・。
「がんばれよ!」
とメールをくれる。
上手く行ったときは・・。
「よかったな!」
と返事をくれる。それが凄く励みになり、崩れそうな心を支えてくれる。
だが、ときどき、本当に酷い展開が起こったとき、誰からもメールが来ないことがある。あとで聞くと、友人はこう言っていた・・。
「あまりにも悲惨で、励ます言葉がなかった・・」
そうかもしれない・・・。
(つづく)
いちご白書Ⅰ /2004年5月 [第14章 和歌山復活篇]
後輩が困ったときによく相談に来る。長い話を延々と聞き、いろんなアドバイスをし、経験談を話す。
おまけに飯まで食わせて励ましたのに、その後音沙汰なしということが多い。
連絡すると、「問題は解決して順調!」という。だったら、連絡しろ! そのくせ、また困ると頼って来る。
が、問題を抱えている方は、目の前のことに気を取られて応援してくれている人の存在を忘れがち。自分1人の力で解決したと、勘違いすることも多い。
それを見ていて、ああなってはいけないと思えた。
なので応援してくれている人全てに、「いちご白書」(映画のタイトルが「ストロベリーフィールズ」なので、いちご繋がり)と名付けたメールマガジンのようなものを作り、常に送っている。
進展したこと。問題が起こった事。協力者が現れたこと。酷い目に遭ったこと。隠さずに報告・・。すると・・。
(つづく)
テレビの反響なし /2004年5月 [第14章 和歌山復活篇]
4月に収録した映画の支援を求める話をした番組が、地元で放送されたらしい。
それを見て少しでも反響があり、応援してくれる人が現れれば・・と思っていた。
が、その番組を見ての連絡は、局には1つもなかったそうだ。テレビでも呼びかけてもダメか・・。かなり落ち込む。(つづく)
トークショー /2004年5月17日 [第14章 和歌山復活篇]
脚本家時代に書いたあるVシネマ。初めて劇場でイベント上映されることになった。
トークショーを開催するので出演してほしいとの依頼。M監督と一緒に、当時の話をする。
物語は実際にあった事件。いい加減な気持ちで出来る作品ではなかった。安易な想像や興味本位で描いてはいけない話なので、徹底して取材。裁判記録も全て調べて執筆した。
調べて行くと、マスコミでは報道されてない事実が見えて来る。いかにマスコミが、安易な報道をすることが多いか?も感じた。
毎日のようにM監督と激論した。そんな話などをしたい。
ただ、今回のイベント。ギャラは一切出ない。でも、自分が関わった作品を、何年も経ってから見てもらえるチャンスがあることは嬉しい・・。
(つづく)
「理由」放送 /2004年4月29日 [第14章 和歌山復活篇]
「理由」が放送された。1時間前からビデオをスタンバイして録画する。
本編を見ながら、撮影時を思い出す。本当にいろんなことを学ばせてもらった。大林監督から、カメラマンさんから、ベテランの照明技師さんから。
大物の俳優さんらとお仕事をさせてもらったのも初めて。岸部一徳さん、片岡鶴太郎さん、本当に凄い人たち。
映画ファン時代に見た「転校生」。小林聡美さんをナマで見たのも感動。
他、大林映画に出ていた面々も出演していたので、仕事なのか? 何なのか?分からなくなるときもあった。
本物の映画作りを体験。これを「ストロベリー」に生かさねば!(つづく)
過労・Ⅲ /2004年4月 [第14章 和歌山復活篇]
それができないので苦労する。それどころか、今回は何の収入もない仕事。
前回、倒れたのが3年前なので、そろそろ来そうな気がしていている。
「ストロベリー」がまだ進行中なので、ダウンする訳にも行かない。
この辺で少し休養を取らないと、それこそ「製作決定!」となってから倒れるかもしれない。
最近、頭痛で頭がクラクラ。でも、早く「プロローグ」ビデオを完成させて、関係者に送らねば・・・。(つづく)
過労・Ⅱ /2004年4月 [第14章 和歌山復活篇]
ある友人はこう言う。
「1週間休まずに働いたら、1日休め。1ヶ月休まずに働いたら1週間休め。1年休まずに働いたら1ヶ月休め。でないと体が壊れてしまう」
なるほど、だから、僕は3年休まずに働いたので3ヶ月寝込んだ訳だ。でも、サラリーマンの友達でも、休まずに何ヶ月も働く奴がいる。
なのに倒れることもなく元気にしている。理由を聞くと「お前と違って全力で仕事はしないから!」との答え。先輩からもよく言われる。
「ギャラに見合った労力で仕事をしろ・・・安いギャラで真剣に働いてどうする? 手抜きが肝心だよ・・・」
(つづく)
過労・Ⅰ /2004年4月 [第14章 和歌山復活篇]
和歌山から帰ってから、どっと疲れが出た。
その前にメイキングの編集に3ヶ月費やしたこともあるのか、1日何もできず、ひたすら寝ているだけという日もあった・・・・。
これまでも休まずに1−2年くらい猛烈に働き、仕事が無事終了したあとに倒れたことがある・・。1〜3ヶ月寝込んだ。医者にいつも言われた。
「無茶すると死ぬよ! 過労を嘗めては駄目だぞ。ちゃんと休養を取らないと、本当に死ぬよ・・・・」
(つづく)
編集開始 2004年4月17日 [第14章 和歌山復活篇]
東京へ戻る。田辺でSさんに撮ってもらったビデオを編集中。
やはり、風景だけでなく、人物が入ると映画的になる。おまけにSさんの映像は美しく、華麗。より一段と町が映える。
タイトルは「ストロベリーフィールズ/プロローグ」として、10分くらいの作品にする予定。
セリフとかもいっさいなく、女子高生が町を歩いていくだけのイメージビデオに近いものだが、そこに夏美やマキのイメージを織り込んである。
1週間くらいで完成できると思う。本日よりまた、毎日パソコンに向う! が・・・・。
(つづく)