最終作戦 Ⅲ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
東京で仕事が始まるギリギリまで地元に残り、そう思いついた。さっそく、会長を訪ね、お願いした。
「なるほどなあ・・それはやってみる価値が、あるかもしれんなあ・・・・」
若い人たちを何人か紹介してもらう。話を聞いてもらった。反応は悪くなかった。
が、次、訪ねたときには「どうすることもできませんね」と言われるかもしれない。でも、とにかく話を聞いてもらった・・。
1度、東京に戻る!(つづく)
最終作戦 Ⅱ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
東京の映画会社にシナリオを見てもらったときも、40代以上のプロデュサーは内容が理解できない人が多かった。評価してくれたのは皆、30代以下・・。
それは若い人たちの方が、新しいことを受け入れる発想があるからだろう。映画作りも同じではないか? 若い人たちなら、理解してくれるのではないか?
次世代。ニューリーダー。次期社長。次期会長。ネクストゼネレーション。一世代若い人たちに話を聞いてもらえないか?
そこから何か、展開するかもしれない! (つづく)
最終作戦・Ⅰ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
まる1日。親戚の家のリビングで考えていた。朝起きて、夜寝るまで。ひたすら考えた。そして、見逃していたことに気付いた・・・。
確かに町の実力者、長老格にはほとんどお会いした。面会拒否された人もいるが、「映画はダメ」という意思を確認している・・・。
もう、誰もいないと思ったのだが、そうではなかった・・。
実力者、長老格の方々は社長であり、会長であり、組織の上に立つ方々。皆、60代〜70代。
では、それより若い世代はどうか? その人たちには会っていないことに気付いた・・・。(つづく)
諦められない! Ⅱ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
市役所、実業家、観光関係、政治関係、団体、グループ。力あるところは全てまわった。が、いずれもダメ。
特に10年前の映画のことがあるので、市民感情としてもダメ。
当時、力ある人は皆、その映画を応援しているだけに、余計にダメだと思うようだ。でも、何かないか? 何か方法はないか?
考えれば、必ず方法はある。ダメときは、それを考えつかないだけのこと。「無理」とか「仕方ない」というのは、諦めるときに自分を説得する言葉のはずだ。
方法は、必ず、ある・・・。
必死に考えて、考えて、あることに気付いた・・・大きなことを見逃していたことに気付いた!(つづく)
諦められない!Ⅰ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
やっぱり、諦められない! 悔し過ぎる。あまりにも悔し過ぎる。
早朝から屋敷町を歩いた。海を見に行った。この町で撮影できないのは、耐えられない。ここを舞台に映画を撮れないなんて、許せない!
もう一度、考えよう。きっと方法があるはずだ。
考えろ!考えろ!何か方法はないか? まだ、試していない方法はないか? この町で、我故郷で映画が撮れる方法はないか?
東京サイドで何かできないか? でも、どこへ行っても「田辺ロケ」と言うと、最終的にはアウトだ。
東京近郊で撮れば安く撮れる物語を、わざわざ膨大な額の交通費を使って和歌山まで行って撮る必要はないのだ。
では、地元で何かできないか? (つづく)
絶望Ⅲ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
ただ・・・・僕は・・・この町の美しさを、日本中に、いや世界中に伝えたかった・・。
「何もない退屈な町や・・・」
そう言って町を出て言った若い人たちに、映画を見せたかった・・・。
「オレの故郷は、こんなに素敵な場所やったんかあ・・」
そう思ってもらいたかった・・・。
でも、そんなこと。誰も望んでいない。生活も限界まで来ている。
しばらくは借金返済に専念。「ストロベリーフィールズ」は他の町で撮影した方がいいようだ・・・。
そう考えながら、泊めてもらっている親類の家を出た・・。
外に出ると、いつものように甍の波が続いていた。蒼い空。木造の家。土塀。その日本の風景は、あまりにも美しい。
子供の頃から見ているのに、やはり素晴らしい・・・。その感動と相反する「悔しさ」と「悲しさ」。泣きそうになる・・。
「・・・・やっぱり・・・・この風景を撮らずに、諦めるのは・・悔しい・・・悔しい過ぎる!! 僕は・・・やはり、この町で・・・映画を撮りたい!」
(つづく)
絶望Ⅱ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
むしろD社も、その方が喜ぶはず・・・。あー、もう全てに・・・疲れた・・・。
もう、終わりにしよう・・・・昭和40年代の風景が残る・・美しい町なら、他にもあるはず・・。夕陽が奇麗な町も、あるだろう・・・。
木造校舎も他で見つかるだろう・・・いや、あれは・・・無理かもしれない。映画で使われた校舎を・・・いくつも知っている・・・。
でも、どれも廃校であり、東陽中学以上に気品があり、美しいものはない・・・。
とは、言え、この町ではダメなのだ・・・そもそも、単に映画を撮るだけでも大変。新人監督が映画を撮るのはもっと大変。
なのに故郷で、東京では誰も知らない町で、撮影しようというのだから、あまりにも無茶だった・・・。
ただ・・・・・。(つづく)
絶望Ⅰ 2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
地元で出来ることは・・・全て・・・やり尽くしたと・・思える。
会長も言う・・。
「応援してくれそうな人は、もうおらんなあ・・」
好意的だった人も
「どうすることもできない・・」
としか言わない・・。この町では映画を撮らない方がいいのかもしれない。誰も映画を求めてはいない・・・。
僕1人が「この町で映画を撮りたい」と言っているだけ・・・。
「ストロベリーフィールズ」を撮るというだけなら、ロケ地を変えれば・・・可能性は出て来るだろう・・・。(つづく)
無意味Ⅱ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
それならもっと他の町、映画ロケを誘致している町で、協力を求めればいいのかもしれない。
この町で・・これ以上努力することは、無意味と思えて来た・・・。
ご老人にはもう説明しなかった。彼は最後にこう言う。
「まあ、時間かけてゆっくりやることです。5年でも、10年でもかけて皆に気に入られることが大切や・・」
選挙に出るのなら、その通りかもしれない。けど、これは映画作りだ。選挙とは違う・・。
そんなことを何年もやっていたら、D社はすぐに製作を断念・・・。大きな支援を失ってしまう。
僕が・・・町の人々に気に入られる頃には、映画は作れなくなっている・・。それ以前に、東京でせねばならないことが山ほどある・・・。
いい加減。もう、バカらしくなってきた・・。(つづく)
無意味Ⅰ /2004年2月 [第12章 和歌山死闘篇Ⅱ]
今回の映画を作り、僕が得るのは「故郷で映画を撮れた」という思いと、「それを多くの人に見てもらえた」という喜び。
そして、少しでも古里の役に立ったという満足感。それだけだ。議員になって得られるような「権力」も「収入」も「余録」も何もない・・・。
D社のPも赤字覚悟の仕事。それでも長年撮りたかった「地方を舞台にしたファンタジー」をやりたいと言ってくれているのだ・・・。
映画が完成してメリットがあるのは、どこよりも地元。でも、その地元では、誰も映画を求めていない。その意味も分かってもらえない・・。
分かってくれても、10年前の悲劇がそれを止めてしまう・・・。(つづく)