日本人に必要な場所 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
時代の流れを感じ取るのが、苦手な大人たち。
でも、若い世代は町の風景に、画面に映る川や山に、失ったものを見つけてくれるはずだ。
それが田辺で、映画を撮りたかった大きな理由。
そんな田辺という町は今、日本人に一番必要とされる場所のはず。
そこで『ストロベリーフィールズ』を撮れば、きっと多くの10代に大切なものが伝わる。
単に古里をアピールするだけでない、映画作家としてドラマを撮りたい理由は、そこにあるんだ・・。(つづく)
故郷で描きたいこと /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
だから、僕は田辺で映画を作りたかった。そんな大切なことを伝えることができる町だから・・。
「懐かしさ」と「美しさ」だけではない、今、日本人が戻るべき故郷といえる町だから、そこで描かれたことは必ず子供たちに届くと思えた。
プリクラやカラオケがなくても、携帯がなくても、友達ができること。
その友達と心通わすことがどれだけ素敵で、心支えられるものか?
夏美やマキの物語を通じて、それを伝えたかった。
日本人が「失ったもの」がまだ存在する田辺の町で、それを描きたい・・。
(つづく)
心の絆を感じる町 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
若い世代は敏感に時代を感じ取る。それを言葉で表現できないだけで、彼ら彼女らは大人以上に感じる力がある。
田辺の写真を見ると、「何かいいなあ〜。感動する」という子が多い。それは夢も希望あった昭和40年代を感じるから。自分たちが手にできない「心」が伝わるからだと思える。
「古い街並が素敵だ。 木造の家が美しい」と言うのではなく、自分たちが求める「心の絆」を感じ取れるからだと思う。
レトロを新鮮と感じるだけではない。彼らは大人より感じる力がずっとずっとある。
そんな子供たちには、「あの時代に大人たちが間違って進めたこと」「 置いてきてしまった大切なこと」を、ちゃんと伝えるべきだと思う。それが大人の責任ではないか?
(つづく)
日本人の心の故郷Ⅱ 2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
言葉を交わさないと、すれ違えない細い路地がある。昭和40年代の風と太陽がしみ込んだ壁があり、看板がある。
そのひとつひとつが、ささやきかける。「何をなくしたの? 何を探しているの?」。田辺を歩くと、木や道が優しく語りかけてくる。
そう、もう一度、ここから始めよう。日本人が失ったものを考えよう。田辺というのは、そんなことができる大切な町。
古里に帰った人が心安らぎ、癒され、自分を見つめ直して、元気になるようになるように。
現代人の出発点、つまり、日本人の心の古里に戻ることが必要なのだと思える・・。
(つづく)
日本人の心の故郷Ⅰ /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
今、日本人がすべきことは何か?
たぶん、あの昭和40年代に、希望も、夢も、心の触れ合いもあった昭和40年代に、そして全ての間違いが始まったあの時代に立ち返ること。
21世紀に大切なものは何か? を考えることではないだろうか?
傷ついた心を癒し、体を休めるために昭和40年代に触れてみることだと思う。
だから、田辺なんだ。この町には今も、昭和40年代がある。木造の家がある。襖や障子で部屋が仕切られた家がある・・。
(つづく)
心を取り戻す行為 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
だから、今の子供たちは手にした機械で、「心」を取り戻そうとするのではないか?
メールをし、携帯をかけ、プリクラをし、カラオケをする。
人との、友達との、絆を求め渇望している。
だったら、どうすればよかったのか?
「物」捨てて「心」を選べばいいのか?
けど、貧しかったあのころへは戻れない。全てを捨ててあのころに戻ることは、不可能だろう・・・。
ただ、分かったことはある。「物」があっただけでは、幸せになれないということ・・。(つづく)
大切なのは心 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
だのに、その21世紀となった今の現実はどうか?
宇宙の旅どころか、不安と喧噪が渦巻く、孤独で、寂しいだけの希望も夢も、未来も見えない時代では ないだろうか?
もちろん、物質的には豊かになった。でも、何か大切なものを失っていることに気付いた。この寂しさは何か?
物で豊かになった代償。ここまで来て日本人は感じ出したはず。一番大切なのは「物」ではなく、「心」だったということを。
心がなくてはいくら物があっても、幸せを感じないこと・・・。 (つづく)
21世紀の夢 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
そう考えると、昭和40年代は素敵な時代だったと思えて来る。
貧しいが温かい交流があった。家族団らんの場所があり、一家で同じドラマを楽しみ、親と子のコミュニケーションができた。
そんな心の絆が、貧しくても日本人を支えたのではないか? お父さんは頑張って仕事をし、子供たちを幸せにしようと思った。その苦労を子供たちは感じていた。
そして誰もが21世紀になれば、素晴らしい世の中になる。便利なものがいっぱいあって、不幸なんてなくなる。
2001年には宇宙の旅ができて、ロケットで星に行ける。貧しさから脱却し、全ての夢が実現すると感じていた・・。(つづく)
木造の魅力 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
家も同じ。
鉄筋コンクリートの家は密閉性があり冷暖房がしやすい、隣の部屋の会話が明瞭に聞こえることはあまりない。
それが昔の木造は、隣の家の声まで聞こえた。それによって、隣の夫婦は仲が悪いとか、おじいちゃんが病気なんだ…とか分かってしまう。
襖や障子では隣の部屋の会話も聞こえる。 子供が布団に入っても寝られずにいると、隣の部屋で話す両親の会話が分かる。
父の給料が少ないことを知り、親が大変なことを理解する。
でも、鉄筋の家だとそうはいかない。二階の子供が誰と電話しているのか? 一階の両親がどんな会話をしているのか? 互いに分からない。
そうやって「物質の豊さ」は情報を遮り、コミニュケーション能力を育てることもなく、人を孤独にして行ったのではないか? (つづく)
路地のコミニュケーション/2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
これは町にも言える。
昔は細い路地がたくさんあった。人とすれ違うときにはお互いに、避けなければならない。
だから、言葉が交わされる。
「お先にどうぞ!」
「すみません。お先に!」
それだけでも、相手のことが分かる。会話も生まれる。コミュニケーションが生まれる。
でも、車が何台も通れる広い道では、誰とも言葉を交わさずにまっすぐに歩くことができる。誰とも交流を持つ必要がない・・・。
(つづく)