本当に大切なもの /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
なぜ、子供たちは友達の作り方が分からなくなり、機械を使ってしか「心」の交流をできなくなったのか?
それは昭和40年代に日本人が「物の豊かさ」を手に入れる代わりに、「心」を捨てたから。そのツケが回って来たのだと思える。
そうなって初めて、「物」がいくらあっても実は豊かではなく、「物」がなかった昔の方が「心のふれ合い」や「絆」があり、幸せ感があったことに気付く。
本当に大切なものは、なくして初めて気付く。
当たり前だと思っていたものが、実は何より大切だったことに気付いたのだと思う・・・。
(つづく)
「ストロベリー」のテーマ 2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
なのに彼女たちは機械を使わないと、コミュニケーションできない。
手帳に張ったプリクラを見詰めて、「私にはこんなたくさんの友達がいる」と確認している・・・。
それによって「私は孤独じゃない」・・と思おうとする。
メールで「元気?」と送られて来ると、「友達が気にかけてくれている・・」と嬉しく感じる。
寂しい絆・・。
何か違うと思う・・。
「ストロベ リー」のテーマが、明確になってくる…。(つづく)
友達 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
子供たちは自分なりに考えた。無意識に行動した。
それが物を使うコミニュケーション。携帯メールで「元気?」と送る。プリクラを撮ることで「友達」なんだと思う。
カラオケを一緒に歌って連帯感を感じる。「モーニング娘。」が人気なのはカラオケでみんな一緒に歌えるから、連帯感を持てるからというのも一因だという。
俳優を目指す女子高生に聞いた。「もし、あと48時間で死んでしまうと分かったらどうする?」
「ストロベリー」の主人公たちが、天国へ行くまでに何をするか?を考えるのに、意見を聞いた。
「友達とみんなで歌を歌いたい…」
多くの子たちが「友達」を上げた。友達との心の交流や連帯感を求めた・・・。 (つづく)
大切なことを伝えられない 2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
でも、今の子は幼いころから人と接することが少なく、どうやって人とコミュニケーションすればいいのか分からなくなっていた。
僕らの世代は缶蹴りや虫捕り、鬼ごっこをすることで友達付き合いを覚えた。
ケンカしたり、一緒に笑ったり、泣いたりして仲良くなった。そんな遊びをしない今の子たちは、テレビ画面に向ってゲームをして育つ。1人でする遊びばかり。
だから、「どうやって、友達と仲良くなればいいか?」分からない。昔は近所のうるさいおばさんが、よその子を叱った。今は違う・・。
先生だって生徒をなぐってはいけない時代。家庭訪問期間以外に生徒を訪ねてはいけない規則がある。
大人が子供たちに、大切なことを伝えることが難しくなって来た・・・。(つづく)
ハッピーが孤独へ /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
子供が部屋に籠る。親から目が届かなくなる。子供たちはうるさく言われなくて喜んでいた。
が、僕らの次の世代、その次の世代は子供部屋は当然となる。嬉しさはない。「ありがとう」のような、家族みんなで見るテレビドラマもなくなる。
ビデオの登場はドラマは録画して誰もいないときに見れるようになる。ビデオゲームやファミコンの登場は、1人で楽しむ時間を長くした。
受験戦争はクラスメートをライバルと教える。人とコミュニケーションすること、交流を持つことがどんどんなくなって行く。
子供たちは人との接点をなくして、寂しいと思うようになった。孤独だと感じる。誰かといたい・・。 (つづく)
昭和40年代 子供部屋 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
昭和40年代はまだ、子供部屋がない家が多かった。
家族はひとつの部屋で一緒に寝る。一部屋しかない家は大変だった。何をしてもすぐに親の目に入るので、うるさく言われる。
テレビを見ていても、漫画を読んでいても、親に見られている。
反対に子供も親のことが、 嫌でも分かる。家計簿をつける母。ビールを飲んで酔っぱらう父。
けど、そうやって自然、親子の交流が生まれ、互いの気持ちを知った。
でも、子供たちはプライバシーが欲しい。一人部屋がほしい。僕もそう思っていた。
お父さんがしっかり働いて、家を建て替える。大きな家に引っ越す。自分の部屋ができる。子供たちは喜んだ。
しかし、これもまた、親と子供のコミュニケーションをなくす原因のひとつとなる・・・・。 (つづく)
電化製品が絆を引き裂く /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
父とケンカして、今日は会いたくないと思う。でも、「8時だよ!全員集合」が見たくてテレビの前に行ってしまう。
父と一緒に見ているのに、加藤ちゃんのギャグでつい笑ってしまう。横を見ると父も笑っている。そんなことが、仲直りのきっかけになったりする・・・。
けど、今のドラマはF1層とか言って、20代の女性にターゲットを絞ったドラマが主流。家族で見られるものはほとんどない。
その上、ビデオで録画して1人で見られるし、自室にテレビがある人も多い。
こうして親たちはまた子供たちと、コミュニケーションする場をなくして行く。何を考え、何を感じている か?分からなくなる。(つづく)
家族の絆 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
でも、今はどうだろう?
部屋の中で携帯を使えば、親は娘が誰と、どんなことを話しているかは分からない。彼氏がいるのか?日ごろ何をしているの か? 親は知ることができない。
そう考えるとあの据え置き型の黒電話は、家族を繋ぐ役割をしていた。
例えばテレビが1台の頃は、家族が集まるきっかけがある。ドラマ「ありがとう」を見たあとは、御茶を飲みながら家族団らんができた。
同じ番組を見ているから共通の話題がある。 そこで親の感想。子供の感想が互いに聞けた・・・。
(つづく)
昭和40年代の家族 /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
昭和40年代。携帯電話なんて当然ない。家庭には電話がひとつしかなかった。
電話のベルが鳴り、母親が受話器を取る。男の子から娘への連絡。母は「娘にもとうとうボーイフレンドができた・・」と感じる。
娘が廊下で長電話していると、茶の間にいる父に声が聞こえる。いつもと違い明るい声だ。デートの約束をしている。娘の生活が垣間見られる瞬間。
でも、心配な父は娘に「誰からだ?」と聞く、娘は「彼氏!」とは言えなく、「友達」というだろう。
うるさいなと思いながらも、父が心配していることを感じる。それが昭和40年代の家族風景・・。(つづく)
戦後、日本人が選択したもの /2004年6月 [第15章 S40年代の意味篇]
戦後。日本人は大きな選択をしたのだと思う。
そして僕らは「物がある豊かな暮らし」を選んだ。貧しい日本。何もない国。アメリカのように、物がたくさんあることが幸せだと考えた・・。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫。カー。クーラー。カラーテレビ。エアコン、ビデオ、パソコン、携帯、DVD…と、今ではほとんどのものが一般的家庭に存在する。
本当に、豊かな国になった・・・。
でも、「物」を選んだことで、失ったものがあ る・・・それは「心」。日本人は心を売り、「物」に変えたのだと思う。
それを現代まで引きずる事になるのだ・・・。(つづく)