小西博之さんの熱さⅡ /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
さらに、小西博之さんが出演しているCMの食品会社にも、「何らかの協力を求められないか?」当たってみると言ってくれている。
小西さんと言えば、1980年代に「欽ちゃんの週刊欽曜日」で大ブレイク! その後は伝説の歌番組「ザ・ベストテン」の司会なんかもしていた。そして近年はVシネマやヤクザ映画でも活躍。
芸能界で大活躍の小西さんが出演してくれると、業界では「いい加減な作品ではない」というふうに見られる。
「彼が出ているのなら・・・」と、他の俳優も安心して出演してくれる。小西さんの応援は予想以上に大きい。感謝!
(つづく)
小西博之さんの熱さ /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
多くの俳優が呆然として帰ってしまう中、小西さんはスタッフ全員に「ありがとう!」と言い、握手を求めたのだ。
余裕がある人でも、せいぜい、カナダ人の監督にお礼を言うくらい。
なのに、小西さんは、ビデオ・カメラ係の僕までに「ありがとうございます! よろしくお願いします!」と熱い握手を求める!
「熱い人だなあ・・」そんな印象だった。そのときと同じように、小西さんはもの凄く熱い声援を送ってくれたのだ。
(つづく)
ハリウッド作品のオーディション /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
僕の初映画「ストロベリーフィールズ」。特別出演するといってくれた俳優の小西博之さんとは以前、1度お会いしている。
アメリカNBCテレビの大作ドラマ「GAI-JIN/外人」のオーディションだ。
僕はそのスタッフを勤めていた。300人ほど有名俳優がチャレンジ。だが、皆、ハリウッド映画ということで緊張。
大物俳優ももの凄くナーバスになり、ビデオ・カメラをまわしていることに気付かない人さえいた。
オーディションには小西さんも参加。カメラ・テスト終了後に意外な行動をしたのを覚えている・・。(つづく)
俳優・小西博之さん /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
新宿の喫茶店で面会。
マネージャーさんは、小西さんがこういっていると言う。
「今回の映画の件はもの凄くうれしいことです。故郷のために自分も人肌脱ぎたいと思います。
太田監督が考える役で、どんな小さなものでも、どんな役でもいいので全てお任せしますので、出演させて頂ければ嬉しいです。
もちろんノーギャラで、交通費もいりません。里帰りのついでに出演したと思えばいいので、よろしくお願いします」
もうビックリ。いや、それどころか彼の故郷への熱い思いが伝わってきて大感動。役もおまかせなんて、懐の深い役者さんだと感じる。
実はそんな小西さんと、10年ほど前。お会いしたことがある・・・・。(つづく)
コニタンからの応援Ⅱ /2004年7月16日 [第17章 和歌山進撃篇]
その返事が少し前にあり、「監督と一度お会いしたい」とのことで本日、まずマネージャー氏と会うことになったのだ。
が、シナリオを送ってから少し時間が経っていたので、もしかしたらあまり興味を示してもらえなかったのかもしれないと思っていた。
訳の分からない無名監督なので、一度会って様子を見ないと心配だと思ったのかもしれない。
でも、とにかく、こちらの熱い思いを伝えようと、緊張して待ち合わせ場所に向かった・・・。(つづく)
コニタンからの応援 /2004年7月16日 [第17章 和歌山進撃篇]
本日、俳優のコニタンこと、小西博之さんのマネージャーさんと会う。
これは地元、応援団の方からの紹介。小西さんはその方の中・高校生時代の先輩。
「故郷・田辺市に対してもの凄い愛着がある人なので、きっと今回の映画にも何らか形で応援したいと言うと思うので、ぜひ、知らせてほしい」
とのことだった。そこでシナリオ等の資料と共に、手紙を書いた。
「僕も同じ田辺市を故郷とするものとして、街を舞台に作品と撮りたいと思っている」
(つづく)
それはプロデュサーの仕事だろ? /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
「それは皆、プロデュサーの仕事だろ? また君は必要ない仕事までやってない?」
でも、まだ、実質的なPなんていない。D社は全てお膳立てして、完全にスタートできるようにしないと動いてくれない・・。
企画会議通るまでは全て自腹を切って、僕自身が準備するしかない。誰も代わりをやってくれない。
その時間を作るために、仕事依頼があっても断り準備を続けている・・・。
<つづく>
友人の言葉 /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
さらに今回撮ったスチールも資料用に印刷せねばならないし、撮って来たビデオも編集せねばならない。
礼状も山ほど書かないといけないし・・・・。シナリオ直しまで行かない。「いちご白書」で、今回の報告を皆に知らせねばならない・・。
食事の時間もなくて、また食パンにポテトサラダ挟んで食べたり。こんなことだから、栄養が偏り、倒れたりする。でも、誰かに代わってもらえない。
友人に話すと、こう言われた。
(つづく)
印刷屋に転職?/2004年7月15日 [第17章 和歌山進撃篇]
和歌山から帰ってから、また、以前の生活パターンに逆戻り。
今回は印刷屋状態・・・。企画書のプリントアウトを続ける毎日。カラー10pのもので、田辺市の写真がふんだん。地元から、たくさん送ってほしいとのこと。
こんなふうに応援団の皆さんが営業してくれるのでありがたい。
ここしばらく作業の毎日。ただ、プリンターは安物で古いので、企画書を1時間に1冊しか印刷できない。
すぐに紙詰まりを起こすので、ずっと付きっきり。まる1日かかっても10冊と印刷できない。
1日でインクがなくなり、また新宿まで買い物・・。そんな生活がもう何日も続いている。(今も印刷しながらメールを書いている!)
(つづく)
全員一致で賛成! /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
東京へ帰ってから数日後、応援団から電話があった。同窓会の役員がこの間、集まってくれたので、映画の話をしたそうだ。
もの凄い反響があり、全員が賛同してくれたらしい!
「校舎が取り壊されたあと何もなくなるのは寂しいから、せめて記念碑でも建てようか?」
みんなで、そんな話をしていたところだという。それを映画で記録できるとは願ってもないこと!と、全面的に応援してくれることになった。
おばちゃんたちが何十人も企画書を持って、同窓生を訪ね、寄付を募ってくれるという。何千人もの卒業生を訪ねてくれるという。
さらに、なんと来年は東陽中学・最後の同窓会がある年なのだという。
またしても、運命的な展開!これまでの七転八倒やトラブルの連続が嘘だったかのようだ。
或いは「十戒」のモーゼを前に地中海が2つに割れて、道ができるようでさえある。
「ストロベリー」を作ることが待たれていたかのように、時代が開けていくようなの思いだ・・・。が、まだまだ、やるべきことがある!(つづく)