主人公が皆、美少女の理由? Ⅴ 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
国でいえば、アメリカ。この国を舞台にすることで、世界中の人が見易くなる。
これはアメリカ映画が力を持っていて、各国で見られているという背景もある。が、アメリカは他民族国家。さまざまな人種や民族が共に暮す。いろんな習慣を持つ人が生活する国。
だから、「どんな人たちが見ても、分かり易いドラマ作りを心がけている」という点も大きい。また、アメリカという国の情報がどこよりも多く、グローバル・スタンダードになっていることもある。
もし、観客がよく知らない国を舞台にすると、その町の紹介から始めねばならない。でも、アメリカなら、いきなり物語からスタートできる。
より多くの人が「ドラマを見易くなる」という公式が存在するのだ。つまり、とっつきやすい!
キャラクターでいえば、二枚目や美女が主役のドラマがそれに当て嵌まる。
そんな訳で「ストロベリ−フィールズ」の主人公4人は皆、美形とした。これにより4人それぞれの視点で、物語を見てもらえる。
夏美、マキ、理沙、美香のそれぞれの悲しみを、自分のものとして感じてもらえるはず。ただ、ある友人からこう言われた。
「本当は、美少女趣味なだけだろ?」
そうではないので念のため!
<つづく>
主人公がみな、美少女の理由? Ⅳ 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
これには人の「心理メカニズム」が関係している。ドラマを見るとき観客は自分に近いキャラに感情移入する。が、一番感情移入しやすいのは美形や二枚目。
眼鏡やデブより、美形キャラの視点で物語を見てしまう。美しいというより拒否感が少ないのだ。
これは昔からドラマの主人公が2枚目であり、美女だったので、それに慣れてしまっているというせいもある。が、あまりに強い個性を心理的に拒否してしまうということもある。
同じ事はドラマの舞台にも言える。大阪や名古屋が舞台のドラマより、東京の方が見易い。自分が住んでなくても、その方が見易い。
もちろん個性的な主人公のドラマがあるように、地方の個性を生かしたドラマもあるが、基本は東京が素直に見れる。
逆にいうと、個性があまり強くなくて、整備された美しい町が受け入れ易い。人間の場合も同じことがいえる・・。
<つづく>
主人公がみな、美少女の理由? Ⅲ 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
「ストロベリーフィールズ」は、4人の少女全員が主人公。主役の夏美のためだけの物語ではない。
マキも、理沙も、美香もそれぞれの人生を背負っている。夏美を引き立てるためのキャラではない。
ドラマの世界ではよく、主人公をいじめるキャラ。助けるキャラ。影響を与えるキャラと分けられる。主人公に共感し、応援したくなるために他の人物が設定される。
でも、本来、人というのはプラスとマイナスを与え合うもの。それぞれが傷つき、或いは助けられて生きて行く。現実の中で親友、ライバル、理解者、いじめっ子と、別々にキャラは設定されない。
そんなリアルな人間模様を見せながら、同時にそれぞれの視点でドラマが見られる構成はできないか? そう考えると、先の方法論が有効だと思えた・・。
<つづく>
主人公がみな、美少女の理由? Ⅱ 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
二枚目のために、美女のために、他の人たちの人生があるのではない。
眼鏡には眼鏡。デブにはデブの人生があるのに、ドラマの中では主役のために彼らは存在している。
何か違う・・・。
何度か、デブや眼鏡スポットを当て、彼らの人生を引き出すシナリオを書いてみた。が、そうすると物語が進みにくくなる。
観客が共感しにくいのだ。やはり、観客は二枚目や美女の目で物語を見てしまう。いろんな手を使えば成立させられるのだが、ドラマ世界の中で「新しい価値観」を実践するのはむずかしい。
が、それを逆手に取る方法論を考えた。今回の「ストロベリーフィールズ」は4人の女子高生の話。4人全員が主人公。
例えば、これをキャラ分けのために定番にする。主役以外の3人をデブ、眼鏡、チビとなる。
すると美形の主人公の視点でしか、ドラマを見てもらえない。それぞれの視点で見られる物語にするのがテーマなのに、それができない。
それなら全員を美形にするとどうか? もちろん、違ったタイプの美形を選ぶのだが、それによって観客は4人全員に共感できるのではないか?
<つづく>
主人公がみな、美少女の理由? 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
「ストロベリーフィールズ」いちご4人娘。ようやく、3人までが決まった。
皆、可愛く、魅力的!
だが、最初の頃。スタッフから、こう言われていた。
「4人ということは、キャスティングは1人が美少女。あとはデブ、チビ、眼鏡、ノッポというふうにして個性をつけるんですよね?」
確かに、それが定番である。
「スイングガールズ」でも「シコふんじゃった!」でも、そのパターン。青春ものはそうやって個性をつけ、差別化をする。
でも、今回は違うと思えていた。昔から思う事だが、ドラマの中の世界は2枚目の主人公を引き立たすために、醜男やデブ、眼鏡というキャラを作っているように思える。
それらのキャラを使えば、簡単に個性を分けて表現することはできる。が、それでいいのか?と長年思えていた・・・。
<つづく>
ウルトラCでシナリオ改稿!Ⅱ 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
「ストロベリーフィールズ」の地元でオーディション。その中に演技力のある子がいれば、出演してもらう。
話がそんなふうに進んだときに、気付いた。それならポン太や鮭山先生も地元で探せないか? そうすれば、この2人の役を復活させられる。
だが、問題は本来の役に戻すと、かなり演技力が要求される。だから、シナリオ上で、ある程度の演技経験があればできる役に直せば、2人を復活できるのである。
そもそも物語に必要なポン太と鮭山先生を切ったことで、物語が壊れだした。
不必要だから切ったのではない。クランクイン直前にあるスポンサーが出資しなくなったことで、製作費が足りなくなった。それに対処するためにカットしたのだ。
2人分の俳優のギャラ、交通費、食費、宿泊費。それの経費を削減できる。そういう発想。なら、経費がかからない俳優を、地元で見つけることができればカットしなくていいのだ!
以上の点を総合的に考えて、シナリオをリライト中。これで本来の「ストロベリーフィールズ」の世界に戻るはずだ!
<つづく>
ウルトラCでシナリオ改稿! 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
シナリオ直しの件。自分でも驚くようなリライト中。
まず、佐津川愛美に決まった夏美役を、かなり変更して本人に近づける。これは絶対に必要!佐津川の魅力を引き出すことで、映画自体がよくなるはずだ。
さらに、カットしたポン太と鮭山先生も復活させる。それにより鉄男とポン太の友情部分も蘇らせた。
「製作費が足りなくなったから、登場人物を減らしたんでしょう? それでは元も子もない!」と言われそうだが、ウルトラCを考えた!
現在、夏美たちのクラスメート役(セリフ有り)としても、地元の現役高校生に出てもらうことを考えている。
いずれにしてもエキストラとして、地元の方々には出て頂かねばならない。なので、ロケ地・田辺でオーディションをして、何人かの出演者を探そうというのだ!
<つづく>
「ストロベリーフィールズ」キャスティング現状 2005/8 [第六章 理沙を探せ!篇]
夏美・・・・佐津川愛美
マキ・・・・谷村美月
理沙・・・・芳賀優里亜!!!!!
美香・・・・(学級委員。面倒見がいい。でも、友達がいない)
鉄男・・・・(元不良。今はお寺で修行中。マキ、夏美の兄貴分)
春美・・・・・三船美佳
理沙役決定! 2005/8/30 [第六章 理沙を探せ!篇]
その言葉の中にも、芳賀の価値観がいっぱい出ていた。
やはり理沙だ。その後、「555」のロケの話を聞いたりした。が、もう、面接というより、「555」ファンの会話。すでに確信を得ていた。
様々な会話から芳賀優里亜という17歳の女優は、大人っぽくて、しっかりしているように見えるが、寂しがり屋で繊細。
でも、芯が強く、弱音をはかず、立ち続けようとする「強さ」があると感じた。 それこそが理沙と同じ資質。
先に感じた閃きは正解だった。のちほど、事務所にその旨連絡。こうして理沙役は芳賀優里亜と決定。
こうして芳賀にとって理沙としての戦いが、ここから始まる!
<つづく>
理沙と優里亜 2005/8/30 [第六章 理沙を探せ!篇]
「芳賀さん。主人公4人の内で一番自分に似ているのは、誰だと思う?」
僕はそう聞いた。
「そうですね。私は夏美とマキを足したような感じ、だと思うんですけど・・」
理沙役で面接しているのに、夏美とマキというところが正直。が、少し話をすると、彼女の中に理沙の資質があることが感じられた。
芳賀は語る。
「最近、一番嬉しかったのは『仮面ライダー555』の映画版の試写会に来てくれた子供が、『オルフェノクも悪い人たちじゃないだね?』と言ってくれたことです。
こんな小さい子がちゃんと、テーマを分かってくれたが嬉しいかったです!」
(つづく)