歌で振り返る昭和40年代Ⅴ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
40年代前半に人気だったグループサウンズに代わって、後半戦で台頭してきたのがフォークソング。その周辺を上げて見よう。
「あの素晴らしい愛をもう一度」加藤和彦と北山修、「戦争を知らない子供たち」ジローズ、「結婚しょうよ」吉田拓郎、「ぼくの好きな先生」RCサクセション、
「太陽がくれた季節」青い三角定規、「人生が二度あれば」井上陽水、「メリー・ジェーン」つのだひろ、「走っておいで恋人よ」アリス、「学生街の喫茶店」ガロ、「旅の宿」吉田拓郎、「返事はいらない」荒井由実、「傘がない」井上陽水
吉田拓郎、井上陽水、松任谷(荒井)由実は今も活躍。最近また、フォークソングが流行っているのも、昭和40年代の魅力と関係するような気もする。
(つづく)
歌で振り返る昭和40年代Ⅳ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
昭和46〜47年(1971〜72年)はどうだろう?
「また逢う日まで」尾崎紀世彦、「17才」南 沙織、「水色の恋」天地真理、「ピンポンパン体操」金森 勢・杉並児童合唱団、「出発の歌」上条恒彦と六文銭。
「夜明けの停車場」石橋正次、「誰かが風に中で」上條恒彦、「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子。
「瀬戸の花嫁」小柳ルミ子、「ひとりじゃないの」天地真理、「どうにもとまらない」山本リンダ。
この辺からまたアイドルが登場してくる。南紗織、小柳ルミ子、天地真理。皆、大人気だったのを思い出す。
上条恒彦の「誰かが風の中で」は、テレビドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌。(つづく)
歌で振り返る昭和40年代Ⅲ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
グループサウンズというのは、それまでのように歌手が1人で、楽団をバックに歌うのと違い、自分たちでバンドを組んで歌うというスタイル。ビートルズの影響を受けた形式である。
以前はスーツにネクタイの歌手が多かったのに、長髪に、派手なファッションが人気。この辺から日本も変わってきた感じがする。
それらグループが解散し、その後ソロになり、俳優やタレントとして今も活動しているのが、沢田研二、萩原健一、堺正章らである。
グループサウンズ以外では、「恋の季節」ピンキーとキラーズ、「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみがある。
これらの曲も印象的。子供だった僕でも歌詞を覚えた。今でも歌える。さて、このあとはどんな歌がヒットしたのか?(つづく)
歌で振り返る昭和40年代Ⅱ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
昭和43年から44年(1967〜68)のヒット曲は以下の通り。
「風が泣いている」ザ・スパイダース、「モナリザの微笑」ザ・タイガース、 「君だけに愛を」ザ・タイガース、「帰って来たヨッパライ」ザ・フォーク・ クルセイダーズ
「亜麻色の髪の乙女」ヴィレッジ・シンガーズ「イムジン河」ザ・フォーク・クルセイダーズ「花の首飾り」ザ・タイガース、「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセイダーズ、
「神様お願い」ザ・テンプターズ、「長い髪の少女」ザ・ゴールデン・カップス、「グッド・ナイト・ベイビー」キング・トーンズ、「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ
この辺はほとんどグループサウンズ。僕は小学生だったが、どれも聴いたことのある歌ばかり。
「帰って来たヨッパライ」は小学生でも歌っていたくらいだから、凄いヒットだったはずだ・・。(つづく)
歌で振り返る昭和40年代/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」で昭和40年代を振り返って見た。もう少し、何かないかと考える・・。
「歌は世に連れ、世は歌に連れ・・」というが、当時の流行歌はどんなものがあったのだろう? その辺を考えて見ると、より昭和40年代がよく分かると思う。
調べてみると、昭和40〜41年(1965〜66)年のヒット曲には以下のものがあった。
「網走番外地」高倉 健、「兄弟仁義」北島三郎、「二人の世界」石原裕次郎、「ゴマスリ行進曲」植木 等、「夕陽が泣いている」ザ・スパイダース、
「若者たち」ブロードサイド・フォー、「夢は夜ひらく」園まり、「こまっちゃうナ」山本リンダ、「想い出の渚」ザ・ワイルド・ワンズ・・・。
映画の主題歌に、グループサウンズ。何か、時代色を感じる。他も見てみよう。
(つづく)
ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅳ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
「ちびまる子ちゃん」のエンディングソング。歌っていた植木等さん(個人的には、映画「あした」のお手伝いをしたとき、一緒に記念写真を撮らせてもらった思い出あり!)も、当時の人気者。
彼が所属していたクレージーキャッツの映画も皆、日本人大行進というものが多かった。「無責任」シリーズ。「大爆発」「黄金作戦」と皆元気!
これはやはり、戦後の焼け野原から立ち直った日本人が経済復興を果たし、さらにはジャパン・アズ・NO1を目指して経済大国に向かって進む勢いを反映したものだと思える。
東京オリンピックから、大阪万博へ(小学生の頃。3回行った!)
夢も希望もある時代。単に懐かしいというだけではない、そんな元気も昭和40年代に触れるときに思い出される。
古いが元気。それが昭和40年代の魅力。その当時の名残がある田辺市の良さも、それに通じるものがあると思える。 (つづく)
ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅲ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
あと「ちびまる子ちゃん」では、「ゾウが踏んでも壊れないアーム筆入れ」の話もあったのだろうか?
鍵がかかる筆箱以前に流行ったもので、テレビのCMで巨大なゾウが筆箱を踏むものが話題になった。
でも、そんな重さが筆箱にかかることなんてなく、今考えるとどういう意味があったのかと思う。
当時は「強い」「早い」「高い」とか何でも抜きん出たことが大切な時代だった。日本で一番高いと言われた霞ヶ関ビル、さらに京王プラザホテルとかが完成、小学生の雑誌にもよく紹介された。
チョコレートのCMでは、有名な作曲家が大空の気球で指揮。「大きいことはいいことだ!」と霞ヶ関ビルをバックに、もの凄い数の人々が歌うもの。
とにかく、日本大行進のような風潮があったことも思い出す。(つづく)
ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅱ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
磁石で出来た鍵で筆箱がロックできて、人に開けられないというもの。
別に大切なものが入っているというわけでもないのに、そんな筆箱が大人気! 僕の小学校でも、みんなそのタイプに買い替えたのを思い出す。(ちなみに僕も!)
あと、トランシーバーの話もあった。今でこそ携帯電話がトランシーバーのようなものだけど、当時は電話でさえ線で繋がっていた。
無線で話せるトランシーバーというのは、SF映画のようで、もの凄く憧れた。が、超高価なおもちゃで、お金持ちの子供しか持ってなかった。
「まるちゃん」には登場しないが、子供番組では「緊急指令10-410-10」という無線を使って活躍するチームの子供番組もあった・・・。(つづく)
ちびまる子ちゃん&昭和40年代 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
「ちびまる子ちゃん」には、藤岡弘や由美かほるの話まで出てくる。
藤岡弘は「仮面ライダー」でブレイク。その後、超大作映画「日本沈没」「エスパイ」に主演。大人気だった。
由美かほるも、当時話題となった映画「ノストラダムスの大予言」(当時はマジに1999年7の月に世界の終わりが来ると信じる小学生も? 僕も楽しみにしていたが、その年には何も起こらず残念)などに出演。
アース渦巻きのホウロウ看板にも登場。今も活躍しているが、当時を思わす女優さん。
俳優ばかりではない。まる子が新しい筆箱をほしがるエピソードがあった。
その筆箱というのは鍵のかかるやつ。当時を知る人はこれだけで「あった!あった!」と思い出す・・・。(つづく)
昭和40年代舞台のドラマは? /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]
「サザエさん」と同じく、日曜の夜放送している「ちびまる子ちゃん」も昭和40年代が舞台である。
こちらも大人気アニメで、放送から早15年!お茶の間の定番。風俗や文化も取り入れた物語なので、余計に当時の時代が浮き彫りになる。
やはり親たちには懐かしく、子供たちには新鮮なドラマだ。
主人公のまるちゃんが好きなのは山口百恵。口ずさむ「ウララウララウラウララ!」というのは山本リンダのヒット曲「狙い撃ち」。
お姉ちゃんが好きなのは西城秀樹とにしきのあきら。物語で頻繁に登場する話題が花の中三トリオ。山口百恵、桜田淳子、森昌子。
そして新御三家。西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ。 全部実名で出るから嬉しい。
(つづく)