東京でも営業 /2003年10月 [第7章 東京・死闘篇]
「田辺市」と言ってもほとんどの人が知らない。その良さを伝えるために、前回の訪問で撮った写真を大きめに焼き増し。アルバムに大量に入れて資料として、持って各社をまわる。
新しい企画書も作り、写真を入れる。100の言葉で表現するより、1枚のビジュアルが威力を発揮する。で、パソコンと格闘。完成したのが以下の写真。
(企画書の表紙・上と中身・下。企画意図。ストーリー。監督履歴。作品歴。田辺市紹介等が書かれたプレゼン用の書類)
こんなことをしていると、毎日がすぐに終わってしまう。他の仕事をこなす時間がない。生活はさらに苦しくなる・・。
でも、来年になればD社が動けるようになる。それまで生き延びて、何とか「ストロベリー」を形にしたい・・・。(つづく)
シナリオをリライト /2003年10月 [第7章 東京・死闘篇]
和歌山ロケハンで見つけた新たなロケ地を意識して、シナリオをリライト。その場所をより生かせる内容にする。
また、シナリオというのは書いてすぐは見えない問題点が、時間が経つと見えて来る。新しいアイディアも出て来る。キャラクターの深みも出て来る。
ワインと同じように時間が経つと物語が発酵。どんどん、良さが出て来るので、そのたびに書き直しをする。
あと、地元支援と以外にも、東京の会社にも投資を呼びかけている。まだ、まだ製作費は必要。先輩に教えられた企業を訪ねた。
が、「和歌山県」というだけで、やはり担当者は顔をしかめた・・・。(つづく)
だから、負けない! /2003年9月10日Ⅸ [第7章 東京・死闘篇]
先日は「ストロベリー」営業で知り合った人から、ワークショップの講師を頼まれた。経済支援。とても助かる。
「太田監督はいつも真剣だ。あの人に講義をしてほしい!」
そう思ってくれたとのこと。以前の会社では、どんなにがんばっても評価されることがなかったので嬉しい。
なかなか、前に進めない「ストロベリー」号だが、何か少しづつ展開しているような気もしてきた。
この話。応援、支援してもらっている友人、仲間、同士たちには何度もしたかもしれないが、もう一度、伝えたいと思った。感謝しています!
新しい出会いは行動から /2003年9月10日Ⅷ [第7章 東京・死闘篇]
でも、やりたくない仕事で借金をし、努力をし、耐えるなら、やりたい仕事で苦しい方がいい。
以前、借金苦で返済できない人は、何か月も日本に帰れない船に乗って仕事をすると聞いた。最悪はそれで借金を返せばいい!と考えた。
それから他の仕事は一切せずに、「ストロベリー」のシナリオを3ヶ月がかりで書き。その後、営業を続けながら、1年に渡って直しを続けた・・。
この夏で、ちょうど2年が過ぎる。何度は暗礁に乗り上げ、そのたびに先輩たちからも、「もう無理。今回は潰れるな」と言われた。
が、今も地元に援助を求め、支援しようという人も現れた。何とかやっている。
また、「ストロベリー」を始めたことで、いろんな人々と出会った。次第に応援してくれる人も増えている。
最初は「無理だよ」と言っていた先輩も、助言してくれるようになった。新しい出会いが、新しい仕事に繋がっている。
あのまま魑魅魍魎の会社で耐えていたら、決して出来なかった展開だ。やはり、我慢しているだけでは何も変わらないことを痛感する。そして・・。(つづく)
「どうせ無理!」という人たち /2003年9月10日Ⅶ [第7章 東京・死闘篇]
増えつづける借金。生活が成り立たない状態。
しかし、ドラマの仕事を続けても、このままだと便利屋として使い捨てられていくだろう。我慢していても、チャンスは訪れないことが分かって来る・・。
それなら「どーしても撮りたい!」作品をやろう。それが「ストロベリーフィールズ」だった。
以前、仕事をしていた会社とは縁を切る。そして、何としても映画にしようと決めた。
今まで散々、酷い仕事に全力を尽くして、不可能を可能(低いレベルの話だけど・・)にしてきたのだから、本当にやりたい作品ならより可能にできるはずだ。
だが、業界の友人たちにはこう言われた・・・。
「何の実績もない奴に、製作費を出す会社なんてないよ!」
「世の中、甘くない。そんな都合良く行く訳ないだろう?」
「何、夢みたいなこと言ってんの? 現実を見た方がいいんじゃない?」
ほとんどの先輩、同輩たちは批判。否定。「どうせ無理!」という言葉の大合唱だった・・・。(つづく)
でも、手抜き撮影は嫌だ! /2003年9月10日Ⅵ [第7章 東京・死闘篇]
手抜き撮影にはこんな手もある。
必要のない風景シーンを長めに入れて、尺を稼ぐ。抽象的なイメージシーンを入れる。そこにあとでナレーションを入れるのである。もっともらしく見え、手抜きと感じにくい。
そうすれば30分もののドラマでも、実質20分くらいで済む。いろいろと手を抜く方法があると言われた。そして一番大切なのは、絶対にギャラ以上の労力は使わないことだという。
自腹で製作費を立て替えたりはしない。どんなに現場が盛り上がっていても、会社からの製作費が滞れば、その場で撮影をストップさせる。
ただ、それをすると、もう現場は同じレベルに盛り上がらない。別日に撮影を再開しても作品クオリティは下がる。
僕はそれが嫌だった! せっかく、盛り上がった現場は大切にしたい。勢いは大事なんだ。だから、サラ金から借りて撮影を続行してしまう。
どんな低予算でも、時間がなくても粘りたい。少しでもいいものを作りたい。なのに、制作会社は「作品」や「スタッフ努力」を踏みつけることを続けた・・。
(つづく)
手抜き撮影の方法 /2003年9月10日Ⅴ [第7章 東京・死闘篇]
だが、業界を熟知する先輩監督たちは、その手の製作会社でもうまく立ち回る。
低予算の撮影で時間がないとき、彼らはどうするのか? 俳優がセリフを間違えない限り、NGを出さない。広角レンズで全体像を捉えて、それぞれの俳優のアップを撮らない。カットを割らずになるべく長回しで撮る。
役者のアップを撮り、カットを割り、カメラを動かすと時間がかかるからだ。でも、同じポジションで長々と撮れば、予定を早く消化できる。3分の1から、半分以下の時間で終了する。
でも、もともと、撮影期間が異常に短く設定されているので、そうしないと予定内に全シーンを撮り切れないということがある。
さらに、こんな手もあるという・・・。(つづく)
悲惨な後輩 2003年9月10日Ⅳ [第7章 東京・死闘篇]
そのたびに会社と大喧嘩して、「二度とここでは仕事しない!」宣言。でも、次の会社でも同じことの繰り返し。
つまり、4流会社の発想は皆同じ。スタッフの生活や努力など考えもせず、人件費を極限まで削り、自分たちの利益を上げようとするからである。
そんな映画界の底辺のような会社で働いていても、繋がりができるのは別の底辺会社。
いくらがんばっても、メジャーからは依頼は来ない・・。そこで作った低予算作品を持って大手で営業しても、「何か、安っぽいんだよねえ?」と言われて終わり。
その通りだ。信じられない低予算で作っている。
「でも、あの額でここまで出来るのだから、通常の製作費があれば、もっといいものができる」
そう考えてほしかった。だが、多くの関係者は見た目以上のことを、想像できなかった・・。(つづく)
4流製作会社の実体 /2003年9月10日Ⅲ [第7章 東京・死闘篇]
また、ある会社ではこうだ。僕が監督した作品で、編集することをすでに依頼されていた。なのに、プロデュサーは無断で素人に編集させてしまう(ギャラが安く済むので)。
僕は全く知らずに、他の仕事をせずに何週間も待っていたのだ。監督にとって作品は我が子同然。こんな屈辱的なことはない。
次第に見えて来るものがあった。業界の底辺にいる製作会社やプロデュサーというのは、「いい作品を作ろう!」という気持ちは全くない。
製作費をいかにピン跳ねして、人件費を削り、利益を上げることしか考えていないのだ。
時間がかかれば経費がかかる。だから、撮影日数を短くする。それでは撮り切れないので、スタッフは徹夜で仕事する。でも、ギャラは変わらない。
そのギャラを削る。額を最初に言わずに、聞いても教えない。支払日にも払わず、延ばすだけ延ばして、信じられない額を払う。できれば、踏み倒す。
それが業界底辺に存在する制作会社の姿。そんな場所で僕は、真剣にドラマ作りをしようとしていたのだ・・。(つづく)
映画界の底辺 /2003年9月10日Ⅱ [第7章 東京・死闘篇]
ある会社では毎日3時間睡眠で撮影。2ヶ月以上働いても、1ヶ月しか暮らせない額のギャラしか出なかった・・。
別の会社ではこんなことがあった。ほとんどの準備が終わり、撮影を5日後に控えていたとき。会社からこう言ってきた。
「企画変更! 別の話で行きます。シナリオも新たに書いてほしい。でも、撮影は予定日にスタートするように!」
そんなことを平気で言って来るスポンサーがいた。つまり、5日間でスポンサーが指定する別の物語のシナリオを書き、予定通りに撮影を始めろというのだ。
そこまでかかった準備と費用が全て無駄になる。新たな準備。シナリオ、ロケハン、小道具集めにも費用と時間がかかる。なのに、追加費用はなし。時間も与えないというのだ。
スタッフからは「もう、やめましょう。常識を越えている」という声も上がったが、これもチャンス。完成させようと、限界に挑んだ。完成しただけでも奇跡だったが、プロデュサーはこういう。
「これじゃあ。ダメだなあ〜」
そう無神経にいい放つ。死んでもらおうかと思ったこともあった・・。(つづく)
スタート地点を振り返る /2003年9月10日 [第7章 東京・死闘篇]
この2年ほど、「ストロベリー」のために走りまわっている。そもそも、何で自力で製作費まで集めて映画を作ろうと考えたか? そんな背景を思い出すことがあった・・・。
無我夢中で走っていたので自覚してなかったが、思い出したこともある。何度もこの話を聞いてもらった友人もいると思うが、もう一度聞いてほしい。
僕は1988年に監督デビュー。だが、それから5年間。超低予算Vシネマ等、悲惨な仕事ばかりやっていた。
ギャラを遥かに上回る時間と労力をかけて撮影、編集。制作会社から現場費が途中でなくなり、自腹で制作費立て替えて撮影を続けることがもあった。全力で作品を作っていれば、いつかは認められる。
いいものを作れば必ず展開できると信じてやってた。努力と作品クオリティは必ず伝わるはずだと思っていた。
しかし、「次は長編ドラマを撮ってみないか?」という声はかからない。それどころか、会社は僕が立て替えた現場費を値切ったり、踏み倒したり。ギャラの支払いが約束より何か月も遅れたりした。
作品が評価されることもなかった・・・。(つづく)
映画界のサムライ /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
すると、ベテラン・スタッフの彼は、こう言った・・・。
「何言ってんですか?太田監督がやる!というのなら、どんなにギャラが安くても! どんなに制作費がなくても、僕はやりますよ!
遠慮せずにいってください。だって太田監督はまっすぐで、掛け値なしに、いいもの作りたいってのが分かりますから。
不器用で嫌いなものを好きなんて言う人じゃないから。顔を見てれば分かります。
だから、好きなんですよ。太田さんがやりたい!という作品に協力したいんですよ!
製作費集めも大変だと思います。でも、あなた位の情熱があれば、絶対にできます。神様は必ず見てます。大丈夫です・・」
それを聞いて・・・・泣きそうになった・・・・こんなサムライのような映画人もいるのだ・・・絶対にがんばる・・・・。(つづく)
和歌山死闘篇へ
ベテラン・スタッフ/2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
以前、お世話になった技術系スタッフに会った。撮影に不可欠なあるものを用意してもらったのだが、本当にイメージ通り。凄いと思った。
言葉を尽くして話しても分かってくれないことが多いのに、彼は何も言わなくてもピッタリなものを作ってくれた、
もし、可能なら次回もお願いしたい。とりあえず、お願いだけでもしておきたい。だから「ストロベリー」の話をした。
「まだ、制作費は集まっていないです。このまま潰れる可能性もあります。けど、もし、正式にスタートできたら、お願いしていいですか? 低予算のかなり厳しい作品だけど、どうでしょうか?」
すると、彼はこう言った・・・。(つづく)
映画会社の体質/2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
正式にスタートしてからスタッフ参加してもらったのでは、時間が足りなくなるのは目に見えている。
今回は低予算。時間もない。早めに動くことが大切。でも、彼らがなかなか動いてくれない理由も分かる。
この業界。仕事を正式に依頼しておきながら、企画が潰れたときにはキャンセル料も払わずに投げ出してしまう会社が多い。働かせておいて、必要経費さえ払わないところがある。
スタッフは泣き寝入りことが多い。製作会社からの依頼でもそうだ。まして、僕のような新人監督から話なんて危なくて仕方ない。
皆、用心深く。正式に決まっても、なかなか動いてくれない。それが映画界の現実でもある・・。(つづく)
金でしか動かない人々 /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
あるプロデュサーは、相談するとこうだった・・。
「そんなことは自分で考えろ!」
この会社に行ってみようと思うんです。と話すと、
「だったら、行ってみろよ!」
一緒に行ってほしい。と頼んでいるのではないのだが。
また、別のプロデュサーはこう言う。
「ある程度の金が集まったら動いてやる」
つまり、タダ働きは嫌だということ。当然のことではあるが
それが現実である。別のスタッフはこうだ。
「スケジュール空けて置いて、企画が潰れたらお前がギャラを払えよ? それができないなら、正式にスタートしてから頼みに来い」
(つづく)
低予算映画の戦い方Ⅱ /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
また、「春に撮影できそうだから、スケジュールを空けて置いてほしい」と頼むのもキツい。
もし、製作が急に中止になった場合に、僕自身が経費やギャラ。キャンセル料を払えるのならいいが、自身が借金生活で食うや食わずで動いている。その余裕はない。
だから、本当に相手の好意にすがるしかない。でも、そうやって事前に動いてもらうことで作品レベルが向上する。低予算でもいい映画になる。無茶を分かってお願いする。一緒に仕事をしたことのある人々にお願いに回る。
しかし、厳しい返事も多い・・・。(つづく)
低予算映画の戦い方 /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
低予算映画の場合。正式な製作スタートを待って動いては遅い。それから動いても、いつも時間切れで後悔することが多い。
もう少し時間をかけて説明していれば、あんなことにならなかったのに・・・と反省することもある。
だから、早めにスタッフと会っていろんな話をすることは必要。だが、さらに一歩進んで準備をしてもらうのはむずかしい。正式スタート前に動いてもらっても、その分のギャラは出ないからだ・・・。
交通費も、食費も、人件費も出ない。その上、正式にスタートしなければ、本来のギャラも出ず、撮影も行われない。
そのリスクを背負った上で、個人的に動いてほしいとお願いするのは、やはり厳しい・・・・。(つづく)
「踊る!大捜査線」スタッフ /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
で、会ってもらったのは「踊る!大捜査線」撮影部のカメラマン。ホラードラマでお世話になったCGアーティスト、大林組で助監督を務めていた先輩。
フリープロデュサー。ベテランの照明技師、等、僕が長年お世話になっている人から最近知り合った若手まで、これぞ!という人々に連絡、話を聞いてまわる。
こちらが教えてもらう立場なのに、飯を食わせてくれる先輩もいた。1食分の食費が助かる。僕には大きい。感謝。
ちなみに昨日は、何本も仕事をした名カメラマンSさんと会う。明日は技術部のベテランを訪ねる!(つづく)
プロデュサー業兼務? /2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
「ストロベリーフィールズ」進行報告。今月は多くの友人スタッフを訪ねた。まだ確定はしていないが、地元から「*千万出してもいい」という感動的な話が出てきたので、次の段階を進めている。
映画は本当に金がかかる。大事に節約して使う必要がある。特に地元からの出資は大切にしたい。
そのために、それぞれのパートで人件費や機材費がいくらかかるか? 撮影で必要なこと、どーすれば安くできるか?等を勉強。何べく予算をかけずに、作品ができるようにするためだ・・。
本来、それは監督の仕事ではないのだが、現段階ではお金が動かないので、その辺の仕事をやってくれる人がいない。
だから、監督、脚本以外のことも全て僕が一人でやらねばならない。やはり、今回はプロデュサー兼務である。
予算の見積もりを立て、どの程度のタイアップを取り、さらなるスポンサーからどのくらいの額を出してもらえばいいかを計算、交渉にも行かねばならない・・・。(つづく)
モーニング娘。撮影/2003年9月 [第7章 東京・死闘篇]
友人のカメラマンに連絡。「踊る!大捜査線 ザ・ムービー」にも参加したベテラン。忙しい人だが、ようやく捕まえ、会う時間をとってもらえた。経験豊富なので、現場の話を聞かせてもらう。
あと、知り合いの照明部とも話したい。まだ、依頼できる段階ではないけど・・。
が、言ってる間に、モーニング娘。の撮影が迫る。朝4時起きで福井まで行ってライブを撮る。今回は演出部ではなくカメラマン。
彼女たちが出演したドラマ「太陽娘と海」のときは、演出補。兼、メイキング演出。兼、カメラマン。兼、編集だった。あの頃から、何でも屋。それが器用貧乏に繋がっているのか?
娘たちとは映画「モーニング刑事」以来の再会で楽しみだが、よく知る子はもう数人しかいないのは淋しい。
でも、「ストロベリー」の準備で長期間拘束される仕事は受けられないので、この手の仕事ができるのはありがたい。何とかクランクインまで、生き延び残びるぞ・・・。(つづく)
続続・七人の映画スタッフ集め /2003年8月 [第7章 東京・死闘篇]
なので、正式な依頼はできない。といって全てが正式に決まってからだと時間がない。
その映画がどのような流れで始まり、いかにしてスタートしたか?何て伝えられない。
それが分かると、スタッフ側はがんばってくれる。前々から聞いていた作品だと、突然の仕事より気合いを入れてくれる。
また、シナリオ等も早めに読んでおけば、いろんな勉強や準備もしてもらえる。
製作開始事前に話をし打ち合わせができると、監督にはない技術パートならでは発想や助言をもらえる時間も取れる。
こちらも持ち帰り、じっくりと考えることができる。
製作が始まると本当に寝る間もないくらいの忙しさとなり、全てのスタッフと細かな話をする機会はない。
何事もそうだが、公式にスタートしてから始めたのでは遅い・・・・だから、今から準備しておくことが大切なのだ・・。(つづく)
続・七人の映画スタッフ集め /2003年8月 [第7章 東京・死闘篇]
映画がスタートしたら、ラインPを頼もうと思っている友人がいる。 頻繁にメールを書き、近況を知らせている。だが、現段階ではまだ依頼ができない。
「来年の春に撮影するんだけど、スケジュールを空けておいてもらえますか?」
なんて言った場合。
延期になったり、製作中止になると、その人は1か月以上の仕事が突然なくなることになるからだ。急に別の仕事を入れる!なんてこともできない。その期間、彼は失業状態。制作会社側は・・・
「まだ、雇用していない状態だ!」
といい、ギャラは一切払わない。その人の生活を破綻させることにもなる・・・。
(つづく)スタッフ集めは「七人の侍」? /2003年8月 [第7章 東京・死闘篇]
製作費が集まれば、映画は作れる。でも、必ずいい映画が出来る訳ではない。それには、「やる気」のある「腕のいい」スタッフを集めることが大切。
今回は小品なので、高額なギャラは払えない。それでもがんばってくれる映画職人が必要なのだ。
まさに「七人の侍」。腕が立ち、名誉や金にこだわらない侍を集める必要がある。
しかし、それには時間がかかる。製作費が完全に集まり、ゴーサインが出てからでは撮影の準備で忙殺され時間がなくなる。
黒澤明監督のように、黒澤組と呼ばれる腕のいいレギュラースタッフがいればいいのだが、経験の少ない僕にはまだ「太田組」と呼ばれるスタッフがあまりいない。
なので、まず、一緒に戦ってくれる仲間を探すところから始める!(つづく)
*千万円の投資? /2003年8月 [第7章 東京・死闘篇]
大きな展開があった!!!地元から連絡。「映画は町おこしになるので、考えてみる」と言ってくれた社長の近況だ。
あちこちで「映画作りは町のためになる!」と話をしてまわり、「ワシは*千万位投資する考えがある!」と言ってくれたという。
感謝!!!!!!!!!
早々にお礼のお手紙を書き、D社のPにも報告する。彼も大喜び。「来年の会議に出せそうですよ」と言う。
しかし、まだ8月。来年までには4か月もある。今年の会議には出せないものなのか?
でも、これで「ストロベリーフィールズ」製作が現実的になってきた。地元で投資があれば、D社も動く。そうすればスタート。
とはいえ、その前にやらねばならない大切なことがある・・・。「七人の侍」集め(?)である・・・(つづく)
映画企業の計算 /2003年8月・Ⅴ [第7章 東京・死闘篇]
企業というのはリスクを恐れる。自社で100%出して失敗したら、100%の損害だが、50%の出資なら損害も50%。
地元の応援があることで、より経済的な作品作りができる。多くの市民にもアピールするので、宣伝にもなる。地元公開で大量の観客動員が望めるということ。
そして企業は営利を追求するのもので、地元の町おこしのためとか、地元をアピールするためとか言う気はさらさらない。
が、目的が利潤追求だとしても、映画を撮ることで地元が得るものは大きい。
先日、話したご老人のいうように、この町が素敵な町であること。若い人たちに知ってもらうことも出来るはずである!(つづく)
プロデュサーに報告 /2003年8月・Ⅳ [第7章 東京・死闘篇]
「ストロベリー」製作に手を上げてくれているD社のプロデュサーにも、地元訪問のことを報告した。
とても喜んでくれる。もし、地元が映画製作に協力してくれて、製作費の半分を投資してくれるのであれば、企画会議に出したときに非常に有利なカードになるという。
というのは、当初は全額をD社出資で考えていた。が、地元が半分出資してくれれば負担が2分のⅠで済み、製作に参加しやすくなる。
尾道ロケを提案したF社が出資するという話に、Pが乗ったのも同じ発想。
複数の会社が出資する方が、安心できるということ・・・。(つづく)
ストロベリー城のレンガ? /2003年8月・Ⅲ [第7章 東京・死闘篇]
監督業の現実を思い知りながらも、次ぎの準備のために「やるべきこと」を片付けて行く。
でも、この辺もいくらやっても、ギャラが出る訳でなし、全て「ストロベリー」城のレンガを1人で、ひとつひとつ積んでいる作業なんだよなあ・・・・・・。
朝までかかり、お世話になっている先輩に報告のメールを書き上げる。2日がかりとなる。かなりの量だ。
でも、彼らの応援があるからがんばって行ける。
明日、もう一度読み直してから送信する。本日は、何人に「和歌山行って夕陽を見つけて・・」という話を書いただろうか? 明日も事務作業が待っている・・。(つづく)
映画監督は因果な商売 /2003年 8月・Ⅱ [第7章 東京・死闘篇]
根性がなくなったのか・・・・・それとも、自分が思う以上に疲れ切っているのか?
いつものことだが、過労で倒れるまで仕事してしまう・・・。営業を始めてからほとんど休みがないし。その疲れがかなりのものになっているのか? それとも歳のせい? 来月で42歳だ・・。あーー。
同年代の友人のほとんどが結婚し、子供までいるのに、僕は何をやっているのか?
いや、これが監督業の宿命。因果な商売である。
経済的にも不安定で、この歳になっても食うや食わずの生活。それでも「撮りたい映画を撮るか?」というのが、監督業だと思える。(つづく)
友人たちに報告/2003年 8月・Ⅰ [第7章 東京・死闘篇]
第1次・地元営業を終えて帰京。
やはり、「ストロベリーフィールズ」を撮るのは、我が故郷・和歌山県田辺市だ!と感じた。
また、企業の社長が強い興味を持ってくれたのが、大きな収穫。「考えてみる」という言葉を待つことにする。
応援してくれている友人、業界の先輩に経過報告を送る。今回感じたことを盛り込んだ新しい企画書を地元用に製作。たくさん撮った町の写真のフィルムを現像に出す。
さらに若い人たちにシナリオを読んでもらった感想をまとめ、印刷して、閉じる。そして協力してもらっている関係者に進展報告。
深夜までメールを書いていると、急激に集中力が欠けてきた。何十通も書いているからか? 地元での営業疲れか? 疲労が背後霊のようにのしかかって来た・・・。(つづく)