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第21章 撮影延期篇 ブログトップ

撮影再開はできない/2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 こういう話と同じだと思える。

 嵐の夜に雨と風に打たれて、震えながら歩いたとして、一度、家に戻り、風呂に入ったら、もう一度、嵐の中に戻りたいとは思わないだろう。

 撮影も同じなのだ・・。

 一度、中止した撮影を再開するというのは、もう一度、嵐の中に戻ること。暖かい部屋にいれば余程のことがない限り、もう外には出ようと思わないだろう。

 だが、友人は「ストロベリーフィールズ」の製作を休止して、元の生活に戻ることを提案。こう言った。

 「しばらくは借金返済ができるように、ちゃんと仕事をして、まともな生活をした方がいいと思いますよ。
 それが大人の考え方。一度、製作を中止して体制を立て直した方がいいですよ」
 
 ちょっと、聞くと、その方が堅実だと思えるかもしれない。が、一度、スタートしたことを途中で止めると、再開するには、これまでの何倍ものエネルギーが必要なもの・・。

 一度、止めたプロジェクトが再び勢いを盛り返すなんて、まずない。たいがいは再開不可能となるのだ・・。

<つづく>


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映画を諦めた友人/2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 撮影を再開しないと死刑になるとか、罰金を払わないといけないということもない。

 親が「監督になってほしい」と願う訳でもなく、むしろ平凡なサラリーマンになることを望んでいる。

 大学や専門学校を出れば、そこそこの就職はできる。投げ出しても誰も困らず、罰せられることもない。
 がんばっても評価されるとか、名誉になるということもない。

 そう考えると、無理して、皆に迷惑をかけてまで、撮影を再開する必要はないなと思えてくる。
 こうして彼はシナリオの問題点を直し、金を貯めて撮影を再開することはなかった。

  同じような経緯で、撮影を中断した友人は多い。そして再開した者は一人もいない・・・。

<つづく>


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巨匠は手を差し伸べない /2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 その自主映画を作りたいのは彼だけ。友人の力を借りて、出演までしてもらって撮影するのは「我がまま」と思えて来る。

 撮影を続けるには強靭な意思を持って、仲間たちを引っ張って行かねばならない。悩んでいてはダメ。

 おまけに眠くても朝早く起きて、夜遅くまで働き、真夏なら暑い野外で、冬なら震えながら屋外で撮影する。そんな大変なことをしなくても、学生である彼は何も困らない。
 
 巨匠・黒澤明監督が「君は映画監督に向いているから、がんばりなさい!」と言ってくれた訳ではない。

 出来た作品をスピルバーグ監督が見てくれて、「気に入れば、ハリウッドに呼ぶよ」と約束している訳でもない・・・。

 それでも自主映画を続ける必要があるのか? 何のために8ミリ映画を撮るのか?
 その作品を仕上げたからと、必ずプロの監督に慣れる訳ではないのだ・・。

 友人は自分自身に、そう問い正す。葛藤は、続く・・・。

<つづく>


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製作費が飲み代に /2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 彼は「自主映画と言えども作品を作るということは、大変なことだ」と実感。「オレには無理なのではないか?」と思えてきたという。

 「たまには、パーーとやらないか!」と、飲みに行くことが増える。「シナリオ直しは、進んでいるか?」と聞くと言葉を濁すようになった・・。

 やがて彼の口から「撮影再開!」という言葉は聞かれなくなる。バイト代を製作費として貯金することもなくなり、飲み代として消えて行く・・。

 それを「意思が弱い!」と批判するのは簡単だ。でも、監督料がもらえる訳でもない自主映画。8ミリカメラをまわし、友人に出演してもらう趣味の延長。

 スタッフをしてくれる友人たちに、ギャラを払う余裕もない。撮影を中断しても、誰も困らない。がんばって撮影しようとする方が、多くの友人に迷惑をかけるのである・・・。

<つづく>


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自主映画時代 /2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 自主映画時代。今からもう25年前の話になる。プロの監督を目指す友人の8ミリ映画撮影を手伝った。

 撮影途中で資金面、シナリオ面の問題が勃発。このまま撮影を続けるべきか? 皆で悩んだ・・。

 友人は一度撮影を中断、全てを仕切り直してから再開すると決意。数ヶ月バイトすれば、資金にも余裕ができるし、シナリオを直す時間ができる。誰もが、懸命な考えだと思った。

 が、時間が経つに連れて、熱かった撮影の日々が遠い昔に思えて来る。協力していた仲間たちは、「平凡な学生生活」という名の現実へ戻ってしまう。

監督をしていた友人も、次第に情熱を失い始める・・・。

<つづく>                          
 


タグ:自主映画
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堅実な考え方? /2005年3月 [第21章 撮影延期篇]

 映画「ストロベリーフィールズ」製作で大きな問題が続いて起こり、今年の春の撮影が中止になったこと。膨大な製作費を集めねばならないことについて、映画業界で仕事をしている昔からの友人に相談。こう言われる。

 「がんばってはほしいけど、他人事として話を聞いていると、もう無理だと思うなあ。情熱は分かるけど、それだけではうまく行かないものですよ。
 しばらくは借金返済ができるように、ちゃんと仕事をして、まともな生活をした方がいいと思いますよ。

 それから、またじっくりスポンサーを探して、営業すればいいんじゃないかなあ? ロケ地も交通費のかからない東京近隣の田舎町にして、撮影した方がいい。
 それが大人の考え方。懸命というもの。一度、製作を中止して体制を立て直した方がいいですよ」

 その話を聞いて、自主映画時代の友人を思い出した・・・・。

<つづく>


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映画の株? /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 彼の説明によると、M銀行が製作会社に投資するのではなく、製作会社が集めてきたお金を銀行が預かり、株として発行してくれる。

その収益を集めて、製作会社に戻すというもの。正確には投資ではなく、株の代行でしかないらしい。

 つまり、銀行側は単に代行作業をするというだけのこと。知人は言う。

 「やはり、日本の銀行というのは、閉鎖的で損をする可能性があることは絶対にしないんだよね。この時代にそんなことを言ってるから、潰れるだよなあ・・」

 結局、何の展開もなかった。が、これも情報収集の内、勉強。一番動くのが遅い政府でさえ、映像産業がこれからの日本を支える重要なものとなることに、気づいている。なのに銀行はそれを受け入れずに、従来の発想で対応。

 知人のいうように倒産するか? 合併するしかなくなるのではないか? 過去の価値観を守り、新しい時代の波に乗れない江戸幕府は、同じようにして滅びて行ったのかも・・・。メゲずに営業続ける!

<つづく>


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銀行が映画に投資するアメリカ /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 思い出すのは、アメリカの銀行。昔から映画への投資を熱心に続けている。1977年の「未知との遭遇」の頃から、銀行から多額の融資が行われていた。

 というのも、日本の銀行は担保があるものにしか金を貸さないという発想だが、アメリカはこれから延びそうな会社、ブレイクしそうな人材に投資するからだ。

 失敗すれば大変だけど、成功すれば大儲け。担保がある人や会社にしか投資しないというのでは大きな勝負はできない。
 その辺が銀行のみならず、日本とアメリカの発想の違いだと思える・・。

 だが、日本の銀行はアニメでないというだけで、完全アウト。M銀行の巨大なビルを後にした。

 帰り道。同行した知人が、僕が理解できなかった専門的な部分を解説してくれる。それはさらに、ネガティブな日本の銀行を感じさせた・・・

<つづく>


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政府と銀行の映画認識 /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 さらに話を聞いていくと、M銀行自体が映画に熱心な訳ではないようだ。

 宮崎駿が「千と千尋」でアカデミー賞を取ったり、北野武が海外で評価されたりという状況から、映像コンテンツが重要な輸出物と政府が考え出したという。

 通達を出し、銀行に映像産業への支援を指示。(芸大の教授にビートたけしを起用したり、文化庁が支援金を出すのもその一貫)

 そのため、M銀行としても嫌々ながらでも、その種の委員会に参加。映像産業への投資セクションを設置したそうだ。

 それも担当者が小声でいうところによると、その手の政府からの指示に従わないと別のところで意地悪されるらしく、仕方なしに従っているということ。

 そんな訳で彼のいるセクションはたった2人。それで何十億も扱っているので、やはり銀行って凄い。

 が、結局、建前的にやっているだけで、真剣に映像産業に投資しようとか言う気はないようだった・・・。

<つづく>


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映画でダマされた銀行 /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 「実は、以前、実写に投資したことがあるんですが、全く収益が出ず、ゼロ!だったんです。

 それ以来、もう、実写というだけで、みんな拒否するようになって、アニメのみで行こうということになったんです・・・」

 でも、彼の話方からすると、収益が問題ではなく、映画会社に騙されたかのような印象。単に儲からなかっただけではないと感じる。

 以前にも「悪徳制作会社」シリーズで、その手口を紹介したが、彼らはさまざまな手で、一般企業を引き込み資金を引き出し、儲けは独占する。

 担当者は守秘義務があるので、作品のタイトルは言えないというが、もう思い出したくないという拒絶ぶり。

 先ほどまでの、冷静沈着な計理士のような話し方とは違った。感情的で取引先への憎しみさえ感じる。かなり酷い目にあったようだ・・・。

<つづく>


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映画に投資? /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 銀行側は「映画の内容によって判断」という。この日のために作った映画「ストロベリーフィールズ」の新しい企画書を見せ、説明した。

 現代の日本人には心の里帰りが必要なこと等の方向性。今、地方にパワーがある理由。若い人たちが機械を通してしかコミニュケーションできない理由等、そんなことを語る。

 「なるほど、なるほど」と行員は頷き、興味を示す。「で、その作品をアニメにしようという訳ですね?」と聞かれた。いえ、実写ですけど・・。と答えると・・。

 「ああ、実写なんですか? それはダメです。ウチはアニメにしか投資してないんです・・」

 という答え。アニメにはすでに何十億円も投資して、成功を納めている。原作がどの程度売れていれば、どのくらいの売れ行きがあってと計算するノウハウがあるが、実写はまだ学習できていないというのだ。

 が、実写もアニメも同じ。業界では原作の売れ行きから、観客動員を計算するのは基本。
 さらに言えば、ベストセラーを映画化したからとヒットするものではなく、大金かけて宣伝したからと昔のようにヒットするものでもない。

 映画は風を読む部分が強い。本来、ビジネスモデルや法則によっての計算は成り立ちにくいのだ。そう思いながら話を聞いていると、担当者はこう言った・・。

<つづく>


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銀行融資/2005年2月 [第21章 撮影延期篇]

 行動を開始した。M銀行が映画に投資していると聞く。窓口を探し、説明を聞きに行った。

 担当者が個別に話をしてくれるとのこと。たまたま同じように投資を募っている知人がすでにアプローチ。アポを取っていたので、同行した。

 銀座に近い場所にある「M銀行支店」。業績不振といいながらも巨大なビルを構え、多くの行員が働いる。そこの15階にある投資部。小さな会議室で、僕ら2人のために説明会をしてくれた。

 担当者は30前後の若い銀行員で、見るからに一流大学を出たという賢そうな人。金融、投資にめちゃめちゃ詳しく(銀行員なので当然ですが・・)、異常に丁寧な言葉使いで応対。

 難しい専門的な説明で、細かなところは分からないが、ある程度の資金が集まっている場合に、製作プロ側に投資するというもののようだ・・・。

<つづく>


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突き刺さる言葉 /2005年1月 [第21章 撮影延期篇]

 業界の友人からも、こう言われている。

  「もう無理でしょう? その映画は絶対に無理。潰れますよ! 僕なら降りますね・・」

 「他人の話として客観的に聞くと、潰れると思えますね。同情はしますが、一度ケチのついた作品って、なかなか立て直せないものです」

 「関係者も、もう辞めると言うでしょうね。自分の知らないところでバカな奴がいて、そのために撮影延期・・・。やる気なくしてますよ・・・」

 「こんな形で潰れる映画は、よくあります。残念だけどもうダメですよ・・」

 言葉のひとつひとつが胸に刺さった・・・。だが・・・、でも・・結局「ストロベリーフィールズ」を映画にしないと、何も展開しないのだ!!!!!!!

 この作品を完成させ、実力をアピールして、大きな作品に繋げるか? 死ぬまで負け犬人生を送るか? そういう選択だと思える!!!

  命を賭けて来た4年を生かすには、やはり、戦うしかない!! まっ白になった自分に、そう・・・言い聞かせる・・・。

<つづく>


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遠洋漁業/2005年1月 [第21章 撮影延期篇]

 どこか小さな会社にでも就職して、借金返済にあとの人生を費やすか・・・。でも、悔しくて悔しくて、残りの人生は負け犬生活だ。

 他人や世間を恨み、「俺はがんばった・・・でも、世の中が甘くなかった。悪いのは世の中だ・・」と言いながら、社会を拒否して生きることになるのか・・。

 きっと、最後には映画「十階のモスキート」の内田裕也のように発狂して終わる。

 借金を苦にした人が、遠洋漁業の船に乗り一気に返済する。という話を聞いたことがあるが、それがいいかもしれない・・・。 

<つづく>


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撮影延期/2005年1月  [第21章 撮影延期篇]

 結局、2005年春には・・・撮影、できないこととなる・・。

 いつもなら、「ちくしょーー負けてたまるか!」と思えるのだが、今回はもう、真っ白で、何かどうでもいいや・・・・という気さえしてくる。

 多分、ボクサーが試合で、結構、殴られている内は「負けるか!」と思う。けど、もの凄いKOパンチを食らったら、戦意も喪失して動けなくなるようなものかもしれないと考えたり・・・。

 しかし、「ストロベリー」が撮れないで、このあとどうする? 待っていても、監督依頼はそんなに来ない。その収入では生活するのもままならない。

 この4年間の借金を返すことなんて完全に不可能だ・・・。<つづく>


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4年目が終わる/2004年12月29日 [第21章 撮影延期篇]

 スポンサー探しに奔走している。が、簡単に多額の投資をしてくれる会社は見つからない。

 仕事収めの日。業界の友人から有効な情報。その事務所に即、電話。今日で仕事は終わりなので、来年にしてほしいと言われる。

 が、そこを何とかお願いして、押し掛ける。心配した友人も同行してくれた。担当者は話を聞き、真剣になってくれる。

 投資してくれる映画関係の会社に、いくつか心当たりがあるとのこと。来年早々に動いてくれるという。感謝!

 こうして大きな問題を抱えたまま、4年目が終わろうとしていた・・・。

<つづく>


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熊野古道/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 いつもは、田辺から大阪に出て、東名高速で帰京する。

 が、今回は世界遺産にもなった熊野古道を通り、三重県を抜けて名古屋に出て、東京に戻ることにする。

 その熊野古道。ほとんどが田辺市にある。どこか映画で使えるところがあるかもしれないので、ロケハンしながら帰ることにした。

 といっても紀伊半島を横断するほどの長さ! 移動するだけでも大変。

 が、夜明けの山々に大感動。さすがに世界遺産と思える・・。

 
<つづく>
 
 


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昭和40年代を思う風景/2005年12月 [第21章 撮影延期篇]

 東陽中学の木造校舎。天神崎の夕陽。会津川の排水口。他にも僕の好きな田辺の風景はまだまだある。

 その1部を紹介。


 上写真は古尾の寺の裏通り。まさに昭和40年代を思い出させる。ある映画関係者は「ここの美術部。いい仕事しているなあ!」と言ったほど。プロでも、この感じは出せない。

 

 稲成の坂道。坂って絵になるんだよなあ。そこにもうドラマがある。

 
 会津川の側にある水路に面した家々。ここにもドラマがある。人が住む町と言う感じがする。ここも僕が好きな風景のひとつ・・。(つづく)


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ある美しい町で/2005年12月 [第21章 撮影延期篇]

 どうしても市内では見つからないロケ地があるので、近隣の町を訪ねてみた。

 ここは凄かった。或る意味で田辺を越える。懐かしさと、美しさとが見事に同居し、それが保たれていた。

 田辺では素敵な場所が次々に、壊され建て替えられて行く現実がある。それゆえ、僕は映画を通じて、その大切をよりアピールしたいのだが、この町は古いものを守ろうとしているように思える。

 町起こしではなく、待ち守りをしているように見える。その美しさ。写真で見てほしい。


<つづく>


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死神テストⅤ ゾンビと死神 /2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 ゾンビ映画の傑作「DOWN OF THE DEAD」。日本タイトルは「ゾンビ」。あれに登場するゾンビは本当に怖かった。

 昨年公開された、そのリメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」。前作のゾンビはゆっくりと歩いて来るが、新作はスピードがあり走って人間を襲う。

「この方が絶対に怖いだろう!」と思ったが逆だった。ゆっくり来る方がずっと怖い。

 頭で考えるのと、実際は違う。「ストロベリーフィールズ」の死神は、どんな動きが怖く、どんなポーズが死神らしいか? そんなことも試してみた。

 若旦那にさまざまなポーズを取ってもらい、検討した。

<つづく>


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死神テストⅥ 伽椰子と死神 /2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 

 死神を撮影する・・いや、映像の上に生み出すために必要なのは、まず光。そして、衣裳。さらに俳優の資質。

 次に考えたのが動き。

 映画「呪怨」で見事だったのは、やはり伽椰子の動きである。見ているだけで嫌悪感を持ってしまう、あの凄さ。
 ひとつ間違うと、タモリの昔の芸・イグアナ。だが、紙一重で恐怖となっている。

 では、死神はどういう動きがいいのか? 

<つづく>


タグ:呪怨 伽椰子
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死神テストⅤ 誰が演じるか?/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 上の写真。太陽待ちをするカメラマンと若旦那。逆行がいいことが分かり、陽が射すのを待つ。

 スチ−ルの撮影だけでなくムービーの方も、やはり逆行気味が良い感じ。ただ、なぜか、海を見ている死神が淋しそうに見える。

 あの世に置いて来た彼女を思って、海を見つめているような感じもする。原因を考えてみると、死神の衣裳を着ている若旦那にあるようだ。

 高く、背丈、いずれも問題はない。ルックはめちゃめちゃいいし、強うそうに見える。が、若旦那は非常に温厚で優しい人。いつも、気遣ってくれる。フォークのバンドを組んでいたりして、ナイーブな癒し系タイプ。

 そんな性格が黒い衣裳を頭から被っていても、感じられるのか? 死神役は、背が高く、強そうなら誰でもいいということではないようだ。

 衣裳と共に演じる俳優の資質が、「死神の存在感」を決めるように思えて来た。


<つづく>


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死神テストⅣ 会議室と現場/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 

 海を見つめる死神。

 撮影は逆光が有効。衣裳生地の質感がでないこと。全体が影となり、不気味さや神秘さが出ること。

 あと、死神の定番である大きなカマは持たせなかった。あれがあると死神だと分かり易い。

 が、青春ファンタジーである「ストロベリーフィールズ」の物語からすると、少し違って来るのでなしにした。

 美しい田辺の風景に不吉な死神というのは、思った以上にいいものだ。美しくも悲しい物語にも合っている。

 行ける!とは思っていた。が、実際にやってみると、想像だけでは分からないことが見えて来る。
 やはり、会議室では映画は作れない。映画は現場で作るもの・・・どこかで聞いたセリフ?

 <つづく>


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死神テストⅢ 衣裳と生地 /2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 映画というのは実際にはあり得ないものを、映像として写し出す仕事。「ゴジラ」等の怪獣から、「四谷怪談」のような幽霊。

 実際には存在するが、再現すると膨大な金がかかってしまうのが戦争映画。だから、特撮を使う。

 その種の作品を撮るときには、本当にリアルな映像が可能かどうか? テスト撮影をする。

 その繰り返しの中でさまざまな技法が見つかり、本編に生きて来る。

 死神に関しては、以前、別のドラマでテスト済み。だが、田辺と言う町と調和することを確かめたいのがメインで、カメラ・テスト。

 ムービーとスチールの両方を撮影。

 以下が、その1枚。稲成の坂道に佇む死神。町のどこかに病気で寝込む人がいて、その死期が間もなく来るので待っているという設定。

 なかなか良い感じである。ただ、衣裳の生地が安物なので、背中部分がテカっている。
 ビニールのように見え、安っぽくなってしまう。が、思った以上にこの町にはフィットしている・・。

<つづく>
 


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死神テスト撮影Ⅱ/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

  死神というのは、知っているようで知らない存在。

 怪物でも、妖怪でもなく、本来は神様。人の死期が近づくとやってきて、死んだら魂をあの世に連れて行くのが仕事。

 自ら人の命を奪ったり、傷つけたりはしない。

 中世のヨーロッパが発祥なので、衣裳は修道僧のようなものを着ている。欧米ではタロットカードのデザイン、トランプのジョーカーに使われていて、日本における鬼とか幽霊的に不吉なものとして認知されている。

 映画でもブラッド・ピット主演の「ジョーブラックによろしく」などにも登場しているが、日本ではドラマ等で扱われることが少ない。

 「8時だよ!全員集合」「オレたちひょうきん族」等のバラエティ番組のコントとして使われることが多かったせいか? 死神というとギャグと感じてしまう人もいる。

 さて、そんな死神が日本の田舎町に現れるという物語を映像にしたときに、問題はないか? そのテストをしてみた。

 衣裳を着た若旦那に同行してもらい、田辺の町のあちこちで、ビデオカメラとスチールカメラをまわしてみる。

 

<つづく>


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死神テスト撮影/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]

 何とか製作続行が決まった。せっかく田辺に来ているので、ロケハンの続きを行う。あと、前から気になっていたこともやらなければ・・。

 「ストロベリーフィールズ」のシナリオを映画会社に読んでもらって、一番理解されにくかったのは「幽霊ファンタジー」という部分・・。

 その中でも死神の存在は、特に理解されなかった・・。日本では馴染みが薄く、イメージできない人が多い。

 おまけに死神は西洋風。(日本風死神は希有、唯一知るのは「ゲゲゲの鬼太郎」に登場したもの)それが昭和40年代の風景に現れることが、さらにイメージできないらしい。

 意外に合うと思うのだが、それを実験してみた。

 そのときのロケハンは僕と、カメラマンのSさん2人。僕が死神役をするには体型がよくない。死神は背が高く、スタイルがよくないとダメ。

 いつも宿泊させてもらっている平の家の若旦那に、お願い。彼はバッチリ! 背が高く、スタイルもいい!

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 僕の手作りである衣裳を着てもらって、いろんな場所でテスト撮影してみた・・・・。

<つづく>


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