映画に投資? /2005年2月 [第21章 撮影延期篇]
銀行側は「映画の内容によって判断」という。この日のために作った映画「ストロベリーフィールズ」の新しい企画書を見せ、説明した。
現代の日本人には心の里帰りが必要なこと等の方向性。今、地方にパワーがある理由。若い人たちが機械を通してしかコミニュケーションできない理由等、そんなことを語る。
「なるほど、なるほど」と行員は頷き、興味を示す。「で、その作品をアニメにしようという訳ですね?」と聞かれた。いえ、実写ですけど・・。と答えると・・。
「ああ、実写なんですか? それはダメです。ウチはアニメにしか投資してないんです・・」
という答え。アニメにはすでに何十億円も投資して、成功を納めている。原作がどの程度売れていれば、どのくらいの売れ行きがあってと計算するノウハウがあるが、実写はまだ学習できていないというのだ。
が、実写もアニメも同じ。業界では原作の売れ行きから、観客動員を計算するのは基本。
さらに言えば、ベストセラーを映画化したからとヒットするものではなく、大金かけて宣伝したからと昔のようにヒットするものでもない。
映画は風を読む部分が強い。本来、ビジネスモデルや法則によっての計算は成り立ちにくいのだ。そう思いながら話を聞いていると、担当者はこう言った・・。
<つづく>
銀行融資/2005年2月 [第21章 撮影延期篇]
行動を開始した。M銀行が映画に投資していると聞く。窓口を探し、説明を聞きに行った。
担当者が個別に話をしてくれるとのこと。たまたま同じように投資を募っている知人がすでにアプローチ。アポを取っていたので、同行した。
銀座に近い場所にある「M銀行支店」。業績不振といいながらも巨大なビルを構え、多くの行員が働いる。そこの15階にある投資部。小さな会議室で、僕ら2人のために説明会をしてくれた。
担当者は30前後の若い銀行員で、見るからに一流大学を出たという賢そうな人。金融、投資にめちゃめちゃ詳しく(銀行員なので当然ですが・・)、異常に丁寧な言葉使いで応対。
難しい専門的な説明で、細かなところは分からないが、ある程度の資金が集まっている場合に、製作プロ側に投資するというもののようだ・・・。
<つづく>
突き刺さる言葉 /2005年1月 [第21章 撮影延期篇]
業界の友人からも、こう言われている。
「もう無理でしょう? その映画は絶対に無理。潰れますよ! 僕なら降りますね・・」
「他人の話として客観的に聞くと、潰れると思えますね。同情はしますが、一度ケチのついた作品って、なかなか立て直せないものです」
「関係者も、もう辞めると言うでしょうね。自分の知らないところでバカな奴がいて、そのために撮影延期・・・。やる気なくしてますよ・・・」
「こんな形で潰れる映画は、よくあります。残念だけどもうダメですよ・・」
言葉のひとつひとつが胸に刺さった・・・。だが・・・、でも・・結局「ストロベリーフィールズ」を映画にしないと、何も展開しないのだ!!!!!!!
この作品を完成させ、実力をアピールして、大きな作品に繋げるか? 死ぬまで負け犬人生を送るか? そういう選択だと思える!!!
命を賭けて来た4年を生かすには、やはり、戦うしかない!! まっ白になった自分に、そう・・・言い聞かせる・・・。
<つづく>
遠洋漁業/2005年1月 [第21章 撮影延期篇]
どこか小さな会社にでも就職して、借金返済にあとの人生を費やすか・・・。でも、悔しくて悔しくて、残りの人生は負け犬生活だ。
他人や世間を恨み、「俺はがんばった・・・でも、世の中が甘くなかった。悪いのは世の中だ・・」と言いながら、社会を拒否して生きることになるのか・・。
きっと、最後には映画「十階のモスキート」の内田裕也のように発狂して終わる。
借金を苦にした人が、遠洋漁業の船に乗り一気に返済する。という話を聞いたことがあるが、それがいいかもしれない・・・。
<つづく>
撮影延期/2005年1月 [第21章 撮影延期篇]
結局、2005年春には・・・撮影、できないこととなる・・。
いつもなら、「ちくしょーー負けてたまるか!」と思えるのだが、今回はもう、真っ白で、何かどうでもいいや・・・・という気さえしてくる。
多分、ボクサーが試合で、結構、殴られている内は「負けるか!」と思う。けど、もの凄いKOパンチを食らったら、戦意も喪失して動けなくなるようなものかもしれないと考えたり・・・。
しかし、「ストロベリー」が撮れないで、このあとどうする? 待っていても、監督依頼はそんなに来ない。その収入では生活するのもままならない。
この4年間の借金を返すことなんて完全に不可能だ・・・。<つづく>
4年目が終わる/2004年12月29日 [第21章 撮影延期篇]
スポンサー探しに奔走している。が、簡単に多額の投資をしてくれる会社は見つからない。
仕事収めの日。業界の友人から有効な情報。その事務所に即、電話。今日で仕事は終わりなので、来年にしてほしいと言われる。
が、そこを何とかお願いして、押し掛ける。心配した友人も同行してくれた。担当者は話を聞き、真剣になってくれる。
投資してくれる映画関係の会社に、いくつか心当たりがあるとのこと。来年早々に動いてくれるという。感謝!
こうして大きな問題を抱えたまま、4年目が終わろうとしていた・・・。
<つづく>
熊野古道/2004年12月 [第21章 撮影延期篇]
いつもは、田辺から大阪に出て、東名高速で帰京する。
が、今回は世界遺産にもなった熊野古道を通り、三重県を抜けて名古屋に出て、東京に戻ることにする。
その熊野古道。ほとんどが田辺市にある。どこか映画で使えるところがあるかもしれないので、ロケハンしながら帰ることにした。
といっても紀伊半島を横断するほどの長さ! 移動するだけでも大変。
が、夜明けの山々に大感動。さすがに世界遺産と思える・・。
<つづく>
昭和40年代を思う風景/2005年12月 [第21章 撮影延期篇]
東陽中学の木造校舎。天神崎の夕陽。会津川の排水口。他にも僕の好きな田辺の風景はまだまだある。
その1部を紹介。
上写真は古尾の寺の裏通り。まさに昭和40年代を思い出させる。ある映画関係者は「ここの美術部。いい仕事しているなあ!」と言ったほど。プロでも、この感じは出せない。
稲成の坂道。坂って絵になるんだよなあ。そこにもうドラマがある。
会津川の側にある水路に面した家々。ここにもドラマがある。人が住む町と言う感じがする。ここも僕が好きな風景のひとつ・・。(つづく)
ある美しい町で/2005年12月 [第21章 撮影延期篇]
どうしても市内では見つからないロケ地があるので、近隣の町を訪ねてみた。
ここは凄かった。或る意味で田辺を越える。懐かしさと、美しさとが見事に同居し、それが保たれていた。
田辺では素敵な場所が次々に、壊され建て替えられて行く現実がある。それゆえ、僕は映画を通じて、その大切をよりアピールしたいのだが、この町は古いものを守ろうとしているように思える。
町起こしではなく、待ち守りをしているように見える。その美しさ。写真で見てほしい。
<つづく>
死神テストⅤ ゾンビと死神 /2004年12月 [第21章 撮影延期篇]
ゾンビ映画の傑作「DOWN OF THE DEAD」。日本タイトルは「ゾンビ」。あれに登場するゾンビは本当に怖かった。
昨年公開された、そのリメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」。前作のゾンビはゆっくりと歩いて来るが、新作はスピードがあり走って人間を襲う。
「この方が絶対に怖いだろう!」と思ったが逆だった。ゆっくり来る方がずっと怖い。
頭で考えるのと、実際は違う。「ストロベリーフィールズ」の死神は、どんな動きが怖く、どんなポーズが死神らしいか? そんなことも試してみた。
若旦那にさまざまなポーズを取ってもらい、検討した。
<つづく>