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第25章 脚本は切らない!篇 ブログトップ
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プロデュサーの理解Ⅱ/2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 凄い人だと思った・・・。

 この苦しみはものを書いた人間でないと分からないはず。彼は現場の人であり、ライター経験はないはず。

 なぜ、それが分かったのか? 映画製作に関わりながら「何も考えずにスパッと切ればいいんですよ!」なんて無神経なことを言うPもいるのに、理解してくれた。

 答えはひとつ。彼もまた愛情を持って、作品に接して来たから。

 実在しない登場人物に命を与え、この世に送り出すという意味を知り、キャラに思いを込めて仕事をしているから。

 こんな人が製作部にいてくれることは、作家としても本当にありがたい。

<つづく>


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プロデュサーの理解/2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 予算に合わせて、切り詰めた「ストロベリーフィールズ」のシナリオは「準備稿」として印刷された。

 それをスタッフが読む。中には「これじゃまだ足りない。もっと切らないとダメだな!」と無神経にいい放った奴がいた。

 刺してやろうかと思った・・・。

 昨夜、手塩にかけて育てて来た子供と、長年の友人を2人殺して来たのだ。悩みに悩んで、消し去ったのだ。

 「お前こそ、切ってやろうか!」

 と思える。そんな中、いつも厳しいことをいうラインP。シナリオを読み終わると、静かにこう言った。

 「・・・・断腸の思いで切られたこと。ひしひしと伝わってきます・・・。本当に大変だったでしょう。その悲しみ感じられます。ご苦労さまでした・・・」

<つづく>


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時間切れ/2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 いろいろと考えて、ポン太の役割を鉄男に背負わせた。そして2人の「友情」を鉄男と別のキャラの関係に置き換える。

 一応は成立しているが、本来これは違う。締め切りギリギリまで考えたが、これ以上のアイディアが浮かばない。

 もう、何度も吐き気に襲われ胃痛を感じながら、ギリギリまで考えた。今のパターンでは現実味に欠ける。理屈としては有りだが、一般性がない。

 また、鮭山先生のいなくなった長塚先生は、子分のいないヤクザの親分のようになり、威厳をなくしたまま。

 単に2人のキャラがいなくなっただけでなく、他の登場人物も大きな被害を受けている。物語的にも、世界観が狭くなり、空気が薄くなった感じである。

 これが5年間。僕が望み続けた物語だろうか? そう思えるほど、中身が薄くなってしまった・・・。

 締め切りの日が来る。辻褄は合わせたが、中身はガタガタ。これで提出するが、撮影まであと2〜3週間ある。

 その間にもう一度直す。このままではダメだ・・。

<つづく>


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石垣と物語は同じ? /2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 同時に、物語というのは石垣を積み上げた城でもある。


 積み終わったあとに、途中の石を1つを外すと全部が崩れてしまうことがある。別の石を入れるのでさえ難しい。それを外したままにするのは至難の業である。

 石垣の上に建った天守閣が、崩れ落ちることもある。それが物語というもの。

 だが、映画作りに携わっている者でも、それを理解している人は少ない。先の友人もそうだが、登場人物を減らせばOKと思いがち。

 これが城作りなら目に見えるが、物語というのは形のないもの。非常に分かりにくい。しかし、現実問題として、登場人物を2人減らす必要がある。

 時間をかけて考えれば、最善の策があるかもしれない。短縮が必要と言われたのはつい最近。キャスティングも進めているし、スタッフとの打ち合わせもある。

 ロケ場所もまだ見つかっていないところがあるし、さまざまな仕事がある。その状態でシナリオに集中し、物語を壊さずに縮小するのは・・・辛い・・・。

 <つづく>

 


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オーケストラとシナリオの類似点/2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 これはオーケストラにも似ている。

 ピアノ協奏曲ならピアノが主役で、進行役。途中にいろんな楽器が入って来る。全てが別の旋律を演奏。それぞれが交じり合って交響曲となる。

 それぞれの楽器に、それぞれの役割がある。リズム、メロディ、ハーモーニーを分担している。

 シナリオで役を削るということは、オーケストラで楽器をなくすのと同じ。トランペットを外せば、その旋律をクラリネットかトロンボーンが請け負わなければならない。

 が、トランペットが奏でるから感動するのであって、クラリネットではその味が出せないことがある。もともと、トランペットのイメージで書かれた曲。

 それを曲を書き上げてからクラリネットに変更すれば、曲が破綻することはあっても、よくなることはまずない・・。
 
<つづく>


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シナリオにおける役と役割Ⅱ /2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 ライバルという役割も大事。

 戦いでドラマを盛り上げるだけでなく、主人公の理念やスタイルを明確化する役割もある。

 「巨人の星」なら、主人公は貧しい長屋に住む星飛雄馬。ライバルの花形満は、金持ちの息子。飛雄馬は努力型。花形は天才型。

 飛雄馬の個性は、花形いることで比較され明確になる。

 「3年B組金八先生」にも必ず、対比されるべき教師が登場している。

 心のあり方を説く金八先生に対して、必ず校則や建前を振りかざす教師が設定される。
 昔のシリーズで言えば乾先生。今ではよき理解者になっているので、教頭や校長が分からず屋の役割を担当している。

 それらの教師がいることで、金八先生の良さが際立ち。応援したくなる。登場人物も皆、「役割」があり、無意味に登場していない。

<つづく>


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シナリオにおける役と役割 /2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 ここまで書いたが、今更ながら「役」と「役割」の違いを解説。

 スタッフでも理解していない。あるいは無頓着な人が多い。なかなか、ややこしい部分。

 役というのは、内気な女子高生とか、怖い先生とか、優しいお母さんとかいうもの。役柄といってもいい。

 それに対して「役割」というのは、その役に与えられた使命のようなもの。例えば、道化回し、コメディリリーフというのは、ドラマのときどきに笑いを起こし、緊張を緩和させる。

 或いはドラマを進め、推進する役割というのもある。それは必ずしも主人公ではない。

 先のコメディリリーフと、これを同時にやっているのが、「スターウォーズ」シリーズのロボット2人組。R2ーD2とC3POである。

<つづく>
 


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テーマが成立しない/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 ポン太がいることで、鉄男との友情関係が存在する。その友情を見て夏美が「友達」の意味を知る。それがマキとの関係を揺さぶる。

 鮭山先生も単なる悪役ではなく、長塚先生と共に子供たちを理解できない大人の代表。それがいなくなることで、長塚先生の「権威」や「存在感」が薄れてしまうのである。

 以上2つの問題点を、残ったメンバーでクリアーせねばならない。いろいろとアイディアを考えるが、どれも弱く、テーマを成立させにくい。

 そもそも必要だから、彼らは登場させた。彼らなしでは成立しないのが本当。
5年間。試行錯誤でさんざん考えて来たこと。

 それを1週間ほどで、直すのは不可能を可能に近い。胃から出血しそうに思いで、考え続ける・・・。

<つづく>


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選ばれた2人/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 選んだのは、2人・・・。

 彼の名は、ポン太。男の子側の主役とも言える存在。

 主人公の夏美に思いを寄せる高校の先輩。ガキ大将だった鉄男の弟分。そのくせナイーブな文学少年。

 ポン太と鉄男の2人が狂言回しとなり、ドラマが進む重要な役割。

 大林映画で言えば、「時をかける少女」の五郎ちゃん。尾美としのりの役。とても、とても重要な役である。

 そして、もう一人は鮭山先生。長塚先生の相棒で、理解のない大人側のキャラ。時代劇でいうと、悪代官のそばにいる越後屋。

 悪代官1人では敵としてアピールしにくい。そこで越後屋が登場し、「お代官様。ひとつよろしく・・・」と小判を敷き詰めた菓子折りを差し出す。

 それにより代官のキャラをさらに表現する。重要な役割。

 問題だったのは、2人の人物がなくなるだけに留まらず、テーマに至る大切な要因が失われることである・・。

 それができなければ、物語は破綻する。

 そして彼らに何度も何度も謝りながら、「ストロベリーフィールズ」の世界から彼らを消して行く。胸が・・詰まる・・。

<つづく>


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現場スタッフの意見Ⅱ /2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]

 もし、「七人の侍」の予算がなかったら、侍を1人減らせればいい!

 彼はそう言うだろうか? 登場人物はたくさんいるから、1人くらいいなくていいというものではない。

 三船敏郎や志村喬が必要なのは当然。木村功でも、宮口精二でも、誰1人いなくても「七人の侍」という物語はなりたたない。

 1人でも切れば、別の話になり、世界が狭くなる。

 「七人の侍」は違う!というかもしれない。が、物語としては同じだ。「三匹の侍」が「二匹の侍」では別物。「チャーリーズエンジェル」が2人の話なら、それも違う。

 必要なだけの人数で、物語は作られている。

 でも、現場スタッフの彼からすれば、3人でも、4人でも、撮り切ればOKという思いの方が強い。テーマや物語性より、撮影を終わらせることが重要なのだろう。

 相談したのが、失敗・・。

<つづく>


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