現場スタッフの意見/2005年8月 [第25章 脚本は切らない!篇]
業界の友人に相談した。彼は現場スタッフ。
「製作費が少ないなら、シナリオを切るのは当然だよ!」
あっさりとそう言う。先に相談した脚本家の友人とは視点が違う。
物語を作るのが仕事な者と、限られた予算と限られた時間しかない現場で、物語をどうにか形にしようとする立場のものとの違いだろう。
「ストロベリーフィールズ」のシナリオは読んでもらっているので、意見を聞く。
「一番簡単なのは、主人公の4人の女子高生の1人を切ることだろうな?」
かなり呆れた。確かに簡単といえば簡単だが、それをしては物語全てが崩れることが分からないのか?
<つづく>
愛情とドラマ計算/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
映画撮影の場合。予算がなくて、もし照明部をなくすのであれば、照明の仕事を撮影部がすることでカバー。
車両部を呼ばないのであれば、演出部が運転する。パートをなくしても、仕事は減る訳ではない。
でも、運転ができない人に、車両部は任せられない。その役割も果たせる人物を選ばねばならない。この人なら大丈夫だろうと選んでも、やってみると運転がヘタで、時間に間に合わず余計に出費が多くなったりする。
ドラマも同じ。A子の役を削るのなら、別のキャラにその役割を任せなければならない。でないと物語が成り立たない。
計算ではB子にその役割が果たせる!と思えても、実際に物語を書き直して行くと、無理だったりすることがある。
キャラへの思いに胸痛めながら、ドラマを壊さない計算を続ける。
<つづく>
2人だけ連れて行けない/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、考えた。
ギリギリまで考えた。本当は誰も切りたくない。登場人物はこの5年間、一緒に戦って来た仲間だ。
彼女ら、彼らをこの世に生み出すために、頑張って来た。それを2人だけ連れて行けないなんて、悲し過ぎる・・。
思い入れだけではない。登場人物には全て役割がある。映画スタッフでいうと、演出部、撮影部、照明部と、違う役割がある。それと同じだ。
誰が欠けても撮影はできない。役の場合は物語が成立しなくなる。映画作りも物語もどうしても人数を減らす場合は、その仕事を他の誰かが担う必要がある。
<つづく>
作家しか分からないこと/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
架空の人物とは言え、本当に苦しい選択だ。それぞれのキャラに愛情を注いで書いてきた。
作家しか分からないことかもしれないが、登場人物は自分の子供のような思いがある。
なのに関係者の中には、こんなことを言う者もいる。
「あれこれ考えずに、スパッと2人切ればいいんですよ!」
そんな無神経な奴もいて、殴り倒してやろうか?とさえ思った。
何も考えずに切れば、物語が破綻する。さらに「スパッと2人を切れ」なんてことは、ドラマ作りの人間として言える訳がない。
キャラクターの1人1人に愛情がなければ、決して感動的な作品にはならない。
それを物のような言い方をするのは、許せない。が、これも作家でないと、分かってもらえないことかもしれない・・・。
<つづく>
子供を2人殺せというのと同じ/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
シナリオライターの友人に相談した。
「5年もかかって直してきたシナリオを現段階で短くするのは、並大抵なことじゃないですよ。
素人が書いたものならとにかく、プロが書いたものなのだから、細かな部分が微妙に結びついているもの。
細かく根が張った花畑と同じ。何本かの花を抜けば、一緒に他の花も抜けてしまい畑はボロボロになってしまう。
それも撮影まで1か月ないんでしょう。時間があればまだしも、この段になって、それを言い出すのは酷というものですね・・・」
本当にその通りだった。同時に、5年かけて直したシナリオだとキャラクターに愛着がある。
その中の2人をなくすということは、自分の子供殺せというのと同じ。7人の子供の内、2人を選んで始末しろというのと同じなのだ・・・。
<つづく>
シナリオ軽量化のむずかしさ/2005年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
苦しい。どこをどう軽量化すればいいのか? 15ページほど切ってほしいと言われているが、とてもそんなに切れない。
限られた製作費で撮影するときに、一番手っ取り早い節約がシナリオを短くすること。だが、物語というのは、単に切れば短くなるものではない。
いい加減に切ると、物語が破綻したり、辻褄が合わなくなる。伏線が死んだり、意味がなくなったりする。
切り方のひとつとして、登場人物の数を減らすというやり方もある。役者が1人減れば、1人分のギャラ。1人分の交通費。食費。宿泊費が節約できる。
が、小さな役のキャラを切っても、大きな節約はできない。重要人物を切らないとならないのだ。
分かってはいるが、もともと完成したシナリオというのは、無駄なキャラクターは1人もいない。
1人を切るということは、大きな家の柱を1本切るということ。家は物語。1本とはいえ柱がなくなれば、全部壊れてしまう危険性がある。・・・。
<つづく>
シナリオを短くしろ/2007年7月 [第25章 脚本は切らない!篇]
ラインPの方から連絡。
「製作の責任者として、今回のような低予算で3週間も撮影するのは例がない。もっとシナリオをカットして、短くしないと撮り切れない!」という。
しかし、もともと、このシナリオでスタートし、それに会わせて1:1:1の製作費を考え、資金を集めて来た。それを今になって、これでは撮り切れないというのはどういうことか?
最初の計算はどうなったのか? それを撮影直前に指摘されても困る。だが、ラインPの指摘を聞くと、分からなくもない部分がある。
食費、宿泊費、交通費。おまけにロケ場所は和歌山県。俳優は飛行機を使い、ホテルに泊めねばならない。
何とかシナリオの分量を減らそうと考えるが、もともと低予算用に書いたシナリオ。かなり切り詰めてある。
それをさらに切るのは、ボクサーが減量した上に試合前に体重を落とすようなもの。「あしたのジョー」の金竜飛戦のときの矢吹丈である・・。
製作側と協議。「ここは切れるのでは?」「だめ。ここは切れない」「でも、この部分はいらないのでは?」「いや、そこは重要!」と議論する・・・。
<つづく>