思わぬ展開 /2007年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
3週間近くになる滞在は、思わぬ展開となった。第2回会議で「製作費の集め方」討議のみで終わるかと思えたら、一気に展開。
委員会の設立。県庁への協力要請。そして世界遺産決定の追い風。さらに、資金集めの方向性まで決まってしまった。委員の一人が帰る前に話してくれた。
「委員会に、あれだけメンバーが揃えば大丈夫。皆、信頼もできるし、行動力もある。予定の製作費は必ず集まるでしょう。彼らと出会えたこと。
そして世界遺産決定。来年は田辺市と周辺の街が合併するし、そのイベントもある。
太田監督は運がいいですよ。風が全てがこちらに向かって吹いていますよ! あと、心配は東陽中学の同窓会がこの件をどう捉えるか?だけですね?」
そう。そこに全てがかかっていると言って過言ではなかった。
果たして・・・。(つづく)
世界遺産 /2004年7月 [第17章 和歌山進撃篇]
まさに、僕が考えていたことと同じ!
単にエンタテイメントとして映画を楽しんでもらうだけではなく、街の人々に、この町の素晴らしさを再確認してもらい、それを大切に守っていけたら・・・・。
もう、映画を超えた「町おこし」。いや、「街守り」の運動と言える。応援団が僕の話の中で一番共感してくれたのは、実はその部分だったという。
自分たちがせねばならないことを、監督が何度も街にやってきて、アピールしている。これは応援するべきだろう。いや、応援せねばならない!そう思ってくれたそうだ。
「太田監督は運がいい。これが昨年でも、来年でもダメだったと思う。今年だからよかった。他のイベントや行事があったら、余裕がなかったかもしれん。
でも、今年は世界遺産の候補に熊野古道が上がっているし、古いものを見直したり、和歌山県をアピールするという機運が高まっている。ほんまに絶好の機会や!」
メンバーの1人はそう話してくれた。数日後、話はさらに展開する。その世界遺産に田辺市から新宮市まで続く、熊野古道に決定したのである!(つづく)
木造校舎 /2004年7月2日 [第17章 和歌山進撃篇]
東陽中学というのは、昭和初期に建てられた木造の校舎。そこが再来年にも取り壊し、鉄筋になるという。
だから、まず、その校舎を映画で撮影に使い、記録に残そうというアピールをしようということ。
映画になれば、見慣れた校舎も素晴らしく見えて、「結構、ええもんやなあ。壊したらもったいないなあ・・」と思うに違いない。
そうしたら移転して建て直して、保存するということも可能になる。
それが田辺市の観光にとって、大切な存在となってくるはず。という考え方だった。その要となるのが、東陽中学の同窓会。
「愛着のある校舎を守るために、映画を作ろう」というテーマでやろう!というのだ。(つづく)
第2回会議 /2004年7月2日 [第17章 和歌山進撃篇]
ロケハンを続けていると数日後に、応援団から連絡あり。
「明日、第3回目の会議をしますのでぜひ、お越し下さい」
とのこと。今後の展開を聞いた。すでに寄附を集める段取り等を考えてくれているという。ただ、彼らはこう言う。
「今のこの町で、映画を作ることが町おこしになる。それが日本中でブームになっていると言っても分かる人がいない。
だから、もっと具体的なことでアピールする方法論を取るべきだと思うんです」
そこで白羽の矢が立ったのが、東陽中学である!
(つづく)
滞在延長/2004年6月25日 [第17章 和歌山進撃篇]
第2回応援団会議は、無事終了した。
あとは東京に帰って、今回の結論を待つだけだ。
と思っていたら、参加者から「紹介したい人がいる。きっと映画を応援してくれるはず!」と連絡が入る。
それなら何日でも滞在を延ばす。大活躍したM子たちが帰京したあとも、僕は1人街に残った。
数日間、待ちとなる。その間にロケハン。すでに何度も行った場所だが、違う時間帯に行くとまた別の顔がある。
通常のロケハンだと、1日かけてまわるので、ひとつの場所は朝か、昼か夕方かのどれかの時間帯にしか見られない。
また、天気が悪いと晴れの日のシーンでも、雨の日に決めなければならない。
ロケハンといっても滞在費や食費もかかるので、何週間も現地に滞在できるものでもないからだ。
が、今回は同じ場所を何度もチェックに行ける。何度も写真やビデオを撮り、最高のアングルを選べる。低予算だが、それが今回の強み。
そう思って、屋敷町や天神崎、磯間を、6月なのに真夏のような田辺市を歩きまわった・・・。(つづく)
女優からの応援 /2004年6月 [第17章 和歌山進撃篇]
さっきまでお茶を運んだり、資料を配ったりしていた女優の卵・M子が立ち上がり、発言した。
「製作費の半分。*000万円というのは、大変なお金だと思います。でも、みなさん。監督に出してあげてください! *000万が1億にでも、10億にでもなる使い方してくれるはずです。
監督は絶対に手を抜かないし、体を壊してでも真剣にやる人です。私もときどきついて行けないことがあります。でも、絶対に素敵な映画を作ってくれるので、応援して上げてほしいです・・」
涙が溢れた・・。応援団も聞き入っていた。話が終わると一瞬、間をおいてから拍手が起こった。あとで、参加者の1人からこう言われた。
「あんなええ子がわざわざ東京から応援に来るんやから、太田監督はやっぱり信頼できる人や。みんなそう思ったはずやで・・・」
その日の会議では結論はでなかった。具体的な方向も決まらず、本当に製作費集めができるか、どうか?も分からない。
でも、皆、明るかった。誰もが、帰り際に熱いまなざしで、握手を求めてくれた・・。(つづく)
地元会議 /2004年6月24日 [第17章 和歌山進撃篇]
そして会議。街のニューリーダーが集まってくれる。
前回のプレゼンで映画を作ることは、応援してくれることになっていた。が、具体的に何をすべきか? 資金はいくら必要なのか?を説明してほしいとのこと。順に話をした。
製作費は*000万円。内、半分を地元で集めることができれば、東京のD社が残り*000万を出すという約束ができているということ。
あと、映画の製作費を集めるのには、タイアップが主流であること。
例えば、文化庁の補助金。テレビ局を巻き込むことなどを説明。
皆、真剣に聞いてくれる。さまざまな質問が出て、説明をする。
そのあと、女優の1人。M子が挨拶をした・・・。
(つづく)
女優たちの応援 /2006年6月23日 [第17章 和歌山進撃篇]
今回の「ストロベリー」製作。業界の友人知人の多くは批判している。いや、否定と言った方がいい。
「どうせ無理!」「出来る訳ない!」
それが多数派である。が、意外にも多くの若手俳優たち、俳優の卵たちが応援してくれている。
出演したいからではない。僕がすでに3年がかりで協力を呼びかけ映画を撮ろうとしていることに感銘を受け、声援を送ってくれているのだ。
演劇学校の生徒。一緒に仕事した女優。俳優の卵。僕が個人的にやってるワークショップに参加している子。
有名な子は1人もいないが、皆、銀幕デビューを夢見てがんばっている。それゆえ、僕の思いにも共感してくれるのだろう。
そんな女優の卵2人が、わざわざ田辺まで応援に来てくれた。地元支援者に話をしたいというのだ。前回はカメラマン。今回は俳優たち・・・。
連絡のメールを受けとったとき。もう、泣きそうになった・・・。そんな彼女たちの応援を得て、いよいよ地元会議が始まる!
(つづく)
天神崎の夕陽 /2004年6月22日 [第17章 和歌山進撃篇]
深夜バスでは、少ししか眠れなかった。もう、フラフラ。体調もまだ悪い。が、天神崎に夕陽を見に行った・・。
何度も見ているのに・・泣けそうになる。
やはり、コンクリート・ジャングルの東京で魂をすり減らす戦いをしていると、体ばかりでなく、心もすり減っているのだろう。
赤い夕陽が心に染み、癒される気がした・・・。
やはり、「ストロベリーフィールズ」を、この街で作らなければ・・・。心癒される作品が今の日本に必要なのだと思える。
ここ数ヶ月、寝たきりで、「もう、ダメかもしれない・・」と何度も思ったけど、またがんばる・・・。(つづく)
台風 /2004年6月21日 [第17章 和歌山進撃篇]
その日は6月には珍しい台風が来ていた。
が、会議の数日前には着きたかったので雨の中、東京を出発。まさに台風に向かって進むような形。
深夜バスで8時間。朝の7時に和歌山市に到着。
幸い台風は日本海側に抜けた。台風がこちらを避けた形となる。和歌山市は抜けるような晴天。梅雨が終わったかのように暑い。
そこからさらに電車で2時間。ようやく田辺市である・・・。(つづく)