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撮影6日目(十)美香との別れ4 ブログトップ
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盛り上がりの定義(下)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

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 ということは、この美香(東亜優)との別れシーン。

 盛り上がらなければならないが、後日に撮影する

 (2)理沙篇

 (3)マキ篇

 を超えてはならない。いや、いい方がよくない。

 (2)(3)は本日撮影のエピソードを超えなくてはいけない。

 しかし、本日も全力で撮影。あえて手を抜いて撮るのは許されない。

 そうなると、大切なのは他のクライマックスとの違いを出すこと。

 そのことは以前に書いた通り。

 「場所」によって個性を出すようにしてある。

 そして、もうひとつ。

 夏美(佐津川愛美)のリアクションである・・。

 (つづく)

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盛り上がりの定義(中)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]


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  クライマックス(「見せ場」といういい方の方が、分かりやすいかも)の(1)よりも(2)、

 (2)よりも(3)が盛り上がらなければならない。

 (3)よりも(2)が盛り上がるのはまずい。

 観客というのは、映画を見ているとき、あとに行くほど「より刺激が強いもの」。

 「より泣けるもの」を求める。

 あとに行くほど、高くならないと満足してくれない。

 或いは、違った手法で見せないとダメだ。

 (つづく)
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盛り上がりの定義(上)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]


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 映画用語でいう「切り返し」

 路地の撮影。死神に連れて行かれる美香(東亜優)。

 その芝居は撮影した。次は、それを見送る夏美(佐津川愛美)マキ(谷村美月)側を撮影する。

 このシーン。今回の映画「ストロベリーフィールズ」のクライマックスのひとつ。

 盛り上げなくてはならない。感動が大切。

 が、同時に、3回あるクライマックス。定義がある。

(つづく)

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悲しみを描くということ(9ー終)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

天神崎 夕方前3.jpg

 その「悲しみ」を描く為には、悲しみの当事者だけではなく、

 見送る人々の「悲しさ」も、描かなければ

 本当の「悲しさ」を伝えることはできない。

 悲しみの当事者・美香(東亜優)は、見事に「哀れさ」と「悲しみ」を表現した。

 そして、美香を助けようとした理沙の行動。芳賀優里亜により、「切なさ」と「友情」が溢れ、胸を打つ芝居となった。

 次は、夏美(佐津川愛美)とマキ(谷村美月)の番だ。


(つづく)

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悲しみを描くということ(8)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

夕陽が隠れた海.jpg

 よくある映画のように、ラストに神様が現れて、

 死んだ子に新しい命をくれることなんて、現実にはない。

 タイムマシーンで事故の前に戻って、みんな助かった・・

 なんてことも、実際にはあり得ない。

 「死」を止めることも、人々の「悲しみ」を止めることもできない。

 だから、この「ストロベリーフィールズ」の中では、現実を見つめた。

 死んだ者は全員、天国へ行かねばならない。家族や友人との辛い別れを迎える・・。

 「死」は美しく描かない。ただ、多くの人を「悲しみ」で打ちのめすのみである・・。

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悲しみを描くということ(7)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]


 「私はひとりぼっちだ・・」

 「親も友達も、誰も分かってくれない・・」

 そう思えても、

 本当は、そうでもないかもしれない。

親父1sBW.jpg

 頑固なマキのオヤジ(飯島大介)が娘(谷村美月)が死んだこと。

 嘆き悲しんだように、思いが伝えるのが下手だっただけかもしれない。

 人の「死」。思わぬ人をも、悲しみませること。

 今回の「ストロベリーフィールズ」では、描きたい。

 (つづく)

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悲しみを描くということ(6)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

P1040045.jpg

 日本映画では往々にして、「死」を美化して描くことが多い。

 「死は美しい」と描く作品がよくある。

 それを見た子供たち、どう思うのか?

 大学受験に落ちだだけで、自殺する子。

 いじめを苦にして、死んでしまう子。

 そんなことで死ぬなよ・・・と思えたり・・。

 死ぬことがどれほど、多くの人を悲しませるか?

 限りない可能性を無にしてしまうか?

 今回の映画「ストロベリーフィールズ」では、そんなことも描きたかった。

(つづく)

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悲しみを描くということ(5)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

コスモス.jpg

 だとすると、十代で死んでしまい、天国へ行かねばならない少女。

 その悲しみを描くには、本人だけでなく

 そばにいる人々の「悲しむ」を、しっかり描かなければならない。

 それが描けてこそ、

 今回の映画の「テーマ」が浮き彫りに、されるのである。

 ということで、

 見送る側の夏美(佐津川愛美)たちにカメラが向けられる。

(つづく)

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悲しみを描くということ(4)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

 ニュースはさらに、犠牲者の家族の様子を伝える。

 涙を流しながら、話す。辛そうに思いを伝える。声にもならない人もいる。

 そこで初めて視聴者は「悲しい」と感じ、涙が溢れてしまう。

 そう。人は悲惨な現場や被害者から、「悲しみ」を感じるのは難しい。

 悲しみを感じるのは、

 その悲劇に直面した家族や友人たちの「感情」からなのである。

(つづく)

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悲しみを描くということ(3)2005/9/22 [撮影6日目(十)美香との別れ4]

 「悲しみ」を表現するには、悲しい側を見せるだけではダメ。

 例えば、飛行機墜落事故のニュースを見る。

 墜落して無惨な姿になった機体、ブラウン管に映し出される。

 「わーーー、酷いなあ」と感じる。

 テレビ・ニュースでは映し出されないが、

 機体の中には,、多くの犠牲者が残されている・・。

 それなのに視聴者は「酷いなあー」という思いが先行。

 そこで涙が溢れたりする人は少ない。

 (つづく)

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