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第4章 尾道ロケハン篇 ブログトップ

2003年4月下旬 尾道篇の完結 [第4章 尾道ロケハン篇]

 今後の展開を考えた。まず、もう1度、和歌山県田辺市に行ってみるということ。

 懐かしく、美しい町であり、映画撮影をするに相応しい町であることは分かっている。でも、そこに大林監督の言われる「思い」があるか? それを確認したい。

 大林監督は尾道で生まれ育った。思い出が溢れている。それに対して僕は田辺市生まれだが、4才までしか住んでいない。

 ただ、その後も夏休み、冬休みごとに田辺の親戚を訪ね海や山で遊んでいるので、慣れ親しいんだ町であり、子供時代より大好きな町である。
 でも、大林監督の思いに比べるとどうか? そして監督のいう「思い」とは何か?それを確かめたい。

 それと今回の件で完全にD社はストップ。今年中は何もできないという。が、まだ今年は8か月もある。僕が1人で動き回り、スポンサーを見つけてくれば来年の企画会議に出せるだろう。
 
 ここしばらく、D社のPと共に行動したが、また振り出しに戻り1人になってしまった。でも、諦めない。必ず「ストロベリーフィールズ」を形にする! 

(尾道疾風篇 完)


         次回からは「再起篇」を連載!
                               


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2003年4月23日Ⅱ 手紙 [第4章 尾道ロケハン篇]

 今、部屋に帰ってきたとこなんだけど、郵便受けを探ると、一枚のハガキが来ていた。見ると、手書きの文字がハガキいっぱいに書かれている。その字を読む。

 「お、お、林・・えーーーーおおばやしーーー」そう書かれていて、仰天! 大林監督からのおハガキだった!
   
 応援しているというお手紙だった。「自分らしい作品を作ってほしい」という激励だった。感動した・・・。泣きそうになった・・。

 あのときのことをちゃんと覚えていてくれて、声援を送ってくれたんだ・・・。んーーーーー、がんばらねば・・・。(つづく)


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2003年4月23日 相談 [第4章 尾道ロケハン篇]

 「ストロベリー」は中断した。

 いや、全て白紙でスタートからやり直しといってもいいだろう。先輩の監督に相談した。経緯を聞いた彼にこう言われた。

 「そのPの段取りが悪いんじゃないかなあ? 経験もなさそうだし、聞いていると、順番が間違っていることが多い。できるものも出来なくなっているみたい。あまり信頼していると、バカをみるかもな?」

 確かにそうかもしれない。が、他の会社では「幽霊の話?ホラーですか?」と言う奴ばかりだったのに、彼は「ストロベリー」の脚本を気に入って映画にしたいといってくれた。非常に感謝している。

 それに彼はまだプロデュース作品が2本だけ。僕よりも若く30代。おまけに純粋で、まっすぐ。そうだから「ストロベリー」の脚本を読んで感動してくれたのだと思う。

 それにPは「中断して考えましょう」というが、本来ならこんなときはもう面倒になって投げることが多いという。
 だが、彼は諦めるとは言わない。先日も大林監督に「かならず完成させます!」と約束した。

 不器用だが純粋で、がんばり屋の彼を信じたい。投げることなく、もう一度挑戦すると思いたい・・。来年スタートしやすいように、何か僕ができることはないか?考えてみる・・・(つづく)


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2003年3月末日・Ⅱ 心を捨てないこと [第4章 尾道ロケハン篇]

 といって、大林監督を恨むのは筋が違う。あのとき、監督は本当に真剣に話してくれた。ほぼ初対面でもある僕に、巨匠が映画作りとは何か?を熱く語ってくれた。

 「何でもいいから映画を撮りたい!」という新人監督は多い。「金さえ出れば何でもします」という人もいる。

 ロケ地だけではない。物語も、出演者も、キャラクターも、スポンサーが言えばホイホイ変えてしまう監督がいる。でも、そんな人の作品には感動できない。

 大林監督が言おうとしているのは、そういうことではないか? 「転校生」のときの大変なお話も聞かせてもらった。

 巨匠も戦っている。自分の思いを曲げてはいけないというのは、そういう意味なのだろう。でも、僕はどうすればいいのか・・・。(つづく)


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2003年3月末日・Ⅰ 断念 [第4章 尾道ロケハン篇]

  結局、大林監督からの承諾をもらえなかったことで、Pは尾道ロケを断念。F社も「監修」と「尾道ロケ」がないなら・・・と撤退した・・。Pはこう言う。

 「これではもう企画会議には出せません。次の会議に出せないということは、今年はもう無理です。とにかく、ストロベリーは来年・・また考えましょう・・」

 まだ、3月だ。なのに、8ヶ月も先まで何もしないというのか? 考えることさえしないというのか?

 これでは国会の先送りと同じではないかと思えた。本当に来年考えるのではなく、事実上の廃案という意味ではないか? そんなふうに感じた・・。(つづく)


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2003年3月26日 訪問 [第4章 尾道ロケハン篇]

  D社のPと共に、大林宣彦監督をお訪ねした。「初めまして・・」とご挨拶すると監督は「おや、どこかで会ったことないかな?」と言われた。

 「実は『あした』と『三毛猫ホームズの黄昏ホテル』で、お世話になっています・・」

 そう答えると、「そうだろう? どこかで会ったと思った」と巨匠は微笑む。凄い人だ・・どの作品もスタッフは100人くらいいるし、何本も映画を撮っているので何千人もの関係者がいる。それも『三毛猫』は6年前! 凄い記憶力。

 今は監督業をしていることを報告すると、凄く喜んでくれた。新作は応援したいと言ってもらえる。
 そこで今回の経緯を説明。「ストロベリーフィールズ」の尾道ロケと監修についてお願いする。と、監督は優しを込めながら、厳しくこう言った。

 「太田君。ここぞという映画作りでは妥協してはいけない。製作費が出るからと、心を捨ててはいけません。この作品は尾道ではなく、和歌山で撮るべきです!」

 全てお見通しだった。そして時間をかけて映画作りとはいかに「思い」が大切であるか? お金に魂を売って、自分をなくしてはいけないことを話してくれた。(このときの話は「ストロベリー」のパンフレットにも、大林監督が書いてくれています)

 自分の思い・・・そうかもしれない。尾道で感じたあの感じ。今も渦巻く、監督の町への思い。それが名作を生んでいたことは感じていた・・。でも、「思い」って何だろう・・。

(つづく)


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2003年3月23日 「三毛猫ホームズ」Ⅲ [第4章 尾道ロケハン篇]

 というのも、僕も助監督やメイキングの仕事を何本もしているが、監督が末端のスタッフにお礼を言うなんてことは1度もなかったからだ。
 
 職人の世界と同じで、弟子が師匠のことを気遣うのは当たり前であり、「バカヤロー」「気をつけろ!」「邪魔なんだよ!」とは言われても、「ありがとう」と言われたことは皆無であった。

 その後も数回、同じことがあり、監督はそのたびに「ありがとう」と微笑みながら言った。僕もいろんな監督とお仕事してきたが、こんなことは初めて。強い印象が残った。

 その大林監督と数日後にお会いする。尾道ロケと「ストロベリーフィールズ」の監修をお願いするためである。
 D社のPはすでに事務所に電話。アポを取っている。監督がOKをくれれば、D社とF社から製作費が出て、映画は公式にスタートする。

 が、断られると、全ては無になり、両社は「ストロベリー」を中止するかもしれない。そんな不安を胸に、深夜バスは東京へ向って走っていた・・・。(つづく)


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2003年3月23日 「三毛猫ホームズ」Ⅱ [第4章 尾道ロケハン篇]

 それがスタジオで撮影をしたときのこと。監督からの指示はすでに出てスタッフがセットでカメラや照明を準備していた。

 大林監督は邪魔にならないように、セットの隅にあるディレクターズ・チェアに座り、シナリオを読んでおられた。

 セット内はライトが灯され明るいが、隅の方には灯りがなく薄明かりの中で監督は文字を追っていた。
 これでは目が悪くなる!と、メイキング班・七つ道具のひとつ。ペンライトを取り出し、後から大林監督のシナリオを照らした。

 監督は振り向くと笑顔で「ありがとう」と言い、シナリオを読み続ける。しばらくして、助監督が準備ができたことを告げに来る。
 と、大林監督は立ち上がり、もう一度僕に「ありがとう」と言ってセットに向った・・・。

 その「ありがとう」という言葉に、「君は暗闇でシナリオを読んでいる僕に気付き、灯りを持って来てくれたんだね? 気遣ってくれてありがとう・・」というニアンスを感じた・・・。(つづく)


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2003年3月23日 「三毛猫ホームズ」 [第4章 尾道ロケハン篇]

 「尾道シリーズ」が公開されたのは、僕が20代前半だった頃。全てオンタイムで見ている。「さびしんぼう」は当時、自主映画をやっていた友人3人と横浜の映画館で見た。3人共泣いてしまい、目を合わさずに劇場を出た。

 他にも「異人たちの夏」「北京的西瓜」「ねらわれた学園」「はるかノスタルジー」も大好き。それ以前の日本の映画とは全く違う感覚。僕らの世代の気持ちを理解している監督と思え、大いに共感、感動した。

 そんな大林監督の現場。「あした」の撮影のときは見学&ボランティアのお手伝いだった。が、「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」ではメイキングとはいえ、スタッフとして参加。巨匠・大林宣彦監督の演出を学ぶ貴重な機会だった。

 が、撮影現場は戦場。監督は司令官。メイキング班は記録係のようなもの。スタッフの邪魔をせずに、撮影するのが仕事。司令官と話すなんてとんでもない。

 それでなくても監督はさまざまな判断と決断をしながら、現場を進めなければならない。例え1分1秒でも無駄にできないのだ・・・。(つづく)


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2003年3月23日 東京へ・Ⅰ [第4章 尾道ロケハン篇]

 東京行きの深夜バスの中。眠れずに思い出を手繰っていた。

 そもそも、大林映画との出会いは、何だったか? そうだ。「ねらわれた学園」。ほとんどの人は「HOUSE/ハウス」なのだが、僕は少し遅い。
 そして「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」と連打されて、もの凄い監督が日本にいたことを知る。

 が、実は僕らの世代はCM監督だった頃の大林作品をたくさん見ている。超有名なのはチャールズ・ブロンソンのマンダム。ソフィア・ローレンのラッタタ。カーク・ダグラスのマキシム。
 山口百恵、三浦友和のグリコ・セシルチョコレート・シリーズ。と、もの凄い数の作品を見ている。それも印象に残る名作が多かった。

 そんな大林監督が撮った映画。撮影所で助監督として修行した人が監督する日本映画とは、全く違う感覚。「アメリカ映画万歳!」だった僕も、大感動した。

 そんな大林監督と初めてお会いしたのが、先日のブログで紹介した1995年製作の「あした」の尾道ロケ。握手はして頂いたけど、お話するというところまでは行ってない。

 ところが、翌々年1997年。再び大林監督と巡り会う。テレビドラマ「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」のメイキング撮影に、1週間だけ参加することになったのだ・・。(つづく)


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2003年3月22日 尾道ロケハンの旅・XV /さらば尾道 [第4章 尾道ロケハン篇]

 再び、自分らしい場所を探す。一番、重要なのは夕陽だ。主人公の1人理沙が悲しいとき、淋しいとき見つめる夕陽。
 これにはこだわりがある。山やビルではなく、海に沈む夕陽を撮りたい。

 だが、尾道でそれを見つけるのはむずかしい。理沙の夕日はどこにあるのか? 悲しいときに行く場所はどこなのか? 尾道正面にある向島にも渡って、夕日を探し歩いた。でも、見つからない。

 ただ、向島ではいろんなものを見つけた。大林映画ではない太田映画の要素。それをどう組立て育てて行くかだ。まだまだ、素敵な風景があるはずだ。
 一度は田辺でイメージした物語だが、それを何とか尾道で構築しよう。

 大都会を舞台にするのではない。田辺と同じ懐かしくも美しい町・尾道で撮影するのだから、絶対にできるはずだ。
 町が一望できる大きな岩の上に、東京から持ってきた砂時計を並べる。

 「ストロベリーフィールズ」で最も重要な小道具の1つ。マキ、理沙、美香の3人がこの世にいられる時間を知るための砂時計。
 それを尾道の町が見える岩の上の置く。ここから新しい「ストロベリー」が始まるのだ。

 今夜のバスで東京へ戻る!12時間の長旅。また、ロケ場所を探しに来る。それまで、さらば尾道の町・・・。(つづく)


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2003年3月22日 尾道ロケハンの旅・XIV 夕陽 [第4章 尾道ロケハン篇]

 朝、8時から歩き続けて現在7時まで!ときどき休憩したとはいえ、尾道の町を11時間も歩くと、さすがに疲れた!膝が笑っている!

 様々な場所を見たが、本日は「ストロベリー」のロケ出来る場所を探した。夏美の家、夏美の学校等は何とかなる。
 が、理沙が淋しいときに見つめる、夕陽だけが見つからない。

 尾道には素敵な場所がたくさんある。しかし、海に沈む夕陽だけがなかった。夕陽は海ではなく、向いの四国や島の後に沈むのである。
 或いは工場。或いは建物。僕が探した限りでは、そうだった。

 最後は夕日に向かって走った!沈むまで探し続けた。でも、理沙の場所は見つからなかった・・・。(つづく)


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尾道ロケハンの旅・「ふたり」の坂道 /2003年3月22日 [第4章 尾道ロケハン篇]

 本日、尾道ロケハンの最終日。また、町を徹底的に歩きまわる。「ふたり」のロケをしたお寺を見つけた。

 映画で見るより大きく豪華。ここで石田ひかりがピアノを弾き、尾美としのりが花束を持って見守るシーンが撮られたのだ。

 その帰り道に同じく「ふたり」のオープニングとエンディグに使われた坂道を見つけた。これは感動。ここでお姉ちゃんが事故死するのだ。
 いけない! ロケ地巡りではない。「ストロベリー」のロケ地探しだ。

 しかし、大林映画を撮った場所はもの凄い大林パワーが溢れていて、どう撮っても蹴散らされてしまう。
 変な表現だが、過去の名作をリメイクしても絶対に勝てないということがある。

 技術も、製作費も、数段アップしているのに、過去の作品に勝てない。理由は「思い」だろう。ネームバリューがあるからと、リメイクするだけではダメ。
 その作家の思いがオリジナルには勝てないのだ。

 それと同じことが大林映画ロケ地では起きる。生まれ育った大林監督の思いを越えない限り、映像で越えることもできない。
 映画を見て観光で来ただけの憧れでは、絶対に勝てない・・・。でも、それを探さねばならない!(つづく)


タグ:ふたり
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2003年3月22日 尾道ロケハンの旅Ⅻ /ビデオ [第4章 尾道ロケハン篇]

 ホテルの部屋で「時をかける少女」のビデオが見れると分かり、早々に再生。

 

 だが、ファン心理はすぐに消え、大林監督の力量に圧倒された。

 今日も歩き回った尾道の町が、映画になるとこうなるのか・・と思い知る。実際の尾道も素敵な町だ。が、大林映画に出てくる尾道はまた別の尾道なのである。
 
 それはもうファンタジーと言えるほど。この町で生まれ育った大林監督が、町を知り尽くした人だからできる業だと思える。

 俳優を演出するのも同じ。魅力あるが、もの凄く難し名優がいる。その人を使いこなせるのは、その俳優を知り尽くした演出家だけ。ロケ地にも同じことがいえそうだ。

 しかし、この町で撮らなければ「ストロベリー」は映画として成立できない。そして、大林映画に負けない素晴らしい作品に仕上げないと、ヒットさせられない。
 次回の田辺ロケも夢と消える。何としても、自分なりの尾道を探さねばならない。(つづく)


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尾道ロケハンの旅・ホテル? /2003年3月22日 [第4章 尾道ロケハン篇]

 昨夜の貞子の宿はさすがにキツかった。ホコリと花粉と悪夢でほとんど寝られず。別のところを探すと、わずか千円ほどの違いで駅前のビジネスホテルがあった!

 貞子の宿と違って共同風呂に入る時間も決められておらず、バスユニットが着いている。もちろんベッド、テレビ、エアコン付き。ホコリや花粉も待っていない。廊下に出ればビールの販売機もある!

 さらに、とどめは部屋にビデオデッキがあること。実は「時をかける少女」のVHSテープを持って来ている。それを見ることができるのだ!

  尾道で「時かけ」を見るなんて、何て贅沢。そう思って早々に再生したが・・・。(つづく)

 


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尾道ロケハンの旅・木造校舎  /2003年3月22日 [第4章 尾道ロケハン篇]

 向島で見つけた木造の学校。今は使ってないという。でも、なかなか、おしゃれ。ロケ予定していた田辺の東陽中学の代わりに使えるかも?

 ただ、やはり現役で使われていない建物は、何か生命力が感じられない。その意味では、現在も授業が行われている東陽中学の校舎は魅力だ・・。

 とはいえ、この向島の校舎は大林映画に登場したことはない。そこが狙い目。もちろん、あえて同じロケ地で撮るという方法論もある。が、それだとパロディに見えてしまうかもしれない・・・。

 また、日本人監督にはよくジョン・ウーやブライアン・デ・パルマの映画の真似をしたカットを撮る人がいるが、それはもう学生映画と同じ。
 憧れだけでは、絶対に勝てない。その意識でもう監督として負けている。

 別の新しさを出さねば意味がない。巨匠・大林宣彦とはいえ、こちらも監督する以上はライバル。
 「これは大林さんは撮らない絵だなあ!」という映像を作らねばダメだ。

 しかし、それを尾道でやるのは過酷。たぶん、大林監督が撮影したことのない場所でロケするしかないと思える・・・。(つづく)


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時をかける少女・Ⅱ 2003年3月22日 [第4章 尾道ロケハン篇]

 当時、僕はアメリカ映画一本槍。映画といえば「ハリウッド!」「日本映画なんてタダでも見たくない!」という発想だった。

 そんな中で「ねらわれた学園」「転校生」で、大林宣彦という人は他の日本人監督とは違う・・と感じたので、新作の「時をかける少女」は注目していた。
 
 2本立てで見たのだが、もう1本が何だったか?(「探偵物語」ではなかった)が思い出せないほどのショックを受ける。(写真下は原田知世が、お堂から落ちて来る瓦を避けたシーンのロケ地)


 
 映画館を出てしばらく呆然としていた。泣けた!とか、感動した!というのではない、打ちのめされたという感じ。
 あれほど嫌いだった日本の古い家並みが美しく、ファンタジーがそこにフィットしている。言葉にはできないものが溢れていた。

 以後、大林宣彦監督というのは、僕の中で最も尊敬すべき監督となる。その大林さんの古里で、ロケ地を探そうとするのだが、足掻けば足掻くほどに自分の無力を感じて行く。

 この町で大林映画に負けない作品を撮ることは、至難の業だということを痛感して行くばかりである・・。(つづく)


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時をかける少女・Ⅰ 2003年3月22日 [第4章 尾道ロケハン篇]

  「ストロベリー」はいろんな映画の影響を受けていると思うが、特に大きいのが大林宣彦監督の「尾道シリーズ」だと言える。

 そんな中で特に僕が好きなのは「時をかける少女」だ。1983年に公開された角川映画。大林宣彦監督、原田知世主演で大ヒットした。 (写真下はメインタイトルの通学路のシーン・ロケ地)


 
 そのときの併映作品が、薬師丸ひろ子と松田優作が主演の「探偵物語」。角川三人娘全盛のときで、確かこの2本だてで30億円近い興行収入を上げている。
 
 「時をかける少女」は大林宣彦監督の尾道シリーズの第2作。第1作の「転校生」を見た角川映画の社長・角川春樹さんが、「うちの知世も尾道で撮ってほしい!」と企画。
 

 その頃、僕は21才で自主映画活動をしていた。ちょうど「ストロベリーフィールズ」の原点となる8ミリ映画「バイバイ・ミルキーウェイ」の撮影。

 その完成後。今はなき名画座の高田馬場パール座で、かなり遅れて「時をかける少女」を見た・・・。(つづく)
 


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尾道ロケハンの旅・ふたり  /2003年3月21日 [第4章 尾道ロケハン篇]

 向島の船着き場に「ふたり」のセットが残されていた。(写真下)本来は反対の海側にあったものをこちらに持ってきたのだ。

 8年前にお手伝いしたとき、この船着き場のセットで撮影が行われていたのを思い出す。

 町に入り、ひたすら歩く。途中、小さなスーパーのようなところで、サンドウィッチを買って食べながら歩く。

 初日は大林映画ロケ地巡りで、楽しく町を歩いた。実は楽しさの影にもの凄い圧迫感を感じる。
 本日は「ストロベリー」を尾道で撮るなら、どこでロケすればいいか?と思いながら歩いている。

 と、昨日以上にプレッシャーが強くなる。どこへ行っても大林監督の巨大な幻影が現れるようだった・・・。どこで撮っても、大林映画を真似た絵にしかならない。
 
 いや、真似ることさえできず、「これが尾道?」という映像になりそうだった。昨夜、あの安宿で夢を見た。
 ビルほどもある巨大な大林監督の石像が現れて、それを見上げる僕の上に崩れて落ちて来る夢だった。

 ハッと目が覚めると夜中。そのまま朝まで眠れなかった・・・。(つづく)


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2003年3月21日 尾道ロケハンの旅Ⅷ /向島 [第4章 尾道ロケハン篇]

 本日は尾道から海を挟んで正面にある向島へ行く。「さびしんぼう」で富田靖子が通学に使う、あの小さな船で渡ることができる。
 向島は同じく大林監督の「ふたり」や「あした」を撮影した場所でもある。

 ちなみに僕が参加した、福山ロケのアメリカ映画「GAIJIN/外人」の撮影後、先輩がたまたま大林組に知り合いがいたことから、同時期に撮影していた「あした」の撮影を見学することができた。

 当時から憧れの大林組。大林監督とも握手させてもらい、撮影を見学。そのあと、
食事係のお手伝いをし、俳優さんやスタッフの食事を作った。
 さらに出演されていたあの植木等さんと、記念写真まで撮ってもらった思い出がある。

 深夜まで撮影したので、そのままスタッフと同じホテルに泊めてもらい翌朝の食事まで御馳走になった。一緒にいたスタッフはそのまま大林組に参加。
 僕は次の仕事があったので東京に戻らねばならず、悔しかったのを思い出す。

 そのロケ地は向島の裏側。少々遠いので、今回は行かない。東の町に廃校になった造校舎があるというので、それを探す。夏美たちの高校に使えればと考えている。
(つづく)

 


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尾道ロケハンの旅Ⅶ /ロケ地探し 2003年3月21日 [第4章 尾道ロケハン篇]

  役者が役を演じるときに、その役を徹底的に理解しようとする。

 実在の人物なら、彼の生涯を把握。背景となった時代を知らなけれならないと思う。例え脚色するにしても、スタートはそこから。

 同じように、監督はロケ地となる街を把握、理解する必要があると思う。単なる背景として使うなら簡単だが、それではドラマが生きて来ない!

  1、2度、観光に訪れたくらいでは、駄目なことを痛感している! また、来るつもりだが、今回もできる限りのことを感じて帰りたい。

 本日は大林映画のロケ地巡りを中心にして、尾道の町を把握すること。より好きになる事からスタートした。

 明日はそれ以外の場所にも足を運び、「ストロベリー」のロケをするならここ!という場所を探して見たい。(つづく)


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2003年3月20日 尾道ロケハンの旅Ⅵ /貞子の宿? [第4章 尾道ロケハン篇]

 現在、尾道の安宿にいる。今回の尾道ロケハンもD社からは、一切経費がでない。

(今回だけでなく、企画会議を通りゴーサインが出るまでは一切の経費は出ない。先方から「5冊シナリオを送ってほしい」と言われて送る脚本も、全部自腹で製作している)

 だから、なるべく安く済ませたい。ケチっているのではない。この数ヶ月は収入のための仕事をする余裕がなく、本当に経済的に危機状況が続いているからだ。

 監督業をしていると貯金などとてもできないので、ここしばらくは借金で生活。
 あの黒澤明監督でも、死去したあとも借金の返済をしているという。監督とは経済的に厳し職業である・・。

 しかし、この宿は安いだけのことはある。「リング」の貞子の出そうな不気味な和室! 誇りっぽくて、咳が止まらない。花粉症の季節も近く、鼻もつまる。
 といって、もの凄く安い!ということではない。

  現在、明日の尾道巡りの予習中。予期はしていたが、この街を把握するのは大変なことだと実感・・・さらに思い知ったこともある・・・(つづく)


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2003年3月20日 尾道ロケハンの旅Ⅴ /転校生 [第4章 尾道ロケハン篇]

 「転校生」で物語のきっけとなる尾美としのりと、小林聡美がお寺の階段から転がり落ちるシーンはここ。

 今から1982年の作品。大林監督が44才のとき。僕も間もなく同じ歳になるが、アレだけの作品が撮れるのだろうか? 少なくても、自分なりの映画撮らねばと思う・・・。
 
 高台にある境内に座り込むと、空はよく晴れていて眼下に尾道の街が広がっている。前に訪れた8年前。
 アメリカ映画の「GAIJIN/外人」の撮影で福山に滞在したとき。休日にスタッフと尾道を訪れた。

 皆、大林映画ファンでロケ地を探してまわった。町はあのときとほとんど変わっていない。あの頃の思い出があちこちに転がっていた・・。

 僕は監督デビューもしておらず、脚本家としての仕事もスタートしておらず、雑誌のライターをしながらシナリオを書き続けていた・・・。それから8年。まさか、尾道で映画を撮ろうとは思わず、運命とは不思議。

 しかし、様々な不安が持ち上がって来た・・・・(つづく)


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2003年3月20日 尾道ロケハンの旅Ⅳ /尾道土産? [第4章 尾道ロケハン篇]

 商店街で尾道土産として売られているのがこれ。大林監督のビデオやDVDである。確かに、何よりの土産かもしれない。

 そこから住宅街の方へ出て、「時をかける少女」の学校を見つける。校門のシーンで桜並木の下を原田知世がやって来る場面はここで撮られた。
 
 さらに「転校生」のお寺へ。その境内で、携帯メールでこの記事を打っている。(つづく)


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2003年3月20日 尾道ロケハンの旅Ⅲ /さびしんぼう [第4章 尾道ロケハン篇]

 まずは、駅前から商店街の方へ。「さびしんぼう」に登場したあの商店街である。

 どの店を覗いても、監督のサインが飾られている。さすが、大林映画の里である・・・(つづく)


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2003年3月20日 尾道ロケハンの旅Ⅱ /ラーメン [第4章 尾道ロケハン篇]

 深夜バスで東京から12時間ほど。午前、7時。尾道着。

 まずは、朝飯に尾道ラーメンを食べる。

 「ストロベリー」のロケ地に相応しい場所を探す事もあるが、その前に尾道と言う街を再確認する必要がある。そこで大林映画のロケ地巡りをしてみることにした!(つづく)


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2003年3月 尾道ロケハンの旅・Ⅰ /出発 [第4章 尾道ロケハン篇]

 D社のP(プロデュサー)に「尾道ロケを了承した」と伝える。電話の声からも喜んでいる様子が伺える。

 宣伝するにも「田辺市でロケした映画」というより、「大林宣彦監督作品で御馴染みの尾道でロケした映画」と言う方がアピールする。
 ヒットする映画を作らねばならない企業のPとしては、やはりその方がやりやすいというのだ・・・。

 でも、尾道(写真上)で撮るからは、いい加減な気持ちで撮れない。まず、尾道を知らなくてはいけない。尾道の魅力を引き出した上に、自分らしい映画が撮れるか?が重要。

 敬愛すべき大林監督の古里で映画を撮るのであれば、それもご本人に監修をお願いするのであれば、尾道をよりよく知った上で依頼、撮影するべき。

 もちろん、大林作品は繰り返し見ている。実際に尾道に行ったこともある。
 でも、それは観光。ロケ地巡りの旅立った。映画作家の目で、作品を撮ることを前提に見てはいない。

 そう思い、深夜バスに乗り尾道に向った。東京から和歌山へ行くより遠く、11時間ほどかかる。
 新宿南口発。午後7時の高速バスに乗り。尾道を目指した・・・。(つづく)


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