もう一度、見直しⅢ /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
映画の企画を通す3つの条件。
1つ目「ベストセラー原作」(これはいきなりダメ。「ストロベリー」は僕のオリジナル脚本)
2つ目「有名監督」(これもダメ。僕ほど無名な監督は日本にいないだろう。実績もなし。ネームバリューなし)
3つ目「有名俳優」(これはD社関係で散々当たったが、皆ダメだった。超有名どころは他の作品が目白押し。
依頼したのに返事さえ来ない。そこそこ有名程度では、D社の企画会議は通らないという)
全てダメか・・・。何度も考えたが、この危機を突破できるアイディアも、方法論も、何も、見つからずにいる・・・。
(つづく)
もう一度、見直しⅡ /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
他の映画関係会社に行くと、まずシナリオが問題となる。幽霊が出て来る感動ファンタジーを理解できる人がほとんどいない。
次に和歌山ロケというと、またアウト。地方ロケは金がかかるからダメ。マイナーな町で撮影してもアピールできないと言われる。
客観的に考えて、ロケ地を変えるということはある。でも、僕は故郷・田辺で撮りたい。今回もそれを再確認した。それだけは譲れない。
ここでノーウエェイアウトとなる。何かないか? そうだ。もう一度、企画が通る重要な3大条件を考えてみよう・・・。(つづく)
もう一度、見直しⅠ /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
もう一度、確認してみた。決めた目標に向い長期間走り続けていると、別の方向に走っていたり、目標を見誤っていることがある。
走ることで精一杯で見落としていること、忘れていることもある。それを確認しよう。
まず、今回は僕が書いたシナリオ「ストロベリーフィールズ」を、自分自身で監督しようというのがコンセプト。ロケ地は故郷である田辺市。
そのシナリオをD社のPは気に入ってくれている。が、企画会議を通し、会社から製作費を引き出すには、地元からその半額を投資することが条件。
だが、地元は10年前に映画撮影で酷い目に遭っていて、「映画だけはアカン」という状況。
ここでストップしてしまう。他の会社の状況も見直した・・。(つづく)
D社への報告 /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
D社のPに、和歌山の状況を報告した。落胆して、こう言うのではないか?と思えた。
「もう、無理ですね。地元で製作費の半分が集まれば、何とかなると思ったんですけど・・・」
ところが、意外に彼は冷静だった。
「ま、お金は簡単に集まらないですから、仕方ないですよ。来年、ゆっくりとどうするか? 考えましょう・・・」
その言葉から、彼自身の立場も伺えた。当初は製作費全額をD社でという話だったが、その後、F社も出資と言う話が出て来た。
今は地元半額という。会社から製作費を引き出すのも、かなり難しいということ・・。
彼も、戦ってくれているのだと思う・・・。では、僕はどうすればいいのか? 何か。何か。何か。ないか?
D社も来年までは動かない。何か、展開できるものはないか・・・。(つづく)
東京へ戻る 2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
(復活篇の連載開始)
東京へ戻る。故郷の出来事が全くなかったかのように、東京の町は相変わらずだった。どうすればいい? 何かいい方法はないか? そう思いながら日々を送る。
だが、「ストロベリー」活動だけしていると、完全に生活が成り立たなくなる。少し前に頼まれた小さな仕事を始めた。
といっても、ほとんどの日々を「ストロベリー」に注いでいる。僅かな仕事をしても、借金の山はどんどんと大きくなっていくばかり。
これが夢を追うということか・・。本当に自分が好きな仕事を、するということか・・・。
ドラマで見るような美しく、感動的なものではない。自分の思いを形にするというのは、こういうことなのだと思える。
故郷での結果を、D社に報告せねば・・・。プロデュサーは期待してくれていたので落胆させたくはないが、正直に言うしかないだろう・・・。(つづく)
暗闇の中のストロベリー号 /2003年10月17日 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
他の会社を訪ねても、またこうなるはずだ・・。
「和歌山? 何でそんなところで? もっと、有名な町で撮影れば!」
必ずそうなる。どうすればいいのか? あと、僕にできることは何か? 何があるのか? 希望が見えない。可能性はもうないのか? どうすればいい・・。
問題が解決しないまま、JR和歌山駅前から新宿行きの深夜バスに乗る・・・。
先の見えない暗闇の中をバスは走り続ける。まるで、それは「ストロベリー」号に乗った僕自身のようであった・・(つづく)
「和歌山死闘篇」了
次回からは「復活篇」スタート。
希望が見えない /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
こうして、今回の地元訪問は終わる。
*千万円の投資はなくなり、政治力ある大物の支持は得られなかった。一時は応援してくれたMさんも諦めた形。希望は全く残っていない。
D社のPにはどう報告すべきか? 正直に伝えるしかないのだが、彼の答えは「もう、やめましょう」かもしれない。
「うちで全額出せるようにがんばります」といってくれる可能性はないか? いや、それは厳しい・・。
製作費の半分であっても、東京では誰も知らない小さな町で撮影することを理解してくれている。それだけでも感謝せねば。
では、他の企業に話を持って行って投資してもらう? しかし、それだとまたロケ地変更の話が出てくるだろう・・・。どうすれば・・・。(つづく)
不況だからこそのチャンスなのに /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
今でも、どの会社に行っても地方ロケというと、敬遠される。その中で、ようやく出会えたD社。
不況で厳しいからこそ「町で半額出資できるなら、やろう!」という発想が出てきたのである。
バブル時なら小さな町が全額出資しても、映画会社は受けてくれない。金は余っているので、海外でもOKなのだ。
今、この不況だから、地方映画がどんどん作られている時代だから、和歌山件の小さな町でも撮影が可能となる。
そんな状況で初めて「映画による町のアピール」が成立するのだ。が、Mさんはこう言う。
「いいチャンスなのは分かります。観光にプラスであることも分かります。町を宣伝できるのは、ほんまにええことです。
でも、私には、これ以上、どうすることもできません・・・」
(つづく)
バブル時代なら・・ /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
東京での仕事があり、帰らねばならない日。もう一度、観光関係のMさん宅を訪ねた。あれから何か別の方法を、考えてくれたかもしれない。だが、こう言われた。
「どうにもなりませんな・・・映画はええ方法やと思います。いろいろ考えてみました。でも、やっぱりお金を集めるのがむずかしい。
バブルのときなら・・・何とかなったかもしれんけど、今は不況で厳しいんです・・・」
考えてくれたのは感謝している。でも、その意見は違う。不況なので、映画会社も厳しい。映像関係の会社も製作費調達が難しい。
だからこそ、D社は製作費の半分を地元で集められれば、残りを出資すると言い出した。今なら町で製作費を全額出さなくても、地元をアピールする映画が作れるのである。
その大きな機会であることを分かってほしい。バブル時ではあり得ないチャンスなのだ!(つづく)
支援できないという意味 /2003年10月 [第9章 和歌山死闘篇Ⅰ]
大きな政治力のあるJさんの言葉を、あとで知人が解説してくれた。
「それは政治家がよく使う、政治用語と同じや。国会の答弁であるやろう?
『前向きに検討します』とかよう言うやんか? 本来の意味は『何とか考えて行きます』ということ。でも、政治用語では『何もしません』という意味や。
Jさんが言ったのも同じ。市民の盛り上がりがあれば・・・というのは、まずあり得ない事。そんなことでもない限りはやりません。応援もできません!という意味。彼らが断るときに使う言葉や。
もし、仮に市民が映画作りを賛同するとしても、そこまでにどれだけの努力と、何年の月日がかかるか? その間に、出資すると言うてくれている東京のD社。降りてしまうやろなあ・・」
その意味をMさんも理解したようだった。
「仕事があるので、ここで・・・何か他の方法も考えてみます・・」
彼は力なくそう言い、帰って行った・・。
(つづく)