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第16章 S40年代の日本篇 ブログトップ
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昭和40年代と「ストロベリーフィールズ」 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 長期間に渡って、昭和40年代を振り返って来た。

 やはり、大きな曲がり角の時代だったと思える。懐かしくもあるが、あそこから間違った方向へ進んで来たことも頷ける・・。

 そして、あの頃はまだ存在した「心の絆」。それが大きく失われていることも再確認できた。
 大切なものを今の子供たちに伝える上で、やはり映画「ストロベリーフィールズ」のシナリオを書いたとき、舞台を昭和40年代にしたのは意味があったと思える。

 当時の「風俗や流行を再現すること」をメインとしたドラマにするつもりはないが、その空気や風を背景に描くことでテーマに近づけるはず。

 同時に気付いたのは、作品自体に当時のテレビ番組の影響が非常に色濃く出ていること。

 「ストロベリー」はファンタジー物語ではあるが、同時に友情物語。当時ブームだった「特撮もの」と「スポ根もの」の両方の要素が入っている。

 それがうまく融合するのか? そして何より、僕は本当に「ストロベリーフィールズ」を製作、撮影することができるのか? 

 次回から、製作日記に戻る・・・。(つづく)


(次回からは「逆襲篇」のスタート!)


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昭和40年代と電化製品 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 当時、僕の家でも電化製品が増えつつあった。

 気付いた頃からカラーテレビだったが、洗濯機の脱水機能はまだなかった。手回しのローラーで水を絞るタイプ。

 テープレコーダーはオープンリールから、カセットに移行した時期。毎週、「帰って来たウルトラマン」を録音。予告編ばかり録りためて、セリフを覚えたりした。今でも言えるものがある。

 カメラもカラーフィルム。運動会で親たちは皆、8ミリカメラをまわす。「マガジン。ポン! フジカ・シングル・エ〜イト!」のCMがよく流れていた頃だ。

 でも、まだ、風呂がない家もたくさんあった。紙芝居屋が近所の公園に来ていた。駄菓子屋で10円のチロルチョコを買うと、今の3倍の大きさ。

 そして、鍵のかかる筆箱を持ち、僕は毎日、小学校に通った・・・。(つづく)

 


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昭和40年代の僕 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 そんな時代。僕は怪獣博士と呼ばれるくらいに、怪獣に詳しい反面。「巨人の星」を見て、魔球を開発しようと近所の友人と草野球をしていた。

 同時に「柔道一直線」に憧れ、高校に入ったら必ず柔道部に入ろうと決意。そのときは必ず神社の階段で、地獄車の練習をしよう!と計画。

(その後、僕が進学した大阪の私立高校の柔道部には、「柔道一直線」の主役・桜木健一のサインが貼ってあった! 実は彼の出身校! でも、僕は柔道部に入ることはなく、必修で柔道を選択。クラスのベスト4に入る)

 でも、小学校での体育の成績がずば抜けてよかった訳ではなく、他もまあまあ。それなのに、なぜか? 図工の時間に絵が評価されて、何度も賞をもらった。

 丸正百貨店やステーションデパートの展覧会で飾られる。でも、子供心には「へーーー何で、僕の絵なの?」くらいにしか思ってなかった。

 あとは、自転車暴走族。友達と市内を走り回る小学生だった・・・。

(つづく)


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昭和40年代と人気時代劇 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 当時、子供向け番組ではないが、「木枯し紋次郎」も夢中で見ていた。

 昭和47年に放送された時代劇で、「犬神家の一族」の市川崑監督が監修、一部監督。中村敦夫が主演した大人気シリーズ。めちゃめちゃ有名。社会現象にまでなった。

 誰もが楊枝をくわえ「あっしには関わり合いの、ないこって・・」と紋次郎の名台詞を真似た。大人向けのドラマだが、小学生もみんな見ていた。

 今見るともの凄くシュールな物語だが、これが社会現象になるほど受けたというのが昭和40年代の一端を感じさせる。

 歌の話の回でも書いたが、学生運動の挫折、経済成長のかげり、公害問題、オイルショックと、昭和40年代後半の日本は次々に問題が起こる。前半のような明るさや勢いがどんどん失われて行く。

 豊かにはなって来たが、不安に包まれていた。誰しも、そんな状況を「あっしには関わり合いのないこって・・」と背を向けたくなる時代だったのかもしれない・・。
(つづく)


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昭和40年代の子供番組・年表/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和40年代に放送された子供番組を年表にして見た。分かり易いように、映画や社会状況も少し加えてある。カッコ内は当時の僕の学年。
 
 同世代の方は、「へーーーあれって、この頃かあ!」とか面白く見て頂けるかもしれない。

1965 昭和40年 「大怪獣ガメラ」「赤ひげ」「怪獣大戦争」

1966 昭和41年(幼稚園)「ウルトラQ」「ウルトラマン」「マグマ大使」

1967 昭和42年(幼稚園) 「怪獣王子」「ウルトラセブン」「ジャイアントロボ」「仮面の忍者 赤影」

1968 昭和43年(小学1年) 「怪奇大作戦」「巨人の星」三億円事件

1969 昭和44年(小学2年)「柔道一直線」「サインはV」

1970 昭和45年(小学3年)「あしたのジョー」日本万国博覧会

1971 昭和46年(小学4年)「柔道一直線」「仮面ライダー」「ミラーマン」「シルバー仮面」「帰ってきたウルトラマン」「宇宙猿人ゴリ」「ゴジラ対へドラ」「天下御免」

1972 昭和47年(小学5年)「海のトリトン」「マジンガーZ」「人造人間キカイダー」「デビルマン」「怪傑・ライオン丸」「木枯し紋次郎」あさま山荘事件

1973 昭和48年(小学6年)「新造人間キャシャーン」「日本沈没」「キューティハニー」オイルショック

1974 昭和49年(中学1年)「ノストラダムスの大予言」

(つづく)


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昭和40年代と「怪奇大作戦」/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 その2大勢力(?)以外で、個人的に印象に残る作品がある。

 昭和43年の「怪奇大作戦」。

 「ウルトラ」シリーズの円谷プロが制作した作品だが、当時は今イチ人気がなかった。

 が、僕のまわりでは大人気。「怖さ」と「不気味さ」に惹かれて欠かさず見た。

「壁抜け男」「吸血地獄」「人食い蛾」。皆、怖かった・・。

 当時はそれだけだったが、20年後にビデオで見直したとき驚愕。当時は分からなかった面白さを感じる。こんな凄いドラマが日本にあったんだ!

 子供時代には、理解できなかったエピソードが特に面白い! 「京都買います」「死神の子守唄」「かまいたち」「呪いの壷」。今でも大好き。

 ちなみに、昨年監督したホラードラマの打ち上げでも、「怪奇大作戦」の話が出た。同世代の他の監督たちも全員が「大好き!」と答え、ビックリだった・・・。

 いつか、あのメンバーでリメイクできると嬉しい!

(つづく)


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昭和40年代の子供番組/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和40年代。僕はどうしていたのか?
 
 4歳から13歳。幼稚園から小学校卒業まで。田辺市から引っ越して和歌山市に住んでいた頃。

 その当時はテレビ全盛。僕にとってのその頃は、テレビ、テレビの時代だった。毎日のようにドラマを見ていた。

 当時、子供番組は「特撮ヒーローもの」がブーム。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マグマ大使」「スペクトルマン」「ミラーマン」「シルバー仮面」「仮面ライダー」「キカイダー」「バロム1」

 同時に「スポ根」(スポーツ根性もの)ブーム。「巨人の星」「あしたのジョー」「柔道一直線」「サインはV」「アタックNO1」「美しきチャレンジャー」いずれもテレビの前で手にあせ握りながら見ていた・・・。

(つづく)


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昭和40年代とGS&フォーク  /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]


 つまり、昭和40年代は西暦に直すところの、1960年代部分は上昇気流。貧しくても、希望がある明るい時代。

 1970年代部分はさまざまな問題と挫折で、暗い時代に突入していくプロローグなのである。

 このあとに来る昭和50年代。オイルショックの影響、物価高、トイレットペーパー騒動。と混迷時代に入る。そこはまさに21世紀の不況の現代がダブる時代。
 
 そう考えると、昇り調子でガンガン経済成長した昭和40年代前半に憧れを感じるのもよく分かる。

 グループサウンズは昭和40年代前半(1960年代部分)を反映したものではないか?

 身につまされる悲しみを歌ったフォークソングは、後半(1970年代部分)を象徴したもの・・。

 それぞれに時代が感じられる・・・。そんな頃。子供だった僕は・・・。(つづく)


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昭和40年代は闇の時代へ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

「歌は世に連れ・・」なので、必ず世相の反映がある。時代背景を思い出してみた。昭和39年の東京オリンピック。戦後の日本復興の目標だった。

 そのあとが昭和45年の日本万国博覧会。国を挙げての大イベント。小学生だった僕も3回行った。

 でも、そのあと思い出す昭和40年代は明るいものばかりではない。昭和45年のよど号ハイジャック事件、安保闘争。総和47年のあさま山荘事件。

 つまり、日米安保条約反対を叫び続けて来た学生運動の終焉であり、挫折である。そして昭和48年のオイルショック。日本の経済成長は失速し、暗い時代へと突入する。

 その直後に大ベストセラーになるのが「ノストラダムスの大予言」「日本沈没」である・・。(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代Ⅵ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和47〜48年(1972〜73年)のヒット曲。この辺は知っているものばかり。

「せんせい」森 昌子、「男の子女の子」郷ひろみ「喝采」ちあきなおみ、「めぐり逢う青春」野口五郎、「怨み節」梶芽衣子、「悲しみの町」藤 圭子「さそり座の女
」美川憲一
 
「狙いうち」山本リンダ、「赤とんぼの唄」あのねのね、「夢の中へ」井上陽水、「他人の関係」金井克子、「危険なふたり」沢田研二、「心の旅」チューリップ、「赤い風船」浅田美代子、「情熱の嵐」西城秀樹、

 「ファンキー・モンキー・べイビー」キャロル、「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみ、「恋する夏の日」天地真理、「てんとう虫のサンバ」チェリッシュ、「わたしの青い鳥」桜田淳子、「個人授業」フィンガー5、「神田川」かぐや姫。

 この辺はもう「ちびまる子ちゃん」の世界! あと百恵ちゃんが登場すれば完璧。楽しく元気な歌が多いと思えるが、よく考えると、いろんな側面が見えて来る・・・。
(つづく)

 


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