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第16章 S40年代の日本篇 ブログトップ

昭和40年代と「ストロベリーフィールズ」 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 長期間に渡って、昭和40年代を振り返って来た。

 やはり、大きな曲がり角の時代だったと思える。懐かしくもあるが、あそこから間違った方向へ進んで来たことも頷ける・・。

 そして、あの頃はまだ存在した「心の絆」。それが大きく失われていることも再確認できた。
 大切なものを今の子供たちに伝える上で、やはり映画「ストロベリーフィールズ」のシナリオを書いたとき、舞台を昭和40年代にしたのは意味があったと思える。

 当時の「風俗や流行を再現すること」をメインとしたドラマにするつもりはないが、その空気や風を背景に描くことでテーマに近づけるはず。

 同時に気付いたのは、作品自体に当時のテレビ番組の影響が非常に色濃く出ていること。

 「ストロベリー」はファンタジー物語ではあるが、同時に友情物語。当時ブームだった「特撮もの」と「スポ根もの」の両方の要素が入っている。

 それがうまく融合するのか? そして何より、僕は本当に「ストロベリーフィールズ」を製作、撮影することができるのか? 

 次回から、製作日記に戻る・・・。(つづく)


(次回からは「逆襲篇」のスタート!)


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昭和40年代と電化製品 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 当時、僕の家でも電化製品が増えつつあった。

 気付いた頃からカラーテレビだったが、洗濯機の脱水機能はまだなかった。手回しのローラーで水を絞るタイプ。

 テープレコーダーはオープンリールから、カセットに移行した時期。毎週、「帰って来たウルトラマン」を録音。予告編ばかり録りためて、セリフを覚えたりした。今でも言えるものがある。

 カメラもカラーフィルム。運動会で親たちは皆、8ミリカメラをまわす。「マガジン。ポン! フジカ・シングル・エ〜イト!」のCMがよく流れていた頃だ。

 でも、まだ、風呂がない家もたくさんあった。紙芝居屋が近所の公園に来ていた。駄菓子屋で10円のチロルチョコを買うと、今の3倍の大きさ。

 そして、鍵のかかる筆箱を持ち、僕は毎日、小学校に通った・・・。(つづく)

 


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昭和40年代の僕 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 そんな時代。僕は怪獣博士と呼ばれるくらいに、怪獣に詳しい反面。「巨人の星」を見て、魔球を開発しようと近所の友人と草野球をしていた。

 同時に「柔道一直線」に憧れ、高校に入ったら必ず柔道部に入ろうと決意。そのときは必ず神社の階段で、地獄車の練習をしよう!と計画。

(その後、僕が進学した大阪の私立高校の柔道部には、「柔道一直線」の主役・桜木健一のサインが貼ってあった! 実は彼の出身校! でも、僕は柔道部に入ることはなく、必修で柔道を選択。クラスのベスト4に入る)

 でも、小学校での体育の成績がずば抜けてよかった訳ではなく、他もまあまあ。それなのに、なぜか? 図工の時間に絵が評価されて、何度も賞をもらった。

 丸正百貨店やステーションデパートの展覧会で飾られる。でも、子供心には「へーーー何で、僕の絵なの?」くらいにしか思ってなかった。

 あとは、自転車暴走族。友達と市内を走り回る小学生だった・・・。

(つづく)


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昭和40年代と人気時代劇 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 当時、子供向け番組ではないが、「木枯し紋次郎」も夢中で見ていた。

 昭和47年に放送された時代劇で、「犬神家の一族」の市川崑監督が監修、一部監督。中村敦夫が主演した大人気シリーズ。めちゃめちゃ有名。社会現象にまでなった。

 誰もが楊枝をくわえ「あっしには関わり合いの、ないこって・・」と紋次郎の名台詞を真似た。大人向けのドラマだが、小学生もみんな見ていた。

 今見るともの凄くシュールな物語だが、これが社会現象になるほど受けたというのが昭和40年代の一端を感じさせる。

 歌の話の回でも書いたが、学生運動の挫折、経済成長のかげり、公害問題、オイルショックと、昭和40年代後半の日本は次々に問題が起こる。前半のような明るさや勢いがどんどん失われて行く。

 豊かにはなって来たが、不安に包まれていた。誰しも、そんな状況を「あっしには関わり合いのないこって・・」と背を向けたくなる時代だったのかもしれない・・。
(つづく)


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昭和40年代の子供番組・年表/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和40年代に放送された子供番組を年表にして見た。分かり易いように、映画や社会状況も少し加えてある。カッコ内は当時の僕の学年。
 
 同世代の方は、「へーーーあれって、この頃かあ!」とか面白く見て頂けるかもしれない。

1965 昭和40年 「大怪獣ガメラ」「赤ひげ」「怪獣大戦争」

1966 昭和41年(幼稚園)「ウルトラQ」「ウルトラマン」「マグマ大使」

1967 昭和42年(幼稚園) 「怪獣王子」「ウルトラセブン」「ジャイアントロボ」「仮面の忍者 赤影」

1968 昭和43年(小学1年) 「怪奇大作戦」「巨人の星」三億円事件

1969 昭和44年(小学2年)「柔道一直線」「サインはV」

1970 昭和45年(小学3年)「あしたのジョー」日本万国博覧会

1971 昭和46年(小学4年)「柔道一直線」「仮面ライダー」「ミラーマン」「シルバー仮面」「帰ってきたウルトラマン」「宇宙猿人ゴリ」「ゴジラ対へドラ」「天下御免」

1972 昭和47年(小学5年)「海のトリトン」「マジンガーZ」「人造人間キカイダー」「デビルマン」「怪傑・ライオン丸」「木枯し紋次郎」あさま山荘事件

1973 昭和48年(小学6年)「新造人間キャシャーン」「日本沈没」「キューティハニー」オイルショック

1974 昭和49年(中学1年)「ノストラダムスの大予言」

(つづく)


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昭和40年代と「怪奇大作戦」/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 その2大勢力(?)以外で、個人的に印象に残る作品がある。

 昭和43年の「怪奇大作戦」。

 「ウルトラ」シリーズの円谷プロが制作した作品だが、当時は今イチ人気がなかった。

 が、僕のまわりでは大人気。「怖さ」と「不気味さ」に惹かれて欠かさず見た。

「壁抜け男」「吸血地獄」「人食い蛾」。皆、怖かった・・。

 当時はそれだけだったが、20年後にビデオで見直したとき驚愕。当時は分からなかった面白さを感じる。こんな凄いドラマが日本にあったんだ!

 子供時代には、理解できなかったエピソードが特に面白い! 「京都買います」「死神の子守唄」「かまいたち」「呪いの壷」。今でも大好き。

 ちなみに、昨年監督したホラードラマの打ち上げでも、「怪奇大作戦」の話が出た。同世代の他の監督たちも全員が「大好き!」と答え、ビックリだった・・・。

 いつか、あのメンバーでリメイクできると嬉しい!

(つづく)


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昭和40年代の子供番組/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和40年代。僕はどうしていたのか?
 
 4歳から13歳。幼稚園から小学校卒業まで。田辺市から引っ越して和歌山市に住んでいた頃。

 その当時はテレビ全盛。僕にとってのその頃は、テレビ、テレビの時代だった。毎日のようにドラマを見ていた。

 当時、子供番組は「特撮ヒーローもの」がブーム。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マグマ大使」「スペクトルマン」「ミラーマン」「シルバー仮面」「仮面ライダー」「キカイダー」「バロム1」

 同時に「スポ根」(スポーツ根性もの)ブーム。「巨人の星」「あしたのジョー」「柔道一直線」「サインはV」「アタックNO1」「美しきチャレンジャー」いずれもテレビの前で手にあせ握りながら見ていた・・・。

(つづく)


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昭和40年代とGS&フォーク  /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]


 つまり、昭和40年代は西暦に直すところの、1960年代部分は上昇気流。貧しくても、希望がある明るい時代。

 1970年代部分はさまざまな問題と挫折で、暗い時代に突入していくプロローグなのである。

 このあとに来る昭和50年代。オイルショックの影響、物価高、トイレットペーパー騒動。と混迷時代に入る。そこはまさに21世紀の不況の現代がダブる時代。
 
 そう考えると、昇り調子でガンガン経済成長した昭和40年代前半に憧れを感じるのもよく分かる。

 グループサウンズは昭和40年代前半(1960年代部分)を反映したものではないか?

 身につまされる悲しみを歌ったフォークソングは、後半(1970年代部分)を象徴したもの・・。

 それぞれに時代が感じられる・・・。そんな頃。子供だった僕は・・・。(つづく)


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昭和40年代は闇の時代へ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

「歌は世に連れ・・」なので、必ず世相の反映がある。時代背景を思い出してみた。昭和39年の東京オリンピック。戦後の日本復興の目標だった。

 そのあとが昭和45年の日本万国博覧会。国を挙げての大イベント。小学生だった僕も3回行った。

 でも、そのあと思い出す昭和40年代は明るいものばかりではない。昭和45年のよど号ハイジャック事件、安保闘争。総和47年のあさま山荘事件。

 つまり、日米安保条約反対を叫び続けて来た学生運動の終焉であり、挫折である。そして昭和48年のオイルショック。日本の経済成長は失速し、暗い時代へと突入する。

 その直後に大ベストセラーになるのが「ノストラダムスの大予言」「日本沈没」である・・。(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代Ⅵ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和47〜48年(1972〜73年)のヒット曲。この辺は知っているものばかり。

「せんせい」森 昌子、「男の子女の子」郷ひろみ「喝采」ちあきなおみ、「めぐり逢う青春」野口五郎、「怨み節」梶芽衣子、「悲しみの町」藤 圭子「さそり座の女
」美川憲一
 
「狙いうち」山本リンダ、「赤とんぼの唄」あのねのね、「夢の中へ」井上陽水、「他人の関係」金井克子、「危険なふたり」沢田研二、「心の旅」チューリップ、「赤い風船」浅田美代子、「情熱の嵐」西城秀樹、

 「ファンキー・モンキー・べイビー」キャロル、「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみ、「恋する夏の日」天地真理、「てんとう虫のサンバ」チェリッシュ、「わたしの青い鳥」桜田淳子、「個人授業」フィンガー5、「神田川」かぐや姫。

 この辺はもう「ちびまる子ちゃん」の世界! あと百恵ちゃんが登場すれば完璧。楽しく元気な歌が多いと思えるが、よく考えると、いろんな側面が見えて来る・・・。
(つづく)

 


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歌で振り返る昭和40年代Ⅴ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]


 40年代前半に人気だったグループサウンズに代わって、後半戦で台頭してきたのがフォークソング。その周辺を上げて見よう。

 「あの素晴らしい愛をもう一度」加藤和彦と北山修、「戦争を知らない子供たち」ジローズ、「結婚しょうよ」吉田拓郎、「ぼくの好きな先生」RCサクセション、

 「太陽がくれた季節」青い三角定規、「人生が二度あれば」井上陽水、「メリー・ジェーン」つのだひろ、「走っておいで恋人よ」アリス、「学生街の喫茶店」ガロ、「旅の宿」吉田拓郎、「返事はいらない」荒井由実、「傘がない」井上陽水
 
 吉田拓郎、井上陽水、松任谷(荒井)由実は今も活躍。最近また、フォークソングが流行っているのも、昭和40年代の魅力と関係するような気もする。

(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代Ⅳ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和46〜47年(1971〜72年)はどうだろう?

 「また逢う日まで」尾崎紀世彦、「17才」南 沙織、「水色の恋」天地真理、「ピンポンパン体操」金森 勢・杉並児童合唱団、「出発の歌」上条恒彦と六文銭。

 「夜明けの停車場」石橋正次、「誰かが風に中で」上條恒彦、「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子。

 「瀬戸の花嫁」小柳ルミ子、「ひとりじゃないの」天地真理、「どうにもとまらない」山本リンダ。 

 この辺からまたアイドルが登場してくる。南紗織、小柳ルミ子、天地真理。皆、大人気だったのを思い出す。

 上条恒彦の「誰かが風の中で」は、テレビドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌。(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代Ⅲ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 グループサウンズというのは、それまでのように歌手が1人で、楽団をバックに歌うのと違い、自分たちでバンドを組んで歌うというスタイル。ビートルズの影響を受けた形式である。

 以前はスーツにネクタイの歌手が多かったのに、長髪に、派手なファッションが人気。この辺から日本も変わってきた感じがする。

 それらグループが解散し、その後ソロになり、俳優やタレントとして今も活動しているのが、沢田研二、萩原健一、堺正章らである。

 グループサウンズ以外では、「恋の季節」ピンキーとキラーズ、「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみがある。

 これらの曲も印象的。子供だった僕でも歌詞を覚えた。今でも歌える。さて、このあとはどんな歌がヒットしたのか?(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代Ⅱ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 昭和43年から44年(1967〜68)のヒット曲は以下の通り。

 「風が泣いている」ザ・スパイダース、「モナリザの微笑」ザ・タイガース、 「君だけに愛を」ザ・タイガース、「帰って来たヨッパライ」ザ・フォーク・ クルセイダーズ

 「亜麻色の髪の乙女」ヴィレッジ・シンガーズ「イムジン河」ザ・フォーク・クルセイダーズ「花の首飾り」ザ・タイガース、「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセイダーズ、

 「神様お願い」ザ・テンプターズ、「長い髪の少女」ザ・ゴールデン・カップス、「グッド・ナイト・ベイビー」キング・トーンズ、「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズ
 
 この辺はほとんどグループサウンズ。僕は小学生だったが、どれも聴いたことのある歌ばかり。

「帰って来たヨッパライ」は小学生でも歌っていたくらいだから、凄いヒットだったはずだ・・。(つづく)


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歌で振り返る昭和40年代/2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」で昭和40年代を振り返って見た。もう少し、何かないかと考える・・。

 「歌は世に連れ、世は歌に連れ・・」というが、当時の流行歌はどんなものがあったのだろう? その辺を考えて見ると、より昭和40年代がよく分かると思う。

 調べてみると、昭和40〜41年(1965〜66)年のヒット曲には以下のものがあった。

 「網走番外地」高倉 健、「兄弟仁義」北島三郎、「二人の世界」石原裕次郎、「ゴマスリ行進曲」植木 等、「夕陽が泣いている」ザ・スパイダース、

 「若者たち」ブロードサイド・フォー、「夢は夜ひらく」園まり、「こまっちゃうナ」山本リンダ、「想い出の渚」ザ・ワイルド・ワンズ・・・。

 映画の主題歌に、グループサウンズ。何か、時代色を感じる。他も見てみよう。
(つづく)


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ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅳ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

  「ちびまる子ちゃん」のエンディングソング。歌っていた植木等さん(個人的には、映画「あした」のお手伝いをしたとき、一緒に記念写真を撮らせてもらった思い出あり!)も、当時の人気者。

 彼が所属していたクレージーキャッツの映画も皆、日本人大行進というものが多かった。「無責任」シリーズ。「大爆発」「黄金作戦」と皆元気!

 これはやはり、戦後の焼け野原から立ち直った日本人が経済復興を果たし、さらにはジャパン・アズ・NO1を目指して経済大国に向かって進む勢いを反映したものだと思える。

 東京オリンピックから、大阪万博へ(小学生の頃。3回行った!)

 夢も希望もある時代。単に懐かしいというだけではない、そんな元気も昭和40年代に触れるときに思い出される。

 古いが元気。それが昭和40年代の魅力。その当時の名残がある田辺市の良さも、それに通じるものがあると思える。 (つづく)


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ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅲ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 あと「ちびまる子ちゃん」では、「ゾウが踏んでも壊れないアーム筆入れ」の話もあったのだろうか?

 鍵がかかる筆箱以前に流行ったもので、テレビのCMで巨大なゾウが筆箱を踏むものが話題になった。

 でも、そんな重さが筆箱にかかることなんてなく、今考えるとどういう意味があったのかと思う。

 当時は「強い」「早い」「高い」とか何でも抜きん出たことが大切な時代だった。日本で一番高いと言われた霞ヶ関ビル、さらに京王プラザホテルとかが完成、小学生の雑誌にもよく紹介された。

 チョコレートのCMでは、有名な作曲家が大空の気球で指揮。「大きいことはいいことだ!」と霞ヶ関ビルをバックに、もの凄い数の人々が歌うもの。

 とにかく、日本大行進のような風潮があったことも思い出す。(つづく)


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ちびまる子ちゃん&昭和40年代Ⅱ /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]


 磁石で出来た鍵で筆箱がロックできて、人に開けられないというもの。

 別に大切なものが入っているというわけでもないのに、そんな筆箱が大人気! 僕の小学校でも、みんなそのタイプに買い替えたのを思い出す。(ちなみに僕も!)

 あと、トランシーバーの話もあった。今でこそ携帯電話がトランシーバーのようなものだけど、当時は電話でさえ線で繋がっていた。

 無線で話せるトランシーバーというのは、SF映画のようで、もの凄く憧れた。が、超高価なおもちゃで、お金持ちの子供しか持ってなかった。

 「まるちゃん」には登場しないが、子供番組では「緊急指令10-410-10」という無線を使って活躍するチームの子供番組もあった・・・。(つづく)


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ちびまる子ちゃん&昭和40年代 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 「ちびまる子ちゃん」には、藤岡弘や由美かほるの話まで出てくる。

 藤岡弘は「仮面ライダー」でブレイク。その後、超大作映画「日本沈没」「エスパイ」に主演。大人気だった。

 由美かほるも、当時話題となった映画「ノストラダムスの大予言」(当時はマジに1999年7の月に世界の終わりが来ると信じる小学生も? 僕も楽しみにしていたが、その年には何も起こらず残念)などに出演。

 アース渦巻きのホウロウ看板にも登場。今も活躍しているが、当時を思わす女優さん。

 俳優ばかりではない。まる子が新しい筆箱をほしがるエピソードがあった。

 その筆箱というのは鍵のかかるやつ。当時を知る人はこれだけで「あった!あった!」と思い出す・・・。(つづく)


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昭和40年代舞台のドラマは? /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 「サザエさん」と同じく、日曜の夜放送している「ちびまる子ちゃん」も昭和40年代が舞台である。

 こちらも大人気アニメで、放送から早15年!お茶の間の定番。風俗や文化も取り入れた物語なので、余計に当時の時代が浮き彫りになる。
 やはり親たちには懐かしく、子供たちには新鮮なドラマだ。

 主人公のまるちゃんが好きなのは山口百恵。口ずさむ「ウララウララウラウララ!」というのは山本リンダのヒット曲「狙い撃ち」。

 お姉ちゃんが好きなのは西城秀樹とにしきのあきら。物語で頻繁に登場する話題が花の中三トリオ。山口百恵、桜田淳子、森昌子。

 そして新御三家。西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ。 全部実名で出るから嬉しい。

(つづく)


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昭和40年代、もう1本? /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 「サザエさん」と同じく、昭和40年代を舞台にしたドラマがもう1本ある。

 こちらはさらに40年代をリアルに描いており、知っている人にはなお懐かしい。

 その作品の話もしてみたい。

 さて、何というドラマかな?(つづく)


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「サザエさん」と田辺市 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

  田辺市を訪れた人々はそこにある昭和40年代を感じ、感動する。

 同じように「サザエさん」を見る人たちは、その懐かしい世界に心安らぎ、ひととき悲しい現実を忘れることができるのだろう。

 それが今も幅広い層から支持される理由だと思う。

 ただ、昔、僕より年上だったカツオ君をいつの間にか追い抜いてしまった。

 さらにマスオさんの歳を追い抜き、今や波平さんに近づきつつある自分を顧みるとき、時の流れを感じてしまう・・。

(つづく)


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サザエさんの世界 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 今は少なくなった家族団らんが磯野家にはある。大きなテーブルで家族そろってご飯を食べる。

 頑固親父の波平さんがいる。カツオ君は遊んでばかりで受験で苦悩しない。ワカメちゃんが異常犯罪に巻き込まれることもなく、タラちゃんは公園で1人遊んでいる。

 マスオさんは不況による会社倒産やリストラに怯えることもなく、平凡なサラリーマンを続ける。

 校内暴力も援助交際も、不況もバブルもない世界。

 愛すべき頑固親父が権限を持ち、いたずらっ子がイキイキと遊び、おっちょこちょいの主婦がいて、家族の絆があった時代。
 
 ある種の理想郷とも思える。あれが幸せな日本の姿ではないだろうか? そう、今の時代から見る昭和40年代は、そういう世界なのだと思える・・。

(つづく)


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21世紀の昭和40年代 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 放送開始時、「サザエさん」を見る人たちは、自分たちの日常と重ねた。

 サザエさんやカツオ君の失敗談や早とちりを、「ある!ある!こんなこと。私もよくやっちゃう!」とか思って笑いながら見ていたはず。

 それが今は「(昔はそんなこと)あった!あった!」と懐かしく思う。

 若い人たちが見ればデジタル化された世界とは違う、アナログワールドを見て新鮮に感じる。

 そう。「サザエさん」の世界は、現代の田辺市と同じ意味を持っているのだ。21世紀でありながら、そこにはアナログな昭和40年代の世界が存在するのである。

(つづく)


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サザエさんと昭和40年代 /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 当初、「サザエさん」は東芝1社がスポンサーだったにもかかわらず、磯野家には新しい電化製品は登場しなかった。

 電話も未だに玄関から通じる廊下に置かれていて、FAX機能はない。携帯電話もなく、パソコンも登場しない、温熱カーペットやビデオデッキもない。

 コーヒーメーカーも電子レンジもない。夏も扇風機が主流。

 つまり、「サザエさん」の世界は放送がスタートした昭和40年代のままなのである。それが時代とともに、日本は発展。どんどん裕福になって行った。

 でも、番組の製作者はそれに合わせて、磯野家を取り巻く世界を発展させなかった。ドラマ内の時間の流れを止め、昭和40年代でストップさせたのである。

 それが「サザエさん」を今も見られる、長寿命番組にしたのだと思う。というのは・・。(つづく)


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昭和40年代から続く番組はこれ! /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

昭和40年代から続く番組は?

 答えは「サザエさん」。

 日本人ならまず、知らない人はいないあのアニメである。設定は特に強調していないが昭和40年代。

 僕が子供頃に見ていたときから何も変わっていない。おもしろいのは、ドラマに登場する磯野家の人々が全然変わらないこと。

 波平さんが定年になったとか、タラちゃんが小学校に入学したとか、サザエさんに2人目の子供が生まれたとかいう展開はない。

 40年近く、磯野家と彼らが住む世界は時間がストップしたまま。

 スペシャル番組でサザエさんたちがハイテク・マンションに体験的に住むエピソードはあったけど、基本的には変わらない・・・。

(つづく)


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昭和40年代から続く番組? /2004年6月 [第16章 S40年代の日本篇]

 かなり長い回数に渡って、「昭和40年代」と「ストロベリー」のテーマについて語った。

 でも、うまく伝わったかな・・・・そんな40年代をもう少し分かり易く、感じてもらう方法はないか?と考える。

 ああ、あのドラマがあった! 

 昭和40年代にスタートして、その舞台が未だに昭和40年代というものがある。それも誰もが知っている。

 放送が開始されたのは、昭和44年10月。確かアニメ「カムイ外伝」のあと番組だった・・。

 35年経った今も続き、お茶の間を楽しませている。さて、分かりますか?

(つづく)


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