メインロケハン4 全ては撮影のために 2005/9/1 [第八章 ロケハン出発篇]
それぞれが「よりよい絵を作ること」考え、「仕事をスムーズにやり易くする方法」を探す。
ドラマ的に、撮影的に、製作的に、さまざまな角度から、プロフェッショナルな目で確認するのがロケハン。
これをしっかりとやっておくことで、問題なく撮影を行い、俳優もスタッフもドラマ作りに専念できる!
<つづく>
メインロケハン3 美術部&製作部 2005/9/1 [第八章 ロケハン出発篇]
美術部は、その場所で必要なものを考える。家中なら家具、外なら看板、表札、等。
それを借りて来て置くのか? 新たに作らねばならないのか? 表札なら登場人物の名前に合わせて作り、取り替えねばならない。
外の撮影ではエアコンの室外機が、ドラマの設定である昭和40年代とは型が違う。隠すための何かを用意せねばならない。
(写真上。屋敷町。夏美ー佐津川愛美ーが先生たちに捕まり、マキー谷村美月ーと引き離される道。左側の建物前にエアコンの室外機あり)
死んだ理沙や美香の家なら、家表に張られる「忌中」と書かれた貼紙。葬式シーンは、葬式の備品。撮影する部屋に合わせて量が変わる。
それらを置く場所の寸法を計っておく。他にも様々なことを確認する。
(写真上。マキー谷村美月ーの家。この部屋にちゃぶ台を置いて、夏美ー佐津川愛美ーがマキのために手紙を書くシーンを撮る)
製作部は、いかにスタッフが仕事をしやすいか?がテーマである。ロケバスを何処に止めると、ロケ場所までスタッフがより早く行けるか? いかに歩く時間が少なくて済むか?
(写真上。天神崎近くの坂。理沙ー芳賀優里亜ーが夏美、マキと共に夕陽を見に行く途中の道。ここで理沙は自分の思いを語る)
近所にコンビニはあるか? 俳優が待機する建物はあるか? 騒音を出す工場や道路はないか? ロケハンの日はOKでも、別の日はアウトなこともあるので注意。
(写真上。屋敷町。赤別荘近所。美香ー俳優未定ーが死神に連れ去れる路地を反対側から見た構図。路地は車が入れないが、交差する通りは交通量が多い)
もし、撮影する道路が通学路なら、朝の撮影は大変なことになる。ロケハン時は交通量が少なくても、撮影時はトラックがバンバン通るかもしれない。それも確認。
迷惑をかけないように、撮影があることを伝えるべき家は、どこからどこまでか? 等いろんなことをチェックする。
(写真上。会津川排水口上。理沙とケンカして、去って行くマキを追いかける美香が走る土手)
<つづく>
メインロケハン2 撮影部&照明部 2005/9/1 [第八章 ロケハン出発篇]
撮影部は、実際にカメラを覗いてみて、どんな絵になるのか?確認。また、この場所を撮影する上で気をつけねばならないことをチェック。
今回は昭和40年代が舞台なので、今日的な建築物がフレームに入らないように注意する必要もある。
それらを避けて撮影できるかどうか? 光の具合はどうか? 午後の撮影なら太陽光があるが、午前なら大きな建物があるから、影になるなあ・・・とか考える。
手持ち撮影なら足場は悪くないか? 等をチェック。
照明部は光の具合。日中の戸外でも暗い場所なら、照明が必要。どのくらいの光量のライトをいくつ用意しようか? 電源をどうするか?
或いは室内なら昼間でも、照明がいる。窓の方角。太陽の向き等も確認。
<つづく>
メインロケハン1・監督と演出部 2005/9/1 [第八章 ロケハン出発篇]
「ストロベリーリールズ」メイン・ロケハン。田辺市を訪れたスタッフは、それぞれの役割(パート)の目で現場を見る。
(写真下。高山寺境内)
通常なら監督は、製作部が探してくれた場所を見て、自分がイメージするシーンがそこで撮れるかどうか?を確認。撮れるのであれば、どのように撮るか?考える。
が、今回はその辺はすでに決定済み。何年も前からロケハンしているので、カット割りまですでに考えてある。
僕はスタッフを案内して、「この墓場で夏美とマキたちが再会するシーンを撮ります」とか伝える。そして芝居の流れを説明。
(写真下は高山寺の境内。最初に死神が現れ、マキー谷村美月ーたちにタイムリミットを告げる場面の説明をスタッフにする監督ー私ー。)
(写真下は高山寺の旧本堂内。マキたちの葬式シーンのための位置関係をご住職から教えてもらう)
自分的にはカメラ・ポジションとショット数を確認したりするだけである。
(写真下。東陽中学の木造校舎内で、カット割りを確認する監督)
演出部はその場所で撮影する上で何が必要で、何が問題か? 監督の意図を実現するには、どうするべきか?等を考える。
(写真下は天神崎。夏美ー佐津川愛美ーがなくした8ミリカメラを探す鉄男ー波岡一喜ーたちのシーンのロケ場所。演出部チーフに説明中の監督・左)
<つづく>
田辺ロケハン 2005/09/01 [第八章 ロケハン出発篇]
メイン・スタッフと共に、田辺ロケハン。
通常は、製作部がシナリオを読み、そのシーンを撮影するのに相応しい場所を見つける。
次に監督がそれを確かめ、「んーーーイメージが違う」とか「ここはいいなあ!ピッタリだ」とか決めて行く。
が、 今回は個人的に5年かけて、ロケハンを済ませている。なのでロケ地探しではなく、スタッフに場所を紹介するという作業。
(写真下は高山寺の階段。死んだマキたちが昇る「天国への階段」シーンのロケ地地。芝居の段取りを聞き、スタッフが撮影で必要なことを確認する)
天神崎、会津川、江川、稲成、古尾、高山寺、東陽中学と、田辺でも最も絵になる素敵な場所を巡る。
最初は一人で来たその場所に、やがてカメラマンのSさんと来てテスト撮影。 そして今、多くのベテラン・スタッフが同じ場所に訪れた。
プロフェッショナルな目で、「どうすれば素晴らしい映像が撮れるか?」を考えてくれている。
もう、それだけで感慨無量・・。
<つづく>
ロケハンの条件Ⅱ 2005/8/31 [第八章 ロケハン出発篇]
平凡な場所を見せておいて「ここぞ!」というところで、美しいロケ地を持って来る。そして、観客をハッとさせるという手もある。
俳優、スタッフを選ぶのと同じで、ロケ地を選ぶのも監督のセンスと力量。そこから演出は始まり、撮影以前に作品の半分以上の演出が決まる。
この風景の中で、あの衣裳を着て、あの俳優が演じ、あのカメラマンが撮れば、こうなるだろう・・・という計算のもとに、それぞれを選ぶ。
美しい場所、相応しい場所という観点以外にも、そんなことも合わせて選ばなければならない・・・。
が、探すべきロケ地は、あと美香の家だけ。それと、これまでに決めた場所を確認する!
<つづく>
ロケハンの条件 2005/8/31 [第八章 ロケハン出発篇]
明日からまた、「ストロベリーフィールズ」を撮影する和歌山県田辺市のロケハンに行く。今回はメイン・スタッフが全員参加。
撮影部、照明部、美術部、演出部のトップ。製作部。そして監督の僕。
ロケ場所を選ぶ上で大切なこと。これまで上げてないことを書いてみる。
基本だけど、ロケ地は見栄えがすることが大切。リアリズムを追求する方法もあるが、やはり美しい場所である方がドラマを盛り上げる。
ただ、美しい場所ばかりで撮影すると、それが当たり前であり感動がなくなるということもある・・・。
<つづく>
シナリオについて(7)本人の魅力 2005/8 [第八章 ロケハン出発篇]
スタッフからも「この段階で、キャラの変更は危険!」との声も上がった。確かに一般的にはありえないこと。
でも、そこが太田組式発想。シナリオライターと監督が別なら不可能だが、僕はその両方をやっている。
おまけに自主映画時代。撮影直前に主演女優がいなくなったとき、物語を変えずに配役だけを変更して乗り切ったこともある。
キャラを変えてもストーリーの本質を変えない作業は、何度も経験。
何よりも役を直すことは、主役の佐津川愛美の魅力をより引き出し、映画自体がよくなるはず。
俳優というのは本当の自分を表現するとき、多くの人が共感し、拍手を送り、「素晴らしい演技だ」と賞賛されることが多い。
そんなふうに俳優に合わせて脚本をリライトすることで、本人の魅力を引き出すのも太田組式のやり方!
今回もそれで行く!
<つづく>
シナリオについて(6)主役キャラ変更の危険性 2005/8 [第八章 ロケハン出発篇]
今回で言えば、夏美役の佐津川愛美。
会ったときに、毎週見ていたドラマ「がんばっていきまっしょい!」では分からない魅力に気づいた。
その魅力を生かすべく、佐津川が演じる夏美役のキャラを直したいと思った。
もちろん、当初の役のままでも、演技派の佐津川は十分に演じただろう。 けど、隠れた良さを引き出すことで、もっともっと素晴らしい演技ができる。
もっともっと、魅力的に見える。
色に例えると夏美役は「青」を貴重として、「水色」から「紺色」までの幅を持たせていた。
が、佐津川は「青」ではなく「緑」で行きたい。キャラを大きく変更する。
ただ、シナリオはその種の変更で、物語が成り立たなくなることがある。ブロックの積み上げと同じで、ひとつを外すと全てが崩れ去る危険性があった・・・。
<つづく>
シナリオについて(5)本質を見る? 2005/08 [第八章 ロケハン出発篇]
と言っても、役を本人に近づけるというのは簡単ではない。表面的ではなく本質に近づけないと、意味がないからだ。
人は誰しも、日常生活で演じている。
女の子だと、家族といれば長女である自覚を持ち、彼氏と会うと彼女として甘える。学校へ行けば女子高生として振る舞う。部活でキャプテンなら、そんな態度を取る。
本当は気が弱くて決断力なくても、キャプテンだし、後輩もいるから、自信があるような言動を取る。
或いは本当は強気で行動的なんだけど、彼氏の前では弱い女を演じる。皆、そんなふうにして生きている。
それに気づかずに「演じている部分」をクローズアップして、役に取り入れても本物の迫力は出ない。
本質を見極めるのは難しい。何年も付き合った彼女が、「実はこんな女だったのか!」と驚愕することもある。
同じように俳優も隠れた一面がある。それを引き出して、役に反映させると、もの凄く魅力ある演技になって現れるのだ・・。
(つづく)